【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/188話】


 寮生達がだいたい食堂に足を運んでいるだろう……という時間を見計らってきたのかは定かではないけれど、アルベルトがわたくしの部屋を訪れたのは、その日の夕刻だった。


 遅くなって申し訳ございません、と謝罪するアルベルトの目には戸惑いもなく、妙にすっきりとした表情でわたくしと向き合っている。

「全てを捨てる覚悟は完了されまして?」

「ええ……しかし、リリーティア様。俺のことは良いのですが、これはいったい……」


 どうぞと部屋に招き入れると、妙にこざっぱりとしているわたくしの部屋を見て、アルベルトは首を傾げた。


「ここは明日引き払いますから、全て私物を持ち出して借りたときの状態に戻しておりますけれど……」

「……えっ?」


 なぜあなたが、いや学院はどうされるのです、など質問を重ねてくるのだが、こうしている時間が惜しい。


「お願いして良いかしら」


 わたくしは、自分の傍らに立っていたレト――今日は一応耳と目を幻術で隠してもらっている――に転移をお願いすると、彼は無言のまま頷いて術を展開する。


 アルベルトは一瞬で高等魔法を唱えるレトの技量に仰天していたが、わたくしが転移陣に『どうぞ』と言うので……迷いながらも指示に従った。


 アルベルト、わたくし、ジャン、そしてレトという順で転移陣に乗り――……向かった先は当然魔界。

 一応魔王城周辺の疑似太陽は、フォールズ王国の王都周辺と同じような周期にしており……夕暮れ時なので、魔王城のあたりも夕暮れになっている。


 ただ、地上のような夕焼けが広がっているわけじゃない。

 大気の仕組みが違うので、日が照っていても夜になっても、なんとな~く空は赤っぽいのだ。


 なので、地上で見る夕焼けとはちょっと違う、赤みの強い夕焼けを見ることができる。


「……ここは……?」


 見たこともないであろう場所に連れてこられて、あちらこちらに木製の足場が組まれたお城を見つめるアルベルト。


 しかも、そこで額に汗して働く魔物達を見て、一瞬で戦闘態勢に入った。


「ああ、アルベルトさん。そう構えずにいてくださいませ。ここではわたくしたちのほうが異分子なのですわ。それに、今後あなたや……弟さんも、ここで暮らすことになるのですからお仲間になりますのよ。失礼のないようにね」

「な……かま? 魔物と? じゃあ、ここは……」


「魔界です。魔物達の故郷。そして先ほどわたくしたちを転移してくださった方こそ、この魔界の王子、レトゥハルト様です」


 わたくしがそう言って手で指し示すと、むすっとした顔のままレトは術を解除し、元の姿に戻った。


「っ……リリーティア様、あなたはいったい……どういう……」

「その話は後で落ち着いたら、ゆっくり教えて差し上げますわ。今それどころじゃありませんから」


 わたくしは魔王城に入ろうとすると……レトから肩をやんわりと掴まれ、そっちじゃないよと言われた。


「新しい建物があるんだ。ついてきて」


 言われるがまま、レトの後について歩く。わたくしの後に渋々という感じでアルベルトが続き、最後にジャンが続いた。なんで縦列になって進んでるんだろう。


「わたくしは、この地をもっと住みやすくして、魔族をたくさん迎え入れるために動いているのです」


 と道すがら話す。アルベルトの返事はない。


「あなたにそれを『手伝え』とは言いません。ですが、弟さんがもし……良くなっても、悪くなっても。あなたを元の世界には返すことはありません。それだけは受け入れてください」


「……全てを捨ててきたので、元の生活は関係ありません。選択肢として、弟を守れないなら野垂れ死ぬことも考慮していましたから」


「――そう。それくらいの覚悟があるなら大丈夫ね」


 一応、連れてきたのはわたくしだからひもじい思いとか、死なせるようなことはしないけど。


 はあ……ダメね。なんかすぐ、こういう困っている人に手を差し伸べたくなってしまうわ。


 きっと素通りすることよりも全然良いのだろうけど、人間が増え過ぎちゃダメだって自分で決めてるのに。

「ここだよ」


 レトが案内したのは、魔王城ではなく、その裏手にあるレンガ造りの四角い建物。


 窓は二つ三つばかりついているものの、装飾の欠片もない。

 とりあえず作りました的な……なにかしらこれ。倉庫か?


