しっかり膝を折った礼をしながらご挨拶したのに、ラルフは『気に入らないんだよ』と、いきなり先制攻撃をしかけてきた。
「同じ学院に通うってことも、こっちの顔も名前も知っていたなら、先に挨拶に来るのが筋ってヤツだ。今更はじめましてみたいにされるのも虫唾が走る」
だって、はじめましてだもん。
彼にとってわたくしと話すことが初めてじゃなくとも、話している感じ、親しさもない。
むしろ嫌っているという雰囲気がビシビシ伝わってくる。
クリフ王子みたいにケンカしても、ちゃんとお話しできるわけでもなさそうだし。
あまり話したことがないアルベルト以下……いや、ほぼ知らない人という扱いでしか無いと思うんだけど……そして、相手は格下を蔑む王道貴族っぽい感じ。
いや……もしかすると、あのモヤモヤが蓄積したせいで怒りっぽくなっているだけなのかもしれない。しかし、なにぶん普段のラルフというのがどういう性格かわからない。
「不快に感じられていらっしゃったとは……申し訳ございません」
「お前の存在自体が不快だ。見ているだけでイライラする」
イライラって……勝手にこっち見てるのはあなたのほうじゃない?
言い返すと大変なことになりそうだから、とりあえず様子見をしながら会話を引き出すとしようか……。
などと考えていると、ラルフの視線がジャン……の持っている机に向けられた。
「――……それは?」
「ああ……使っていたものと交換していただきましたの」
一連の騒ぎでわたくしがイヴァン会長に連れて行かれたのを見ていたはずなのに、机がどうとかまでは見ていないのかな。
「今朝わたくしの机に素敵な贈り物が入っていましたが、それがクラス中を巻き込むような騒ぎになって。どうやら、送り主はプレゼントを渡す相手を間違えたのかもしれませんね」
「クラス中を巻き込んだというのは、あの騒ぎだろう? ひょっとすると、お前に都合の良くないことが起こったんじゃないのか? 人の恨みでも買ったりしていそうだからな」
「そんなはずございませんわ」
わたくしはコロコロと笑いながら口元に手を当てた。
そんな仕草もラルフはムカつくのだろう、何がおかしいと言いながら、こちらを睨む表情が余計きついものになる。
「わたくし、他者に羨ましがられても……恨まれることをした覚えなんてございませんもの」
「――……っ」
その瞬間、ラルフの纏う雰囲気に明確な変化を感じた。
今まで熱を持って揺らめいていた怒りの質が変わったというか……まあ怒りから殺意に変わったと言い換えて差し支えなさそうだ。
いくら怒りっぽいと言っても、ここで掴みかかってくるような間抜けじゃないだろう。
油断しないように、もう少し突っ込んだ話題を振る。
「そうそう、昨日クリフ王子が面白いお手紙を見せてくださいましたの。内容はなかなか刺激的でしたわ……雰囲気もとても趣向を凝らしていたようでしたし、あんなお手紙が出せるなんて素晴らしいかただと、わたくし感心致しましたわ」
「面白い手紙……?」
なんだか声の抑揚まで消えてしまったわ。そんなに怒っているのかしら。
まあ、疑問に感じたり怒ってもらわなければ困る。これだけ煽っている意味がなくなっちゃうもの。
「ええ。フィッツロイ家に持っていくと仰っておりましたから、ラルフ様もご存じ……でしょう?」
そう振ってみたが、はたしてあなたはどういう返答をくださるのかしら。
するとラルフはあっさり、知っているに決まっているだろうと言い放った。
「クリフォード殿下が見せてくださった。確かに面白い手紙だったよ」
さすがにここで余計なことを言ってボロは出さないわね。
「そうでしょう? それでクリフ王子宛の手紙と今日のわたくしへのプレゼント。考えてみたのですが、どうもちぐはぐではありませんか。あんな熱意のある手紙を送ったのに、プレゼントは別の人間へ……、なんておかしいわ。送り主は席を確認する間もないほど慌てていらっしゃったのか、クラスが違うからわからなかったのでしょうね」
クリフ王子はいつもクラスの真ん中あたりに座っているが……アリアンヌと話すために、彼女の横に座ったり、わたくしの席に来たりするのだ。
