人目を避けながら歩くこと約15分。
お貴族ストリート(というわたくしが勝手に命名した、一級品のお店が建ち並ぶ大通り)から三本程外れた道の途中にあった。
生垣が延々と連なる道は、街灯というものすらなく……馬の蹄の音が聞こえてくるたびに、わたくしとアリアンヌは生垣の間に身を潜り込ませながら見つからぬようやり過ごし、再び周囲を警戒しながら進む……ということを繰り返して進んでいったのだ。
やがて生垣の壁が石垣に変化し、大きなお屋敷――フィッツロイ公爵家――がその姿を見せた。
もともとここはフィッツロイ家ではない別の貴族が住んでいたらしいが、少々強引な手段で買い取ったとか借りたとか……どちらだか忘れたと今しがたアリアンヌが話してくれた。
そしてここが領地の境目なのだろう、わたくしとアリアンヌは生垣と石垣の間に見落としてしまいそうな細い通路を見つけ、そこに入り込む。
王都といっても中心街から少し外れただけで、急に畑や牧草地の広がる風景になる。フィッツロイ家の周囲はそんな感じで、生垣以外に吹き抜ける風を遮るものすらないので、風も強く吹きつけてくる。
もう世の中は秋も過ぎ去って冬にさしかかる十一月。日が落ちれば、風は余計冷たく感じる。
ろくに防寒対策を施されていないこんな装備では、わたくしたちが長時間外にいたら、身体が芯から冷え切ってしまいそうだ。
帰ったら熱いくらいのお風呂にゆっくり浸かりたいわ。
「うう、木に虫とかいそう……」
人がひとりずつ、横向きになってようやく通れる程度の道。垣はわたくしたちの姿をすっぽりと覆い隠してくれるけど、暗いし狭いし、たまに枝が飛び出しているから移動だってままならない。
嫌そうな声を出しながらもアリアンヌは奥へと入っていく。
石垣は小さい風抜き穴 (飾りの意味もあるかもしれない)がところどころ空いているのだが、そこに顔を近づけて屋敷の前面を窺う。
レンガ造りの横に細長い屋敷は左右対称になっていて、両端に煙突が数本ずつ並んでいる。
採光用も兼ねているのか窓もずいぶんたくさん付いているが、灯りがともっているのはほぼ一階全てと、二階に三つ。
多分二階は主人たちの居室や客間などに割り振られているだろうから、人の出入りは少ないだろう。
もちろん鷹の目のスキルも使用して観察しているのだが、見慣れた形の馬車が玄関ポーチ前に二つある。
「……アリアンヌさん。あの馬車、もしやマクシミリアンたちのではないかしら」
「あー、マクシミリアン様のでしたか。クリフォードさまの馬車以外、もう一つはよく分からなかったです」
「まだ……屋敷内にいるようね」
早く帰りなさいよと内心毒づきながらも、わたくしはアリアンヌさんの肩を押し、屋敷の側面へと移動したい旨を伝える。
正面には暇を持て余した御者と門前の警備をする人がいる。わざわざ室内の明かりが漏れているような明るい庭先に出るなんて、見つけてくださいとアピールするだけだ。
ぐるっと屋敷を囲む生垣の中を移動し、屋敷の側面にやってくると……馬小屋と納屋がある程度で、人の姿もない。
明かりもないし、この辺から納屋の陰に隠れて……うん、二階のバルコニーの手すりにさえ届けば、ここから侵入できそうだ。
わたくしはそっと生垣を出て、周囲を警戒しつつアリアンヌを手招きしながら納屋の陰に隠れる。
「ロープなら持ってきました」
「いいえ、大丈夫……ちょっとお待ちになって」
わたくしがポーチをごそごそ漁りながら取り出したのは、見た感じ何の変哲もない踏み台とロープだ。
ロープは先端に熊手のようなフックが取り付けられている。それを踏み台の金具に取り付け、わたくしはアリアンヌに、こう使います、と言って数歩下がる。
そこから助走をつけて踏み台の上に飛び乗り、二階のバルコニーを乗り越えて誰もいないテラスに着地した。
下部を覗き見て、驚いているアリアンヌに上がってくるように合図を送る。
彼女は思い切りが良いようで、わたくしがやったように数歩下がって助走を付けてから、トンッと軽く踏み台を蹴って上がってくる。
「すごい……これ、便利ですね」
「そうなのよ」
初めて使ってみた錬金術のアイテムだが、それを公言する必要もない。
ロープで踏み台を素早くたぐり寄せながら簡素に答え、ロープを付けたまま踏み台をポーチの中にしまう。
脱出する際にはもう使用しないからね。
テラス窓の鍵は、打ち掛け錠と呼ばれる簡易的なものだ。
これならすぐに開けられる。
