【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/168話】


 食事を摂ってすぐ、わたくしは部屋に戻らずアリアンヌの部屋の扉を叩いた。


「ふぁ……、どなたですかぁ……?」

 まだ寝ていたらしい。扉越しに、むにゃむにゃと眠そうな声で誰何するアリアンヌ。


「朝早くにごめんあそばせ。リリーティアです」

「わぁ!! お姉様!! そうですよね、なんかそんな気がしました!」


 バーンと勢いよく扉が開かれたので、慌てて後方にステップを踏むようにして避けると、アリアンヌがわたわたしながらごめんなさいと謝る。


「うわわ、ごめんなさい! お姉様のお顔に扉がぶつかったら、私……憤りのままに扉を破壊しないといけないところでした……ごめんなさい、怖い思いをさせてしまって本当にごめんなさい!」


 本気ですまなそうに謝っているけれど、扉を破壊する前にアイシングするとか、ポーション貰えればだいたい治る世の中だから……。


 まあ痛いのは嫌だから、今度からそーっと扉を開けて貰えるならそれでいい。


「あ……まだこんな寝間着姿で申し訳ないですが、お急ぎの用件でしたら、中にどうぞ……」

「では失礼して」


 遠慮することなくアリアンヌの部屋に入れてもらったが、まだ眠そうなアリアンヌはとろんとした眼を擦りながら、顔を洗ってきますと言ってふらふら洗面所に向かっていった。


 部屋の主が離れてしまったので、防犯上わたくしが部屋に鍵をかける。


 ここ数日で、すっかり訪ねることに慣れたアリアンヌの部屋。


 最初はアリアンヌに『お姉様』と呼ばれることにも不快感を抱いていたが、気がつけばそのわだかまりもとけて、逆に心配することも微笑ましく思うことも――……ここ一年で増えた。


 彼女の笑顔や明るくて優しい性格のおかげで、わたくしにも感情の変化が起こっていたのかもしれないが、ふとしたときに双方の立場や今後の状況を考えればこういった交流は……悪影響でしかない。


 バカじゃねぇか、と呆れかえっていたジャンの言葉だって分からないわけではない。こういう行動を差し控えろという意味だって含まれている。

 そう、よくないのだ。それは最初から理解していたこと。

 今回の件が片付いたら、彼女とも距離を置く。それは決めていることだ。

 だからこそ――……わたくしはクリフ王子に相談を持ちかけたのだから。

 そうよ。だから、これで最後。最後ったら最後よ。


 ここ数日、毎日同じ内容の決意をしているのだが……ここでも気持ち新たにそれを誓っていると、水滴をタオルで拭きながらアリアンヌがさっぱりした顔で戻ってきた。


「お待たせしました! うーん、冷たい水で顔を洗うときって、顔全体に広がるビビビって感じが嫌ですよね~。洗い上がりはほんとすっきりするんですけど……」


 言わんとすることは理解できるが、ビビビってそんな、電流走ってるみたいな言い方を……。


 うーん、もともとアリアンヌって薄化粧だけど、すっぴん状態でも、とっても肌が綺麗で可愛いわね……。


 わたくしだってスキンケアはきちんとしているが、こっちで充分に行うより、魔界の水でザブザブ適当に顔を洗って水気を拭くだけのほうが調子がいい気さえする。


 アリアンヌは普段どんな化粧品使っているのかしら……。

「そうだ、お姉様がこんな朝早く私に用事って……どうしたんですか? 今日は学院お休みですよね。あっ、もしかしてデートのお誘いですか? やだ~、突然だけど嬉しい……」


 わたくしが別のことを考えながら彼女を見ていたので、勘違いさせてしまったのだろうか。アリアンヌは嬉しそうに頬を押さえて恥じらう様子を見せた。


「残念ながらお誘いではございません。お目覚めの一番に心苦しい話題をするのは心が痛みますが、真面目なお話ですのよ。先ほど、食堂でクリフ王子とお会い致しまして……そのときにご本人に見せていただきましたが、彼に脅迫状が届きました」


