それから一夜明けて、翌日。
アルベルトが魔法で自身の生命力をオスカーに送っているようだが(しくみはレトから説明してもらったけど、オスカーの命を繋ぐため、アルベルトは精神力と体力を削り、生命力に変換して弟に与えている。エリクシール飲んで頑張っても、おおもとの力が消費されているわけだから半日が限界らしい)弟さんはまだ目を覚まさない様子だ。
このままではどちらも危険な状態になってしまうのでは、と危惧したが、レトとヘリオス王子はわたくしを落ち着かせ、きっと大丈夫と宥めた。
そう言っても、二人だって表情は厳しい。なるようにしかならない、という言葉がとても重く感じられたが――……レトが『誰か来たみたいだから、寮に戻すよ』と言って、わたくしとジャンを転移させる。
何回やってもらっても、便利な魔法だなと思うわ。
がらんとした居間に降り立ったわたくしは、落ち着く暇もないまま扉のほうへどなた、と声をかけた。
「リリーティア様、朝早くから大変失礼致します。わたくしどもは旦那様の……ラッセル・ローレンシュタイン伯爵の使いでございます」
……ふむ。お父様からか。
わたくしはジャンに扉を開けてもらい、彼らの姿を確認する。
執事さんと若い男が一人、そして……なんとアリアンヌもいるではないか。
「おはようございます、お姉様……」
そりゃそうか。わたくしだけではなく、アリアンヌも昨日のことについてなら、関係しているのか……。
聞けば、王宮から呼び出されているからすぐにそちらへ行かなくてはいけないとか。
それはいいのだが……アリアンヌは綺麗に着飾ったドレス姿なのに、わたくし制服姿のままなのだけど……どうやら着替える暇も与えてくれぬらしい。まぁ、着るものも向こうに持って行っちゃったもの。着替えろと言っても無理な相談だったわね。
「わかりましたわ。すぐに参りましょう」
ここでだだをこねる必要はないし、言ったところで結局引きずられるように連れて行かれるだけなのだから。
◆◆◆
馬車は、当然フォールズのお城へ一直線に向かっていく。
ローレンシュタイン家に寄るとか、そういうこともなかった。
「お父様は?」
「旦那様は既に王宮へ向かわれました」
「そう……」
きっとさぞかし大変なことになっているのでしょうね。
そうぼんやり考えていると、隣に座っていたアリアンヌがわたくしの手を握ってきた。視線を向けると、上目遣いにこちらを伺う彼女の顔に、不安そうな色が強く浮かんでいる。
「……お姉様……なんだか、私……怖いです」
「安心なさい、取って食われるわけではございませんわ。それに……アリアンヌさんは、どうやら教会から認定されたのでしょう? あなたを無下に扱うことは許されないはずです」
「あなたを、って……」
そこに続きそうな言葉はなんとなく分かるのだが、昨日からあまり休めていないのだろう。アリアンヌの顔には疲れが出ている。
「少し、目を閉じて気を休めていては? 陛下の御前に立つ前から緊張していてはよろしくありませんわ」
「はい……そうします……」
と言い、目を閉じたアリアンヌは城に着くまでわたくしの手を離すことはなかった。
フォールズの王宮には、貴族の皆様……もちろんアラストル家やフィッツロイ公爵当主夫妻はおろか、我がローレンシュタインの両親、見たことはないけれどピンクの髪だから多分メラス家だろう。
そして見たこともない貴族の方々。あれ、マクシミリアンもラルフに似ているお兄さん……えーと、ウルリク様? もいる。
騎士団関係ぽい人、ローブを羽織っている魔術師の偉いっぽい人、難しい顔をしている大臣の皆様。
教会の関係者と思しき、白地に金糸の刺繍が入ったローブを着ている年配の方と、しゃんと背筋を伸ばして待機しているセレスくん。
そしてなぜか……理事長と生徒会長までもがいるじゃないか。
なんだこれは。公爵と伯爵が学院で喧嘩したことでこうなったのかしら……騒動どころじゃ済まないのでは?
