ラルフの変化は公爵様にもわかるくらいのものだったとして、じゃあなんでこんなになるまで放っておいたんだ! という苛立ちはあるわね。
そろそろヤツとも顔合わせの一つくらいは行っておかないといけないが、わたくしが持ち合わせている(ことになっている)手札は彼が公爵家の息子ということと、クリフ王子達が昨日フィッツロイ公爵家に出向いたこと、そして欠席しているということだけだ。
彼に話しかける要素としては悪くないが、急に襲いかかってくるかもしれないから注意しておかないと。
「公爵家の皆様を治療されたということは、クリフ王子やマクシミリアンも……?」
「いえ、王家には王宮魔術師の皆様も、賢者様もおいででしょう。王子はそちらに。マクシミリアン様は、教会で同じように治療されたのち、アラストル様がお連れになりましたよ」
王家と教会は関係性が難しくて、とセレスくんは肩をすくめたが、まあ万能薬でも飲ませれば症状が消える(と思う)から、クリフ王子も治っていることだろう。
マクシミリアンは、頭にたんこぶができていないかも気になるし……放課後にでもお見舞いに行ってこようかな。
そんな話をしていると、生徒会室の扉が乱暴に三度叩かれる。
「――おい、いつまでベラベラ喋ってんだよ。机持ってきたぞ」
ジャンの声だ。
「粗野な男だ。声もうるさいし、あれならカラスの方がマシですね」
イヴァン会長は嫌そうに戸口を見た後、思いっきり毒づいてから防音結界を解除し、席を立つ。
「――ご説明いただいた件に関し、書類はこちらで作成しておきます。後に書類を貴女のところに持っていきますので、その際確認とサインをお願いできますか?」
「ええ。よろしくお願い致します」
了承の返事をすると、イヴァン会長はにっこりと微笑みを向けた後、面倒くさそうに扉を開く。
扉の向こうには、赤いインクで汚れた手をじっと見ていたジャンと、椅子を抱えたアリアンヌがいる。
「まあ、アリアンヌさんまで来てくださったの?」
「交換するなら机と椅子を一緒に持ってきた方が良いかと思って。それに、ちょっと教室に一人では……居づらくて」
ジャンさんに来なくて良いっていわれたけど、ついてきちゃいました。
そう言ってアリアンヌは苦笑いを浮かべ、棚と書類ばかりの生徒会室の中を見る。
「セレスティオさんがいるから大丈夫だと思いましたけど……あの人に怖いことされませんでした?」
「それはもう、恐ろしい時間でしたわよ」
ええ、本当に恐ろしかったわ。
サスペンスや推理モノの犯人は、こんな感じで探偵役に追い詰められて、冷や汗が止まらなくて、結局『仕方がなかったんだ』と自白してしまうのだ。
しかもなにが怖いかって、この探偵役の生徒会長は、わたくしを追い詰めるだけ追い詰めて『あとはこっちで適当に書いておきます』みたいなことを言うのだ。
弱みとして握られるんじゃないか、って考えちゃう。
わたくしが不安そうな顔をしているのが見えたのか、イヴァン会長は『強請ったりしませんよ』と笑った。
「強請ろうと考えるなら、どうしても隠し通さなければならないくらいの強い証拠を握るに決まっているでしょう。まあ、現状ないことは――……どうでしょうねえ」
「実際握っていそうで怖いですね」
セレスくんの言葉に、誰が示し合わせたというわけでもないままわたくしたちは頷くと、イヴァン会長が表情を曇らせる。
「そんなにひどい人間に見えますか」
「ジャンさんを怒らせたら、痛みを感じないまま一撃で殺してくれそうですが、生徒会長さんを怒らせたら相手を殺さず、ギリギリのところまでいたぶって、傷を治してまた同じ事を繰り返しそうで怖いです」
アリアンヌの比喩もとてつもなくひどいのだが、まあ言わんとするところはわかるかな……。
イヴァン会長はにっこりと微笑み、貴女に恨みを持った際にそうさせていただきます、と優しく告げて、アリアンヌを震え上がらせた。
一応イヴァン会長はピュアラバ世界の攻略対象キャラなんだよ。
というか、ここにいる男全員、あなたがその気になったらルートが開いたであろうメンバーだよ。
それがジャンには嫌われていて、一番良さげな相性だと思ったセレスくんとも進展がなく、イヴァン会長とは無関心という絶望的なラインまで落ちているじゃないの。
アリアンヌがこんな暴言を攻略対象に吐くのも、相手にどう思われても構わないという態度の表れなのだろうか。
無印版だったら多分今の『……これ以上貴女と一緒にいると、具合が悪くなりそうなので失礼します』的なこと言われてると思うわよ。
アレは割とこっちの精神にダメージを与えるから、嫌な顔された瞬間即ロードだったんだよ。
自分に与えられた精神的なダメージをプレイヤーにも見舞ってくるから、会長推しのピュアラバガールに『呪詛返し』って言われてたヤツだ。なるほど、この辺からリメイクは腹黒に変換されたんだろうな。
しかしアリアンヌ……。好きな相手にだけ全力で挑むとか、硬派すぎる攻略だ。漢か。ゴリラだけど。
生徒会室に隣接した備品倉庫から新しいものを出して、インクで汚れた机と椅子を倉庫にしまう。
ジャンに机を持ってもらい、わたくしが椅子を抱えて歩く。
「お二人とも、お付き合いしていただいたのは本当にありがたかったのですが、一時間目の授業に間に合わなくて申し訳ございませんわ」
そう謝罪すると、アリアンヌとセレスくんは穏やかな顔で首を振る。
「それと、ジャン。お掃除ありがとうございました」
「いいぜ。金貨1枚もらうからな」
守銭奴か。しかも床拭いただけで金貨をもぎ取られるのは冗談じゃない。
「高すぎますわよ」
「おれがやったんだから、その価値は充分あるはずだぜ」
意味のわからない返答に首を傾げながら、もうすぐ教室に着くというところで――……まだ授業中のはずなのに、廊下に男子生徒が立っているのが見えた。
堂々とサボっている豪胆なヤツだなと思ったが、人物に見覚えがある。
ハニーブロンドのくせっ毛、王家の血筋が多少受け継がれているからだろう、薄いグリーンの瞳。
セレスくんと同じ学科を示す青いペリースマントが、僅かに揺れる。
――そう。ラルフ、というあの青年だ。
「リリーティア・ローレンシュタイン……」
ラルフは年頃の男子にしてはやや高めの声で呟き、憎々しげにその双眸でわたくしを睨み付ける。
「ええ。わたくしがリリーティアでございますわ、ラルフ・カベアル・フィッツロイ様……あなたのほうからわたくしにお声がけくださるなんて、嬉しいことです」
まさかそちらから出向いてくださるとは思わなかったわ。
わたくしは彼の強い視線を受け止めながら、フッと挑戦的に笑った。