【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/174話】


 レトたちにお風呂と着替えまでさせた男の子は……全身すっかり綺麗にされて、その身をとりあえずソファに横たえている。


 様子をじかに見ていたわけではないけれど、全身洗ってもらったって事は、お湯を頭から大量に浴び、泡だらけにされて、全身もみくちゃにされただろう……と想像するのだが……驚くべき事にまだ目を覚まさない。


 衰弱しているのにお風呂へ入れるのもどうなのかと思うが、不衛生だって様々な病気になるのだし、そのままベッドに寝かせるわけにもいかなかった。


 何よりレトやヘリオス王子が『魔族だからこれくらいなんでもない』という謎の根拠を発動させ、実際 (?)に、少年はなすがままで現在もこんこんと眠っている。魔族って凄い。


「どういう状況で倒れていたのかわかりませんが、お腹空かないのでしょうか……」

「ああ……最初は辛いけれど、感覚が麻痺すると、空腹かどうかわからなくなるのさ。身体が動かなくなってから、ああ、これは危ないんだなと理解できるだけで……」

「そうそう。割と空腹って、慣れると耐えられるんだよ」

 魔界の王子様は二人揃って同じ見解をお持ちのようだ。


 食べることにしか興味を見いだせない人々が聞いたら、人生の半分以上を損しているとか生きる意味を感じないと言われることだろう。


 レトやヘリオス王子は食べたくなかったのではなく、食べたくても食べられないからそうなってしまっただけなのに……うう、当時のヒョロゴボウ姿を思い出して、また目頭が熱くなってきたわ。

「というか、食べ物の摂取より……身体機能の回復を図っているのだと思うよ」


 そう言いながらレトは、少年の身体に幾つもの傷やあざがあったことを告げる。


「……無数にあった。古いものも、新しい、ものも」

「他者に肉体も精神も傷つけられて、この少年は弱ってしまったと思うね」


 王子様二人は強く憤りを感じているらしい。

 かくいうわたくしだって、気持ちの良い感情ではいられない。

 誰がこんなことを、という言葉だって口にするのは白々しい。


 あの家の誰か。いや、隠し通路と繋がる部屋で過ごしていた人物。

 あんな部屋で魔族の少年を隔離して――……って、そうだ。思い出した。


「レト、わたくし……大変なものを見つけましたの」


 世紀の大発見ですわ、と言いながらドヤ顔で鞄から取り出したのは――……あの魔界文字で書かれているボロっちい本だ。


 それをレトの鼻先に突き付けるようにして見せると、金色の眼を大きく見開き、これは、と声を発している。


「――……友達に差を付ける、呪術大特集」

 妙なことを口走ったな、この王子様。

 わたくしが何言ってんだこいつというような顔をしても、レトは本の内容に興味を持ったらしい。


 わたくしから本を取り上げるようにして受け取ると、ページを開いた。興味を持ったヘリオス王子も横から覗き込んでいる。


「『目次』『あの子の気持ちが本物かどうか知るおまじない』『その気にさせる呪術』『恋のライバルを蹴落とす魔法』うーん、どれも微笑ましいけど……興味深いね」

「ちょ、ちょっと! さっきからなにワケわからないことを仰っているんですの!?」


 わたくしが本を取り上げようとすると、レトはなぜか取り上げられまいと隠す。


「本当だよ。ちゃんと魔界文字で書いてある。作り方もあるよ。材料の後に『魔界で見たことがないが、地上にはきっとあるはず』って書いてあるけどね」

「……女の子が読んでる占い雑誌みたいなことが書いてあったとして、じゃあ……この魔石はなんの効力があるのです?」


 再び取り出した戦利品……少年が手のひらに載せていた、ピンポン球みたいな大きさの魔石を差し出す。


 二人の王子様は、その水晶を調べつつこれじゃないな、などと言いながらページを手早くめくり、該当項目を探しているようだ。


 ちゃんと文字を読んでいる……のかな。だとすれば、紛れもなく魔界文字で書かれた本なのだろうけど……。


「――あった。これだ」


 少しだけ嬉しそうな声を発し、ヘリオス王子が文字の羅列の一部を指し示す。

 わたくしには謎の記号が並んでいるようにしか見えないのだが、彼らに意味は通じているらしい。


「ええと……『夢見る呪術』……かな?」

「そんな可愛らしい感じで紹介されているのですか……」


 レトとヘリオス王子が、魔界文字の読めないわたくしに代わってその項目を読んでくれた。


 抑制されすぎた思いは、良くも悪くも心身に強い影響を発する。

 それほど強い力を生み出すものを、なぜ溜めてしまうのか? なぜ溜めなくてはいけないのか?


 その願望は、自分を表現するために必要なのではないか?


