わたくしはアルベルトに、まずは家を出るなら適当な理由を付けて一筆したためておくことと、今日の夜でも、わたくしの部屋に内密で訪れるように、と告げた。
アルベルトは人目を忍んで未婚女性の部屋を訪ねることへ抵抗を見せたが、それ以外に方法がないというと、渋々頷く。
「今日はアリアンヌもセレスくんも大忙しで、寮に戻るか不明です。クリフ王子もマクシミリアンも寮に戻らないはず。とにかく、絶対本日中に。明日には……なにかストーリーイベントが起きるかも……あ、なんでもありませんの。こちらのことよ。なるべく早めに来てくださいな。自分にとって本当に必要なものだけ持って、ね」
それではお待ちしています。わたくしはアルベルトに囁くように告げ、彼の部屋を辞した。
◆◆◆
午前中にほとんどのことは片付けたが、さすがに疲れた。
寮に戻ってくると、既に部屋は綺麗さっぱり片付いて……人の住んでいた気配すらない。
「――やあ、おかえり……」
レトは窓辺に立っていて、わたくしが帰ってくるのをずっと待っていた様子だ。
「まあ、レトったら……そんなところに立っていて、誰かに見られては困りますわ」
「今日くらい、ここからの景色を見ても良いでしょう?」
見知らぬ男の姿がリリーティア・ローレンシュタインの部屋にあった……なんて、人間が好きな話題じゃないか。
レトはそう言いながら、あの男の子は、と呟いた。
「まだ目を開けない。瘴気はだいぶ抜いたんだけど……心が現実に戻りたがらないみたいだ。精神接続してないから詳しくは分からないけどね」
「しないのですか?」
わたくしには嫌がってもしてくるくせに。ひいきだ。
「俺はリリーにしかしない……けど、なぜしないか分かりやすくいえば、彼の身体は濃縮された毒で満ちているんだ。そんなところに、自分の剥き出しのあれを入れられるわけないだろ? ただでさえ敏感な部分なのに、強すぎる感覚を直に受けたら、俺もおかしくなっちゃうよ」
なんか言い方が少し……いや、結構いやらしい気がするが、わたくしの精神が薄汚れているからだろうか。
そうだ。レトはそんなエッチで思わせぶりな言い方しない。
推しを神聖化しているのではなく……いや、尊いが過ぎるけど……レトはそんな嫌らしい下ネタっぽいことを平気で言うような精神を持っていないはずだ。
きっと『おっぱい』とか恥ずかしくて言えないに決まっている。
結局、精神接続して侵入してくるアレってなんなんだろう。本人がよく分かっていないのに、わたくしが分かるわけもないんだけどさ……。
「なんか変なこと考えてない?」
「アレって結局どんな部分かしら、と思っただけですわ」
「あれは……あれでしかないよ。精神の一部なんじゃないかな、と思う」
名称もないし、他の人には無さそうだし、と困ったようにそう返してくるから、結局『アレ』ということで落ち着きそうだ。そしてどういう器官 (?)なんだろう……。
「そうだ、アレのことについて悶々と考えている場合じゃありませんわ! 魔界にアルベルトさんを連れていきます」
アレのことについて悶々と考えていたのはわたくしだけのようだが、アルベルトも連れて行くというと、レトはまたですか、というように頷く。
「……聞いてた。どうやら、こっちに引っ張ってくるつもりみたいだけど……あの子が助かるかも分からないんだよ?」
ああ、魔王様。どういうわけか、レトまでこちらの行動を聞き耳立てるようになりましたわよ。許せませんわ。
「わたくしたちには彼を目覚めさせることができなくとも……ご家族なら。もしかすると、奇跡を起こせるかもしれません。それに、家を捨ててまで誰かを守りたいと、救いたいと仰った彼の心を――……わたくしは同じ志を持つものとして信じたいのです」
地位や名誉より大事なものがある。
きっと世間には通じないし、理解もされない。家族や周囲からは落胆されてしまうだろう。
「あんたがそう決めたなら、いいんじゃねぇの?」
相変わらず素っ気ない言葉だが、充分そこに信頼がある。
「それに、あいつがやけを起こして斬りかかってきても、返り討ちにすりゃいいだけだからな。問題はないぜ」
「大ありですけどね。まあ、そういうわけですので……ジャン、アルベルトが来る前に……学院に行って書類を取ってきてくださらない?」
「書類?」
「ええ。退学届です。明日必要になるかもしれませんから」