 いわゆるこのテのビルダー的クラフト業界では『豆腐建築』とか呼ばれてそーなアレだ。


「この倉庫に……弟が?」


 やはりアルベルトも倉庫だと認識したようだ。なんたって雨風がしっかりしのげる無駄もない箱だし、見るからに倉庫だものね。


「……とりあえず、魔王城に出入りするものが増えたから……なんでもいいから寝るだけの部屋をゴーレムに数部屋ぶん作ってもらったんだよ」


「……グレイさんの監修を受けていなさそうな建物ですから、後でご相談しましょう」


 大丈夫かなと心配そうなアルベルトは、建物の装飾性ではなく、弟が藁の上かなにかに雑魚寝してないか、という心配なのだと思う。


 安心して、アルベルト。魔界ではやれることなんてまだ少ないけれど、一応……藁の上に転がすということはないはずよ。


 いや、どうかしら。ベッドなんて作ってないし、わたくしたち普通に錬金術でなんとかやりくりしてたけど、紡績なんか知らないから、布も織れないわ。


「……レト、まさか、あの子……藁の上に寝ているっていうことはありませんよね?」

「一応、ベッドは簡素なものを作ってもらったんだ。木の端材をこう組み立てて……」


 どうやら、スノコ状に組んだベッドらしい。そこに寝具を乗せて寝かせているとか。ああ、ちゃんとベッドで良かった。アルベルトもほっとしたようだ。


 中に入ると、きちんと通路があって、いくつかの扉が等間隔で並んでいる。


 個室として区切られていて、プライバシー的なものが守られているワケね。よかったわ。


 レトが一番手前にあった部屋の扉を開け、中に入る。

 わたくしたちも後に続くと、そこには――……あの男の子が眠っていた。


「――……オスカー!!」


 アルベルトはわたくしたちを押し退けるようにしてオスカーという少年の枕元に近付き、顔を覗き込んだ。


 髪の毛を指で優しく梳き、おそるおそる頬に触れ……ああ、と小さく嘆いた。


「オスカー……こんなに、微弱な生命力しか……」


 すまない、といいながら彼の額に自身の頬をすり寄せて、何度も済まないと謝っている。


 それだけの仕草だけなのに、アルベルトが長年抱いていた弟への悔恨の情が痛いほどに伝わってくる。


「オスカー、もう……兄ちゃんが一緒にいる。裏切ることはないから、暴力に怯えるような怖いことなんて二度とない。どうか、目を覚まして……」


 アルベルト自身の気持ちだって、いろいろな混乱や悲しみに押しつぶされそうだというのに、再会できた弟が目覚めることを願いながら、アルベルトはわたくしたちがいることなど既に忘れてしまったかのように――枕元で、何度も弟の名を呼びかける。


 レトがそっとわたくしとジャンに、部屋を出ようと小声で告げた。


 なにかあったらすぐ呼んでくださいと言い残し、わたくしたちは部屋を後にする。

 魔神様。わたくしが勝手に連れてきた人間のことなど、もしや知るよしもないと思われるかもしれませんが……。


 彼の弟は半分魔族です。どうか、まだ命を奪わないでください。


 レトは何も言わないけれど、彼もまた病でお母様を亡くされています。

 ヴィレン家の皆様は……我がことのように心を痛めておられるでしょう。


 魔導の娘であるわたくしが真剣に祈れば、魔神様に届くかしら?

 それとも、そんなに甘いものではないのかな。


 これから魔界のために必死に働きますので、どうか、アルベルトの願いと声が、深い眠りの中にいるオスカーくんに届きますように。


 わたくしは歩きながらだけれど、それでも真剣に魔神様にお祈りしておいた。



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こめんと

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