翌朝、久しぶりに寮の朝食をいただこうと食堂へ向かう。
基本的に食堂は休日が休み……だが、週のどこかに祝日が入ると休みがずれるらしく、今日は作ってくれる週なのだ。
この世界にゴールデンやらシルバーウィーク的なものはないので、食堂の方々も夏期休暇二週間と年末年始くらいしか大型休みは無さそう。
ブラック的な労働じゃないことを祈るばかりね。
魔界でもノヴァさんがみんなの朝食を作ってくださるのだが、今魔王城は改修工事で人の出入りが多い。お城で働き出した人……つまり神官上がりの人やレイラのお父さんであるグレイさんを含め、作業に携わる人たちの食事も提供しているのだ。
調理場には誰も手伝いが来ないので、ノヴァさんは一日の半分くらいをキッチンで過ごしているそうだ。
わたくしたちしか魔王城にいないとき、調理を率先して手伝ってくれていたエリクだが、現在は時折ブチ切れながらも資材を一人で作製し、なんとかその日のうちに提供している状態なので……みんなの前に顔を出すこともほぼないらしい。不健康習慣に拍車がかかっている。
そのくせ、魔王様が『みんな大変だからぼくが材料、魔法でバーッと出そうか?』と言うと『それには及びません。というかバーッと全部出されては置き場所もないでしょう。あと一瞬でやられては悔しいので』
という……わかるよーなわからんよーな理由で断るので、結局魔王様だけが暇そうにゴロゴロしているらしい。
じゃあ調理場で野菜の皮でもむいていたら良いのにと一瞬思ったが、仮にも魔王様を顎で使うなんてとんでもないことだし、ノヴァさんだって魔王様が手伝うと言ったら全力で拒否するだろう。
そう……ノヴァさん以外残念ながら、料理というものに携われる存在が(レトが地上にいる場合)魔王城にいないのだ。
だからエリクもノヴァさんもヘロヘロになっていると思われるので、休みを利用して手伝いに行くつもりだ。幸い待ち合わせの夜まで時間がある。
一応準備品の中にポーションや調合品を持っていきたいので、あっちで作ろうという計算もあるんだけどね。
他に何を作ろうかなと思いながら一階の廊下を進む。
階段を降りている最中から、食堂から香ばしい匂いが漂っていたが……近付くにつれ、何かを調理しているらしい、鍋を振るう音も大きくなっていく。
「あら……」
「む……」
休日ということと、まだ時間が早いせいか食事中の人は数える程度しかなかったが、その中でかなりのレアキャラ……クリフ王子が一人で食事を摂っているのを発見した。
「……あら、クリフ王子おはようございます。ここで食事を召し上がっているなんて、なんといいますか、かなり珍しいことですわね」
「…………まあ、そうだろう……」
ご自慢のクソデカボイスも発揮されず、ぼそぼそと小声で聞き取りづらく喋っている。これもまた珍しい。
自分も食事するからとその場を離れ、食堂の方々に挨拶しながらあつあつのスープやパン、ベーコンエッグなどをトレイの上に載せていってもらい、どこに座ろうかと考えていると……クリフ王子が控えめに手招きした。
素直に行くのは嫌なので軽く無視していると、手の振り方がだんだん大きくなる。
これ以上無視するとクソデカボイスで呼ばれるから、調理や食事中の皆様に迷惑がかかってしまう。今気づきましたという顔をして、クリフ王子の正面に座った。
「ずいぶん激しく手を振っていらっしゃいましたわね。わたくしと食事をしたいとお望みでしたの?」
「ふ、ふざけたことを……! 人がせっかく厚意で呼んでやったというのに……!」
気づいて欲しいと人前で手を振るのが恥ずかしかったのか、クリフ王子の顔は羞恥で赤くなっており、恨めしそうな眼をこちらに向けてくる。
あまりこれ以上からかうと気分を害してしまうだろうから、ほどほどにして……クリフ王子の顔を正面から見据えた。
「……それで、何か仰りたいことがあるからそんなアピールをされたのでしょう?」