再びポーチの中から手探りで板……これは、魔界で竜の鱗を合成した、重い金属板みたいなアレ……を取り出し、窓枠の間に押し込むと、下から押し上げ、窓枠を押す。
鍵の構造としては、ただ上から棒状のモノで押さえてあるだけだから、鍵下から力を加えてズラせばいいのである。
ゆっくり窓が開くと、一連の動作を感心したように眺めていたアリアンヌは『手慣れていますね……』と、困惑したような感想を発した。
なんとも言いがたい状況に、わたくしは曖昧に頷いて、屋敷の中へと足を踏み入れる。
「う……?」
屋敷の中は、なんだか甘い香りが充満している。
どこか煙臭さも感じるが、お香でも焚いているのだろうか……。
「――……お姉様、この匂い、少し変かも……危ない感じがします」
「危ない感じ、ね……」
アリアンヌが言わんとすることは分からなくもない。頭の芯が痺れるような――……ああ、あの変な魔石の効果に似ているんだ。
ということは、あまり長時間いると精神的に良くない効果がありそうね。
一番近くにある扉に耳を押し当て、中の音や気配を探るが……ここは無人のようだ。
ドアノブをひねると、鍵がかかっていないらしく何の抵抗もなく開いたので、アリアンヌと一緒に転がり込んでベッドの影に身を潜める。
「……慎重に行きましょう。確か、屋敷の右奥とその横……から二つ目の窓には明かりがついていたわ。部屋割りが分からないので、どの部屋というのはわかりかねます」
「人の気配があるかどうかは私が察せます。お姉様は後方を見張ってください」
二人でうなずき合い、部屋を出ながら一つ一つのドア越しで人の気配を探る。
彼女が首を横に振ったときには『誰かいる』ということで、縦に振ったときには『誰もいない』つまり無人ということだ。
驚くべき事に、この屋敷……ドアに鍵をかけていない。
人がいる場所も試しにそーっとドアノブを回してみた(開けてはいない)のだが、鍵がかかっている感がないのだ。
罠の感知も忘れずに行ってからドアノブをひねっているが、大丈夫なのかなと心配になる。
四つ目となる部屋を開くと……どうやらここは、誰かの私室のようだ。
部屋の主はいないようだが、室内に入ると、あの白いモヤモヤが部屋の上部に溜まっているのが目に見える。
「ぐ……っ」
一瞬目眩でクラッとしたわ。これを吸い込んじゃいけない。
慌てて口元を押さえ、少しでも吸わないように身を低くする。
部屋の机の上にも床の上も関係なく書き散らしたメモ書きが散乱している。
足の踏み場もない……というか、明らかにメモは踏まれているらしく、この部屋の主のものであろうと思われる大きめの靴跡が残っていたり、皺だらけだったり、破れている書類まであった。
それを拾い上げて見てみると――……文字についての考察のようなものが書いてある。
『読み……エーハ。停滞を意味する。この文字との組み合わせは……』
『組み合わせ表』
組み合わせ表には魔界文字であろう記号が数通り記載してあって、効果なども書いてある。ふむ、これは重要なものだわ。踏まれているようだからもう要らないと思うし、もらっていきましょう……。
書類を折りたたんでポーチにしまい込んでいると、アリアンヌがわたくしの服を軽く引く。
口を押さえたまま窓を開けようというジェスチャーをする。その提案は魅力的だが、窓を開けたら書類が散らかってしまうのではないかしら。
そもそも……この靄は一体どこから放出されているのかしら。
部屋の中には散乱したメモ、本棚、チェアセットとベッド……そして、がら空きの棚。
「……?」
このがら空きの棚、なんか違和感がある。
この部屋には不釣り合いというか……本棚にはみっちりと本が入っているし、机の上にも本があるにはあるけれど、二冊しか置かれていない。
書類も片付ければ部屋は殺風景といっても良いくらいの場所だろうし、現状何ひとつ入っていない棚は不自然だ。
もしかすると、これって……。
試しに棚を側面から軽く押してみると――簡単に壁ごとスライドして、狭い通路が現れた。
そして……通路の先から漂う、白いモヤモヤ。
隠し通路の先に、危ないものがありそうね。
「…………」
わたくしとアリアンヌは顔を見合わせ、この先へ進むかどうかを互いに判断しかねたが……ここで悩んで通り過ぎるくらいなら、潜入に来た意味もないだろう。
万能薬を二つ取り出し、一つをアリアンヌに握らせて、わたくしは先へ進んだ。