「――……子供の頃、確かにラルフと一悶着あったな」
当時をよく知るMさん(18)が仰るには、ある日フィッツロイ公爵家でパーティがあったときに起こったそうだ。
わたくしの知っている情報……元々はメラス家の物件だった、ということは伏せて公爵家の場所はどこだったか聞いてみると、そのときには既にフィッツロイ家はあの屋敷に住んでいたようだ。
「ラルフ様は、わたくしが池の魚を捕って欲しいようなことを言ったそうですが……」
「ああ。子供だったにしろ、水位はラルフの胸くらいまであった池だ。大人でも膝か太ももくらいまではあると思う。びしょ濡れで佇むラルフに、皆驚いていたぞ……おい、人に尋ねておいて菓子ばかり見るな。好きなのを食べても良いが聞け」
マクシミリアンの顔を見るより、お菓子を見ている時間のほうが長かったのが気づかれてしまったようだ。
おほほと愛想笑いしていると、マクシミリアンがどれを食べるんだと聞いてきた。どうやら取ってくれるらしい。
「とりあえず好物しかないので全部いただきますわ」
「もうダンスも教えていないんだ。運動不足状態でバクバク食べて太っても知らないぞ」
乙女への禁句をさらっと言ってしまうマクシミリアンは、ひょいひょいと小ぶりのケーキを皿に盛り付け、クッキーを数枚皿の端に載せる。
「ふ、太りませんわ。錬金術は、糖分を大量に使いますもの」
「砂糖を使う学問なんて聞いたことない。パティシエも驚くぞ」
だって、わたくしの師匠のエリクはとても甘党ですのよ。一緒にカフェに入ると、甘そうなものを何個も注文して平らげてしまうのですもの。
「イスキア先生だって絶対甘党だわ。あの先生の場合は、胸にしか栄養が行かないのよ。だからメロンみたいに育って……見ていると羨ましいやら目の毒やらで困りますわ」
「褒めているのかどうかわからないが、女性同士だからといって、そんなところをじろじろ見るのは失礼ではないか?」
「マクシミリアンは、先生の事を間近で見たことがないから分からないでしょうけど……歩くだけで凄いの」「胸の話はどうでもいい、人の話を聞け!」
どーでもいいってことはないでしょう。レトもそうだけど、マクシミリアンもすぐそうやって恥ずかしがって話を逸らすんだから……。
「――……そう、びしょ濡れのラルフにどうしたのかと尋ねてみたら、俺は恐ろしい顔で睨まれた覚えがある。リリーティアもお前も大嫌いだ、と言って腕を惹かれ、池に落ちたんだ。そこから親も出てきて、互いに諫められた。そんなときに、君ときたら大喜びで俺たちを指さして『カエルみたいでなんて無様なのかしら』と笑っていた」
パーティの会場で、主催者の息子さんにわがままを言って池に追いやり、挙げ句の果てに『マクシミリアンのほうが面白い』と言いすて放置して去って行く……そして間が悪いことに当のマクシミリアンが来て、どうしたのかと悪びれもなくいわれたら、彼が悪くなくても八つ当たりくらいしたくなるだろう。
池に引っ張り込んで憂さを晴らそうとしたら叱られて、それを見たリリーティアはゲラゲラ笑っていた……というのか。ド畜生クソガキサイコパス令嬢こわすぎる。
「……言動に微塵も反省が感じられないわ。そいつは悪魔なのかしら」
「その悪魔はなにを隠そう君自身なのだが? そうか、それが今回の引き金だったか」
恐怖にわなないていると、マクシミリアンの冷静な突っ込みがわたくしの見知らぬ黒歴史をえぐる。彼も当時を思い出して、静かに腹を立てているのかもしれなかった。
「わたくし、ラルフ様に当時のことを覚えているかと聞かれ、即座にいいえと答えて……そう……『そんなこと』は、ニュアンスに誤解を与えてしまったけれど、言葉選びとしては確かにいけなかったわ」
そりゃあねえ、ブチ殺したくもなるってものだ。
「――……あ、そうだわ。ラルフ様のことはもうどうしようもないかもしれませんけれど、教会がアリアンヌさんを戦乙女だと大々的に祭りあげて大丈夫なのかしら? 貴族にもなんらかのパワーバランスなどが生じるのでは?」
「全くない、ということはないはずだ。ローレンシュタイン家は様々な理由から注目が集まるだろうが……フィッツロイ家との対立がなければいいな」
「そこは……わたくしだけが憎まれているようです」
アリアンヌの株が相対的に上がるなら、結果的に良いことではあるが……。
「クリフ王子は王宮にいらっしゃるでしょうけど、アルベルトがどうなったかご存じ? 近衛騎士団か、メラス家に戻っているのか……わからなくて。ご一緒に教会に運ばれたりは?」
「アルベルト……いや、俺も意識が朦朧としていたので、周囲に誰がいたなどはよく覚えていないが、いなかった……と思う。そうだな、彼も間接的に被害者か。俺たちと同じく体調に問題がなくとも今日は休む……とすれば、騎士団の宿舎にいるんじゃないか?」
騎士団の宿舎か。
マクシミリアンはわたくしに場所を説明した後、もし咎められるようなことがあれば、これを父上に見せてくれ、と言って彼が一筆書いてしたためてくれた。
多分『俺がリリーティアに良いって言いました。このバカ令嬢がなんぞやらかしたらごめんなさい』みたいな事が書いてあるんだろう。助かります。
「――では早速行かなくては。慌ただしい来訪でごめんなさいね」
「それは構わないが……アルベルトに話でもあるのか?」
「ええ。急ぎの用事が。明日には不要な話になるかもしれませんの」
マクシミリアンにお大事にと告げて、ジャンの待つ応接室にたどり着くと……。
『――それでね、マックスが全然動かないからこうして後押しをね? あなたもそういうほうが良いと思わない? リリィちゃんたら、あんなに可愛くてたまらないもの! 心配だわ!』
『さあ。本人達が乗り気じゃねぇでしょう』
ドアの向こうから、ディートリンデ様のなんだか嬉しそうな声が聞こえてきた。
若干、ジャンの声が疲れているが、ある程度譲歩して敬語っぽいものを使ってくれている。なに話してるんだ?
と思ったら、人の気配を感知したのか扉が開き……わたくしの姿を認めたディートリンデ様が目を丸くしていた。
「ジャン、お待たせしました。そろそろおいとま致しましょう」
「はいよ」
返事と一緒にさっと立ち上がった。さっさと出ようという意思が行動から感じられる。
「残念だこと。まだ話し足りなかったの。また話し合いましょう?」
「機会が次にあるなら、ですかね」
もうねえよ、と聞こえないように呟いたジャンは、すぐに背を向けて玄関へと向かっていく。
何度もわたくしたちの帰りを『もう少しいたら良いのに』と惜しんでくださるディートリンデ様に礼を告げ、わたくしたちはアラストル家から失礼したわけだが……。
「ねえ、ジャン。ディートリンデ様とどんなことを語らっていたの?」
「……息子自慢みてぇなモンだ」
「わたくしのことも話していたような……」
「さてね。半分以上聞き流してたから知らねぇ」
既に疲れたというジャンだったが、騎士団の宿舎に行くというと、そうか、となにやら神妙に呟いた。
「あいつ、どう出るか分からねぇぞ」
「構いません。わたくしたちが取るべき道は……もう決まっていても、話を持ちかける必要はありますもの」
そう、とても大事な話があるのよ。
一人の男の子が、そのまま死ぬかもしれないのだから。