魔族の少年と思い出の詰まった屋敷は、フィッツロイ家に引き渡された。
「俺は、さようならと呟いたオスカーの顔を見ることができなかった。なのに、幸せに暮らせよ、なんてひどい言葉をかけて……」
「……」
彼がどうなるか分かっているのに、そう言ったのなら鬼である。
むしろ鬼いちゃんである。
でも、不幸になるぞと真実を告げられるよりは、その優しい毒のほうがよかった……の、だろうか……わたくしには分からない。
「父はオスカーをとても可愛がっていた。だから、家か一族か、とても悩んでいたはずです。人として正しいとは言えなかったかもしれません。でも、こうするしかなかった」
こうするしかなかったけれど、その後アルベルトは必死に頑張って、近衛騎士団の門を叩いた。
剣術はあまり強くなかったが、魔術の腕を評価されたのだという。
『人間マジで頑張ればなんとかなるっ。お互い頑張ろうな、アリアンヌ!』と、無印版で元気づけてくれていたあの顔ありモブベルトの言葉は、現在の自身にも当てはまっていることだろう。
「あの子は……オスカーは……本当に、死にかけているのでしょうか」
「ええ。死にかけています。むしろ死ぬ覚悟で術を結んだのでしょう」
「術……?」
「ええ。非常に古い本で、絵か記号か判断もつかないものが並んでいる書物です。それが開かれていて……ラルフ様も彼のおかげか、独学か存じませんが……解読をしていたようで……いえ、多分そうかなと」
おっと、うっかり喋り過ぎちゃった。
慌てて取り繕ってみたが、アルベルトは過去に思いをはせているようで、わたくしの話などあまり聞いていないようだった。
「そういえば、メラス家に変な文字の本があって……あれをオスカーはなんとなく分かると読んでいました。あんなに小さい子が読めるなんて素晴らしい、と父は褒めちぎっていましたが……そうですか……」
そこで、アルベルトははっと気づいて顔を上げる。
「……なぜ、ラルフ様の私物までご存じなのです……?」
「…………この際だから申し上げますが、あなたが認識したのはわたくしですのよ」
「――……だから、気配が似ていたのか……そして、そこまで知っているのも納得です」
ああ、やっぱり気配ってなんとなく分かるものなのね。
「わたくしたち二人の間だけの話にしていただけると、とてもありがたいですけれど……そうもいかないかもしれませんわね」
「……俺は、あなたを見て賊だと認識していません。あのとき目が見えなかったので、賊が誰だと特定はできない」
という優しい言葉をいただいたが、アルベルトが敵になったら『こいつです!』って言ってくるかもしれないな。怖いわ。
「その……オスカーは……どのような状況で発見されたのですか」
「仰向けに倒れていて、既に意識を失っていました。不衛生な環境に置かれつづけていたようで、身体に打撲や火傷の跡も。言いにくいのですが……最近ではなく、以前からそういったことは続いていたようです」
「…………俺たちのせいで」
再び、アルベルトは顔を手で覆い、オスカー、と弟の名前を悲しそうに呟いた。
そんな態度を見たこちらまで胸が詰まりそうよ。
とっても気にしていたのに、辛いわよね。
「俺たちが、あの子を不幸に追いやってしまった……!」
「嘆かれるのは構いませんが、彼はあのままでは確実に死んでしまいますわ」
その言葉にゆっくり顔を上げたアルベルトは、泣きそうな顔で『お願いです』と懇願する。
「弟を……オスカーを助けてください……!」
アルベルトの言葉に、わたくしは耳を疑った。
「――……なぜ?」
だから、その問いが唇からこぼれ落ちてもおかしいことはなかっただろう。
そして、当然助けてくれるとでも思っていたのか、驚愕したアルベルト。
「なぜ、って……オスカーを助けてくださったのではないのですか……?!」
「わたくし、助けたとも保護したとも言っておりませんわ。見つけたと言っただけです。追われる状況下でどうやって連れ帰れというの?」
「そんな……」
まあ、あのままアイテムが使えないという失策で捕まっていたのは否めないが……。
「仮に連れて帰っていたとして。わたくしのやったことが、ローレンシュタイン家にどんな影響を与えるか。いくらお父様やアリアンヌさんが頑張ったとしても、かつてのメラス家と同じ道をたどるだけです。一目見て危ないと分かっているものを、拾って帰るわけがありません」