「やあリリーティア……その格好、貴様平然と通学でもするつもりだったのか?」
壇上から難しい顔をして、こちらに声をかけてきたクリフ王子。彼は両陛下の側……まあもっと正確に言うなれば王妃殿下がお掛けになっている座の横に立っていた。
「仰る通り、そのつもりでしたわ」
「ふん、勉強熱心なことだ。さて、そんな熱心な貴様に――話がある。学院内で、ラルフが起こした不祥事を学院側から聞いた」
ちら、とクリフ王子が見た方向には、当然のごとく理事長とイヴァン生徒会長がいる。
オリオール親子はクリフ王子の視線を受け、黙礼するだけに留めた。
「学院側にはフィッツロイ家とローレンシュタイン家から、施設の破損や学生の治療費の補填を行ってもらうことになっており、両家とも了承済みだ。だが、貴様がラルフを刺激したと――……当の本人がわめいていたが、確かか?」
すごいわ、クリフ王子。あなた偉い人みたいにいっぱい喋っているじゃない。
やればできるのね。ちょっと無印版を思い出して見直したわ。
「それはどうでしょう。わたくしたちが備品を持って戻ってきたときには、既にラルフ様がわたくしを待ち受けておりました。少々意外でしたが、お言葉をかけていただきましたのでそのままご挨拶をしただけでございます」
「ラルフは騒ぎになった貴様の様子を見に来ただけだと言っていた。それなのになぜ二人の間……いや、アリアンヌを含めた三人の間で、学院を巻き込む騒ぎに発展するんだ? お前が……いつも僕にしてくるように、不愉快な言動を与えたんじゃないのか?」
クリフ王子はいつもよりもほんの少し慎重に、言葉を吟味するようにしながら問いを重ねてくる。
わたくし、何らかのイベントが起こると思っていたが……これはなんだか……アレみたいじゃない?
あれは最終試験後だったけど、リリーティアの退場イベントに似てるわ。
シチュエーションは少し違う。お集まりの人々だって、学院じゃなくて……貴族の面々なのだけど。
あらいやだ、これはもしかしなくとも……重要なイベントなのではなくて?
いろいろな意味で、失敗のないようにしなければ。
そうよ。そのために……アリアンヌにも内密に、クリフ王子にご相談させてもらったのだから。
「……つまり、わたくしがラルフ様を攻撃的にさせた、と仰るのでしょうか?」
「そうだ。かねてよりラルフは貴様を嫌っていたとも聞いた。そして、このところラルフは研究していた術により、精神の制御が不安定になっていた。そんな状態で相対することもないと思うが、貴様とのやりとりで怒りを誘発したのだろう」
あくまでも公爵家に配慮した言い方なのは仕方が無いとして……。
アリアンヌをスルーし、わたくしが悪いと決めてかかってくる態度は、なかなかにひどい。
「わたくしは……自身でもラルフ様のひどい言動に耐えたと思っております」
「だが、ラルフは耐えきれなかったから学院の中で魔法を撃つという事件が起きたのだろう!!」
クリフ王子は大きな声を発し、わたくしに指を突き付ける。
「貴様がラルフの怒りを誘発させたのだ!! そうして関わりのない生徒が多数巻き込まれた!! それを貴様はなんとも感じておらず、我が身かわいさに弁解するというのか! 恥を知れ!」
「――……クリフォードさま、お姉様ではなく私が」「アリアンヌ。悪いが、君には聞いていないんだ」
そしてアリアンヌには優しい口調で黙っていろといい、再びわたくしに向き直るクリフ王子。
難癖をつけてくる強引な感じはムカついてくるが、さて、ここからどう運んだものか。
「……つまり、クリフ王子は――」「やめろ! 軽々しく僕の名を口にするな! 貴様は公爵の息子の尊厳を傷つけ、不特定多数の学院生徒たちを危険にさらすような判断をしたんだ! そんな女が、僕の婚約者だと!? 王家の……僕の庇護で許されると甘い考えを持っていたのなら、ふざけるのも大概にしろ!」
「わたくしは――……!」
ふざけてなんかいない。その言葉はクリフ王子の『黙れ』と言う言葉にかき消される。安定のクソデカボイスである。
そして、クリフ王子は勿体ぶったように大きなため息をつき、わたくしをじっと見据えた。
少しばかりの迷いが見えたような目は、わたくしと視線を交錯させているうちに消え、いつもの意志の強い色を浮かべた。
く……くるのかしら。ついに、アレが。
さすがのわたくしも、期待に背筋がゾクゾクするわ。
あ、ダメよ。ニヤついてはいけない。真面目な顔をしなくては。
「リリーティア……、貴様のように教養も品性もなく、他者を思いやることもできず、複数の男を籠絡するようなふしだらで愚劣な女に、王家がいつまでも耐えていると思うか?! いいか、ここではっきり告げよう。貴様に未来の王妃は務まらない!」
クリフ王子はわたくしの反応を見ていたようだが、ニヤつきを抑えるのに精一杯でこちらが何も異を唱えないので……とうとう『ここで宣言する』と告げた。
「フォールズ王国第一王子、クリフォード・ディタ・フォールズは……同王国伯爵令嬢、リリーティア・ローレンシュタインとの婚約を――……破棄する!!」
その瞬間、周囲は大きなどよめきに包まれたのだった。