「え……」


 脅迫という言葉に、アリアンヌの朗らかだった表情が一変し……みるみるうちに怒りを込めた、険しい表情に変わっていった。


「なん……、脅迫、誰が……誰がそんなことを!!」

「落ち着きなさい。便せんには『リリーティアを選べば殺す』――……そう書かれておりましたわ。わたくしも拝見しましたので、間違いありません」


 すると、アリアンヌは『えっ?』という疑問に満ちた声を発し、それだけですか、と困惑しつつ確認してくる。


「見せていただいた限りでは、そのようです」


「……なんて中途半端な指示なんでしょうか……」


 先ほどの怒りはどこへやら、アリアンヌの言葉にどこか残念めいた響きがある。


「もうちょっと……『婚約を破棄しろ。さもなければ……』とか、ピシッとした脅し文句が欲しいですよね……『選んだら殺す』って、いったい何をしたときにお姉様を選んだら、クリフォードさまとお姉様のどっちが殺されるのかも不明瞭すぎません?」


「仰るとおりですが、まあ『わかっているだろう』という思惑が感じられますし、行間を読まされる感が出ておりますわね……あ、わたくし、自分の部屋にそのような手紙が届いているか確認しておりませんわ!」

「あっ、それなら私も見てないです! ちょっと確認しましょうか!」


 急に嬉しそうに弾んだ声を出したアリアンヌ。

 わたくしは小走りに自室の扉の下を確認し、一応部屋に戻って居間までの道も確認したが……紙切れ一枚落ちていないし、黒猫の姿で床にゴロゴロと寝そべっているどんぶりに聞いても『なんも知らんぞ』と言うだけだ。


「……探し物かい?」


 朝からゆっくりとお茶を飲んでいたヘリオス王子は、誰とも視線を合わせずに床ばかり見回すわたくしを見かねたのだろう、それなら手伝おうかと声をかけてくれた。


「ああ、大丈夫です。ちょっと脅迫状が落ちていないか確認していただけですので……それでは失礼」

「そう……脅迫状……って、えっ!? 脅迫……?!」


 柔和な笑みを浮かべて頷いた後、脅迫状という言葉の意味を理解したのだろう。ヘリオス王子はぎょっとした顔をしてこちらを見たが、全てを説明するのが面倒くさいので、そこはどんぶりに『後はよろしく』と投げて部屋を出る。

 再びアリアンヌの部屋に戻り、自分の部屋にはなかったことを話すと、アリアンヌのところにもなかったらしい。


「きちんと……でいいのかわかりませんけど、クリフォードさまにだけ出したみたいですね」

「複数に出すと、その分手間もリスクも多くかかりますもの」


 彼女、少々残念そうに見えるのだが……普通はそういうの来ないんだからね?

 一体誰が脅迫状なんてものを、という詮無きことを考えて、ふと浮かんできた容疑者候補はラルフだったが……それはないだろうと即座に打ち消した。

 聞いた話だと、彼は寮ではなく屋敷から学院に通っている。


 脅迫状を書き、誰かにこれをクリフ王子の部屋に届けるよう手配した可能性だってあるし、はたまた本当に彼らが関係なく、学院の生徒が面白がってやったこととか……いや、それはだめだ。


 どんなことがあろうと、王族を脅すなんて不敬罪どころでは済まされないことくらい、バカでも分かるはずだ。


「手紙はアルベルトさんが見つけたようですが……マクシミリアンが戻り次第、フィッツロイ家に行って話すそうです」

「……あちらの家にまで……」


 心配そうな顔をするアリアンヌに、クリフ王子のところに行ってきてはいかが、と提案すると……驚いた顔をしながら、良いんですかと聞かれた。


「あのクリフ王子でも、多少は手紙の内容を気にされているようでしたが……それなりにお元気でしたわよ。出かけるまで少し時間があるでしょうから、あなたが会いに行けば、気持ちが安らぐかも分かりません」


 少なくともわたくしが行くより、アリアンヌに会いに来てもらうほうが嬉しいだろう。わたくしも忙しいし。


「わたくし出かけないといけませんので、失礼致します。勝手に押しかけてきて、すごい話を無責任に振っていくだけの状態でこう言うのもアレですが……頑張ってちょうだいね」