わたくしの前の席がアリアンヌだから、必然的にわたくしの側でクリフ王子も話すことが多い。
別のクラスの方では、きちんと調べないと分からないでしょうね。
「プレゼントというが、一体どんなものが入っていたのか教えろ」
「――あら。先ほど廊下からご覧になっておりましたでしょう?」
「フン、背が大きくなくてね。人の肩越しでは何も見えなかった。こんなことを言わせて恥をかかせるな」
「あら、ごめんあそばせ」
なるほど。確かにラルフの身長は、そんなに高くない。アリアンヌとだいたい同じくらいだから、160センチ半ばくらいか。
「プレゼントはスライムの死骸でしたわ」
「……へぇ? それをプレゼントと言える感性がどうかしているんじゃないか?」
「そうかしら。送り先を間違っていたとしても、そのスライムだって捕まえて、机の中に入れた送り主がいるわけでしょう。そうなると、その人の感性も残念だったわけではないかしら」
「本気で贈り物と考えているなら、お前の頭はどうかしている。国母になるのは諦めるべきだな」
くだらない時間だったと吐き捨てたラルフは、くるりと踵を返す。そのまま教室に戻るつもりのようだ。
「そういえば、ラルフ様は廊下にたたずんで、いったいどうされましたの?」
「一応騒ぎになっていたので、殿下とのよしみもあるからお前に声でもかけておこうと思っただけだ。時間の無駄だったな」
「まあ……お優しい。ありがとう存じます」
背中に投げかけてみても、振り向く気配も反応する気配もない。
彼の教室はこの二つ先。わざわざこちらの教室近くで、戻ってくるのを待っていたのだ。
こちらに人数がいたからこの程度で済んだのか、もともとそうするつもりだったのかはわからないが。
でも、わたくしはあなたをこのまま帰すつもりはないのよ。
「ねえ、そういえば。さっきから気になっていたのですが……どうしてあなたの袖口に、スライム片と赤いインクがついているのかしら」
そう言った瞬間、ラルフは歩みを止めて自身の腕を曲げて袖を確認し……なにも付着していない袖を見た。
「――……!!」
意味を悟ったらしいラルフは勢いよくこちらを振り返った。
「あぁら、ラルフ様。そんなに慌ててどうなさったの? まさか、身に覚えがおありですの?」
彼の目に映ったのは、したり顔で自分を見ている、忌々しいリリーティアという女の姿だろう。
「お、まえ……っ……!」
全身を怒りに震わせ、やりやがったな、と漏らす。
「……わたくし、自身の護衛に聞いただけでしたのに……どういうことか、お話を伺いましょう」
もちろん鎌をかけたのだが……ここにいるわたくしたちの中で袖が汚れているのは机を拭いていたジャンだけだ。クラスも違うし、触ってもいないはずのラルフにそんなもの、あるわけがないのだ。
彼が本当に何も関係ないのなら、自分の事とも思わずに終わっただろう。
一瞬の気の緩みで、全て台無しになってしまったわね。
「ふふ……あら、ラルフ様。そんな怖いお顔をなさらないで?」
「――……ふざ、けるな……」
「あら、心外ですわね。わたくしふざけてなどおりません。そうだわ、本日クリフ王子もマクシミリアンも欠席されておりまして……本気で心配しておりますのよ。ラルフ様、昨日何があったかご存じなのでは?」
「ふざけるな……ふざけるなッ……ふざけんなああァァッ!! お前、昔からそうやって……俺を小馬鹿にしやがって!! その目が、その口調が苛立つんだよ! どうしようもないくらいイライラするんだよ!!」
ラルフは口角泡を飛ばす勢いで、わたくしを指差し怒鳴りつける。
この目やら口調が昔からどうのこうのと言われても、わたくしは彼に何を言ったかすら分からない。
廊下から怒鳴り声がすれば、なんだろうと思って教室から覗くヤツも出てくる。
実際に数人が窓の向こうからこちらを見ているのに、全然気にも留めていないラルフは更にまくし立てる。
「知ってるんだろ、もう気づいてるんだろ!! 脅迫状をクリフォードに送ったのも、お前の机にスライムとインクを入れたのも、屋敷で奴らが倒れたのも――全部俺がやったって! それを聞きたかったんだろ!!」
その口で確かに、ラルフはそう語った。