まーローレンシュタインに必要なくても、魔族を助けるという魔界の方針があるから、誘拐してきちゃったんだけどね。
「わたくしがメラス家やフィッツロイ家と取り引きする余地はございません」
「じゃあ……あなたはそこまで我々に話しておいて、あの子を見殺しにしろと? 死んだ後、亡骸を無残に捨てられて犬やカラスの餌にされても、知らぬ存ぜぬを決め込めと!? あんまりではないですか!」
「あなたは勘違いをしておられますわ。伺ったとき『メラス家には魔族の子供などいない』そう仰ったではありませんか。あなたたちはあの子を捨てるしか生きる道がなかった。そしてあの家は……ラルフは嬉々として手に入れたおもちゃで実験をした。路傍の石を避けるように、弟さんを見捨てたわたくしを恨むのは結構ですが……あの状況下では手の施しようもありませんでした」
「………………」
アルベルトは無言で拳を握る。
どうしようもなかった。
どうしようもない。
その状況は今も昔もなにも変わらないことに、無力さを味わっているのだろう。
「……あなたがたはもう関わらないと決めていた。なのに、聞きたい案件のついでのように蒸し返したわたくしの言葉は、ただの雑音にしかならなかったでしょう……どうかお忘れください」
そう言って席を立つと、アルベルトはわたくしの名を呼んだ。
「…………ご助力、願えませんか」
「ですから――……」「家は捨てます」
そうはっきりとアルベルトは言い切る。
「あなたにもそれ以後迷惑はお掛けしません。弟をあの屋敷から取り返し、俺は家を捨てて……姿を消します」
彼の目は澄んでいて、嘘を言っている気配はない……と思うが、大丈夫なのだろうか。
「家を捨てるって……あんなに一族の決断にこだわっていらっしゃったのに、そんなすぐに決められることなのですか?」
「小さな区域しか領土がなくとも、血の涙を流しながら親が決めたことです。それを裏切ることはできませんが、俺は……あの日から、公爵家に何度も足を運びました。その度に何度も弟に会えないかと懇願しました。ですが、そんなものはここにいないという一点張りで。それならどこにいるか、どうしているのか……もう死んでいるのか、ずっと知りたかった。だから、また……」
また、と言いながら自身の手を見つめるアルベルトは、声を震わせながら崩れ落ち、膝を床についた。彼の目から、大粒の涙がこぼれている。
「……また何かを守るために何かを差し出し、犠牲を増やす。そんなことをしても……弟は助かるかどうかも分からない。あなただって俺を手引きして無事で済むわけがない。こんなことが、自由に繋がるわけがない! でも、家ができないことなら、個人ならできる……! 俺は、弟を救いたい……!」
救いたいんです、という慟哭が部屋に満ちた。
「――……わたくし、顔つきモブで元気の良かったあなたのこと、割と嫌いじゃなかったですわよ。毎回イベントが終わるごとに話しかけてみたりしたのです。そのたびにクスッと笑ったり、バカだなあと思ったり。でも基本的に、心の優しい、頑張り屋なのにマクシミリアンのおかげで攻略対象になれず、埋もれて不遇になったあなたは……今回も優しい人で良かった」
恨むなら『マクシミリアンだけで良いじゃん』て思ったディレクターを恨むべきだ。
「……何を言って……?」
急に意味の分からないことをいいだした令嬢を、目を真っ赤にしながらも不思議な顔で見るアルベルト。
「リメイクで設定が変わって、そんなふうになって……でも、仕方がありませんわよね。あなたは無印版とは違う。あなたはもう自由に行動し、その結果がこの手段になった。つまり、あなたはアルベルト・メラスでいなければならない理由より、ただのアルベルトになろうというのね」
前半なにを言っているか分からないだろうが、家を捨てるという意味なんだろう、というニュアンスは伝わったらしい。アルベルトは真摯に頷いた。
「その通りです。俺は、アルベルトという名すら捨て、弟を救って生きます」
「結構。じつに結構ですわ……! あなたはもうモブじゃない。ひとつ教えてさしあげるわ、アルベルト。どうしても弟と自由になりたかったら――……わたくしと行動を起こすしかございませんのよ」
そう言ってわたくしは、ふふんと笑った。