 自分で自分を偽り、檻に入れ、自制した先に幸福はあるのか。

 欲を解放し、己を解放すればいい。

 なにもない魔界で望むことは――食べる心配をせずに生きるということ。

 明日をも知れぬ運命のなかで、己の心くらいは自由になると良いだろう。


 食べるものもなく、生まれても死にゆくことしか残っていない我々には、ほんのひとときの夢くらいしか――……楽しいことがないのだから。


 

……という記述の後に、作成方法が記されているらしい。


 これを書いた人は、学者か術士か作家か。

 それは今となっては不明だけど、なんと悲しい記述だろうか。


 読み上げた二人も、居たたまれない顔で魔石を見ている。

「……これは、本当の意味で夢を見るための装置……だったのですか」

「そうみたいだね。ずっと使っていると、生きる行為を放置して深い眠りに陥るみたいだ――……その子みたいに」


 クリフォードや王妃も長い時間使っていなかったみたいだから、昏睡はしなかったんだろう。とも言った。


 地上の王族はなかなかにお忙しい。

 失礼ながら、暇だと一日中寝っ転がっている魔王様とは違うのだ。


 クリフ王子が何時に寝ているとか、何時間睡眠だとかは知らないが、暇を持て余すこともほぼないから、王妃様は言わずもがなだろう。


 フィッツロイ公爵家も、この魔石の意味を知ってか知らずか、使っていても今まで大騒ぎになっていなかったのだから……忙しいことが命を救う結果に繋がったかもしれないとは皮肉なものだ。

 この子は犠牲になる一歩手前にいるのか。

「なんとか……なりませんの? わたくしにもできることがあれば手伝わせてください」

「……父上に見せてくる。俺たちじゃ、どうすればいいか……わからない」


 ごめん、と謝られて、わたくしは首を横に振ることしかできなかった。

 謝るべき相手は彼じゃないのだ。


 ぶかぶかのシャツを着せられた少年を抱えあげ、レトはさっきの本をヘリオス王子に持たせると、転移で魔界に戻っていく。

 残されたわたくしの近くに、どんぶりが猫の姿で悲しげに近寄り、頬をすり寄せる。


「……心が荒れておるぞ」

「わたくしが、勝手に荒れているのはおかしいわよね……」


 どういう経路であの子がフィッツロイ家に来たのかも謎だ。

 書物を見て生成したものが……外界との接続を遮断して、静かに命を閉じていくものに等しいなんて考えたくもない。


 しかも、それは……欠片といえど他者の手に渡って、人の心を乱している。


 許せないと義憤に駆られているのはおかしいだろうか。


 あんなものを作ったあの子を責めるべきか、メルヘン書物に恐ろしいアイテムを記載した作者を恨むべきか、悪用したラルフをフルボッコにするべきか……いや、そもそも関係のないわたくしに、何をどこまでやっていい権利があるのか……。


 自分のなかで動揺と悲しみと怒りがごちゃごちゃになる。

 同胞が痛めつけられて、なお冷静でいようとするレト達は凄い。


「リリーティア、落ち着かんか。おぬしは……嫌な真実を知ったかもしれんが、おぬしが見つけたから手遅れにはさせなかったんじゃぞ」

「…………」

「それとも、見つけなかったらどうなったか知りたいか?」


 その言葉に、わたくしは力なく首を振って拒否した。そんなもの見たくない。


「おぬしのおかげで、あの子は最悪の事態に陥らなかった。魔界にはおぬしの師が作った霊薬もある。死ぬことはないはずじゃ」

「そうあってほしいと……願っています」


 どんぶりの身体を抱きしめ、そのぬくもりにすがりついて恐怖を溶かしていると……ガチャリと扉を解錠される音が響き――……ジャンの姿が現れる。


 そういえば、出かけるって言っていたっけ……帰ってきた、ってことか。


「あっちのクソガキも部屋にいるっぽいな。怪我もねえし、失敗したわけじゃないんだろ? シケたツラして何やってんだ」

「……いっぱい、いろいろ重なって……」

「ふん……なにがあったか知らねぇけど、ガキがメソメソしてんじゃねーよ。うざったくてしょうがねえ」


 そう言いながらジャンがわたくしの横にどっかり座ると、どんぶりがピュッと逃げていく……かと思いきや、反対側に回っただけだ。わたくしの側を離れようとしない。


 こみ上げる不安な気持ちを抑えながら、一生懸命順序立てて説明すると……ジャンはそんなことで泣いてんのか、と言い放った。


「泣いてなんかいませんわ!!」

「嘘つけ。どんぶりにすがりついて泣きそうだったんだろ」

「…………泣いてないからセーフですもの」


 ここは譲らないわ、という気持ちでジャンを睨むと、六歳年上の男はわたくしの頭をポンポンと叩くように撫で……悪かったな、と静かに謝った。


「怖かったんだろ。一人にさせて……悪い」

「――……」


 その謝罪に何かを思う間もなく、ジャンはわたくしの手のひらに数枚の書類を置いた。


「な、なに……報告書??」

「読んどけ。調べるのに時間をかけちまったが……多分()()()ぜ」


 おれは風呂に入るわ、と言って伸びをしながらジャンは脱衣所のほうへと向かう。

 報告書と表題に記された書類は、ジャンの字で書かれているわけではないが……フィッツロイ家のこと、そしてなぜか……。


「……メラス家……?」


 そう。報告書は二つの家のことが――……書かれているようだった。

 なぜ、メラス男爵家が?

 その報告書の冒頭を読み始めた途端、脱衣所の扉が開いて、ジャンが『おい!』と声を荒らげた。


「なんで風呂場、やべえ臭いしてんだよ!! ここで漏らしたヤツでもいんのか!?」

「――……」


 換気されていなかったのか。


 説明は後でレトに聞いてください、と言うと……ジャンは舌打ちして扉を閉めた。



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こめんと

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