「……ありがとうございます、お姉様。うん、そうと決まれば、早速支度しなくちゃ!」


 と張り切るアリアンヌ。あなたの笑顔は明るくて、思わずこちらも温かい気持ちになりそうだわ。クリフ王子もこれなら心配要らなそうね。


 衣装部屋から派手すぎないドレスを引っ張り出して、化粧ポーチも持ちだしているアリアンヌに一言挨拶し、退室させてもらう。

 そうなのよ。わたくしだってのんびりできないわ。魔界に行く準備をしなくちゃいけないもの。


 部屋に戻ってくると、ジャンと王子様二人の視線が突き刺さる。


 どんぶりから事情は聞いたようだが『よく次々と厄介な問題が起きるな』と悪態をつくジャンの言い分もわからなくもない。


「ええ、本当にそう思いますわ……誰がなんのために、というのも気になりますけれど、脅し以外にたいした意味もありませんでしょう」

「そうかもしれないけど、今日は地上が慌ただしくなるんじゃないかな」


 少し大人しくしていたら? というニュアンスをレトから感じるが、こうしている間にエリクとノヴァさんが過労で倒れるかもしれないのだ。


「――……どんぶり。わたくしの姿になって、今日はここで適当に過ごしていなさい。あなたならだいたいわたくしの考えていることも分かるでしょう」

「ほぅ。ワシを身代わりにさせようというのか……ま、たまには面白そうじゃ」


 にゃあと一声鳴いて、どんぶりは窓辺から飛び降りると……瞬時にわたくしの姿を模し、得意気にゆるふわ銀髪を後方へと払った。


「――どうかしら。誰がどう見ても、わたくしではなくて?」


 そう言って自分の身体を鏡に映すどんぶりは、紛れもなくわたくしそのままに見える。


 ちゃんと小綺麗なドレスも着ているし、うっすらと化粧しただけの飾り気がない状態でも、とても美しいわ……!


「うむ、おぬしがそういうなら大丈夫じゃな。口調も気をつけておく」

「そうしてください。急に『ワシ』なんて言い始めたら相手が驚くでしょうから」


 じゃあわたくしは魔界に行くとするか……と、魔界に持っていく荷物をまとめたポーチを手に取って振り返ったところで……どんぶりは、鏡の前で不思議そうに(わたくしの姿をしたまま)胸部をわしづかみにしていた。


 それをびっくりした顔で見ているレトには、性的なことに全く耐性がないのだ。そんな扇情的な光景を目の当たりにしてしまい、徐々に顔に赤みが差し始めている。わたくしも血の気が引いていくのが分かった。


「ちょっ……! わたくしの身体でなにしくさってますの!? おやめやがれください!」

「なにって、おぬしの胸は歩くたびにぷるんぷるんして落ち着かん。尻も……」

「ちょっといらっしゃい!」


 自分の寝室にどんぶリリーを連れ込むと、下着ついてないのかとスカートを捲る。はいてなかった。


 ついでに服の胸元も引っ張って確認した。こっちも下着はない。


「下着をつけて変身しなさいよ!! これじゃわたくしとんでもない変態みたいじゃない!!」

「年頃の青年が二人もいる部屋に残されたお嬢様は、下着すらつけてない状態で放置されるとか……なかなかセクシャルな環境じゃな」「おバカ!! そこまで理解したなら次から気をつけてちょうだい!」


 タンスから下着を取り出して、どんぶリリーに穿かせる。

 ブラは背中のボタンを外してあげて、身体にしっかりフィットするように付けてあげた。


 人の着替えを手伝うのって、割と大変だわ。侍女って偉すぎるわね。


「……どう?」

「ん。さっきより、全然楽じゃなあ……ただ、胸部は大きさが強調されとる気もするが……」


 そう言いながら再び自分の胸をギュウギュウわしづかみにして感触を確かめているどんぶリリー。おやめなさいとその手を軽く叩き、そういうものだからと説明しておく。


「胸を寄せて、アップする的な下着なのです。自分では使ったことがないので、どうせならと……思いましたが、ずいぶんと……いけませんわ、胸は隠しましょう」


 どの服を着せようかと悩んだが、着せ替えショーに発展しそうだし、面倒くさいから地味な私服でいいや。


「せっかくじゃ。あやつらにどっちがリリーティアか、判別できるかのう?」

「あら、それは面白そうね。ふふ、試してみましょうか」


 どんぶリリーを着替えさせてポーチを持たせ、居間に戻ると……お決まりの『どっちがわたくしでしょう!』クイズを行ってみたが……三人とも、すぐにわたくしのほうを指し示した。


「まあっ……その通りですが、なぜ……すぐおわかりに……」


 みんなもしかして、わたくしのことよく見てるからなのでは? と、若干感激していると……。


「リリーティアの匂いがする」

「着替えてねぇから」

「ペンダント付いてない」


 という、ヘリオス王子の答え以外はなかなかに当てずっぽうもいいところの答えだった。でも『匂い』は動物的すぎる。


 この結果から、簡単にだませそうなことは分かった。


 あとは、アリアンヌが来ないように祈っていただきたい。


 どんぶリリーに頑張ってねと伝え、わたくしは夕方まで魔界の手伝いに向かったのだった。




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こめんと

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