クリフ王子以外に聞こえぬよう小声でそう問いかけると、彼は神妙に頷いて、群青色のジャケットから白い便せんをそっと引き抜き、テーブルに伏せて置く。
「開いてみろ」
クリフ王子に言われるまま、わたくしがその便せんを開くと――……思わず『うっ』と小さく声を漏らしてしまった。
その間、クリフ王子は食事をしながら、こちらに周囲の注目が集まっていないか確認しているようだった。
便せんには、毒々しい赤黒いインクで『リリーティアヲ エラベバ コロス』と書かれていた。
確かにそう書かれているのだが、その文字は筆跡を特定できぬようにするためか、文字がガクガクと角張っている。
そう、定規で引いたみたいにパッキパキなのだ。どうしても弧を描く部分が生じてしまうところも直線なので読みづらい。
インクの色もわざと血を連想させるものを選んだのだろう。悪趣味極まりない。
「…………僕の部屋の扉に差し込まれているのを、今朝アルベルトが確認した」
「あなた宛の恋文だとすれば、相当に過激なものですけれど……差出人も書かれていなければ、お返事のしようがありませんわね」
便せんを再び閉じると、クリフ王子はまたそれを何事もないかのように受け取り、ポケットにしまう。
「一応聞いておきますけど」「わかっている。僕が書いたんじゃないぞ。一時の話題を作るために、こんな暇なことなどするものか」
なんだ、違うのか……。
「あなたに出すということは脅迫かしら……」
「そういう意図があるはずだ。しかし、こんなことをする相手の心当たりがない」
彼女はこういう手段を執るはずがない、とも弱々しく呟いたが、その彼女というのは間違いなくアリアンヌを指しているだろう。
それはわたくしも同意見だ。アリアンヌはわざわざわたくしに『クリフ王子が好きだ』と宣言した上で、互いの利益のために協力を申し出てきているのだから、好感度や信頼に響くような真似をするはずがないし、あの子はこんなにバカじゃない。
「……生徒会長かもしれんと踏んでいる。貴様のことが好きだと公言したそうじゃないか」
「お言葉ですが、彼はこんな愚かな手段なんて選択肢にも入れませんでしょう。本気で憎んでいるなら、こんな面倒くさいことをせずあなたを問答無用で消すと思いますわ」
リメイクにおいて、イヴァン会長の改悪された人格というものがどのようなものかをきちんと理解しているわけじゃないけれど……。
魔法の腕を駆使して、魔法陣を踏んだ人間を爆発させる罠とか、仮に手紙を用いるのだとしても、手紙を開いて読もうとした瞬間に爆殺するとか、まあとにかく『ああ、死んだんだな』と離れていてもわかるくらい派手にむごたらしく、やりそうなものだ。
そう言ったら、クリフ王子は難しい顔をして『今日の食事にトマトソースがけがなくて良かった』と妙な感想を寄越す。
「こんな手紙が来ているのに、お一人で行動されては危険すぎません? アルベルトさんはどちらに?」
「アラストル公爵の屋敷に向かった。じきに来るだろう」
朝っぱらからマクシミリアンはたたき起こされるのか。
手紙の主が本気かどうかはともかく、内容としては脅迫状が届いたのだから、対処しないわけにもいかないだろう。
「……これって、フィッツロイ公爵側にもお話しになるの?」
「そうだ。マクシミリアンが来たら、あちらの屋敷にも顔を出そうと思っている」
そう頷いたクリフ王子は、朝から妙なものを見せて済まないが、と言いながらも……本当に良いのか、とぼそっと呟いた。
「なにがです」
「この間の相談内容だ……!」
「――ああ。構いません、むしろ、そう動いていただかないと……せっかく、こんな追い風があるのですから」
すると、クリフ王子は観念したように頷き、身辺が荒れるな、と漏らした。
「ちなみにこれは貴様が」「ご冗談を。そのように暇ではございませんわ」