【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/164話】


 欲を持つ『何か』……要するに、思考できるだけの知能がある動植物全体を指すのだろう。


「わたくし、その靄が体内に入ったとき、目眩と思考を放棄したくなるような高揚……いえ、浮遊感……を覚えましたわ。いったい、その魔法を唱えるとどういう効果を発するようになるのでしょう」


 詳しそうなイルジナさんにそう尋ねてみるが、彼女は無言のまましばらくわたくしを見つめ、ようやく『わからない』と言った。

「――えっ?」


 聞き間違いだと思いたいが、わたくしが問い返すと再び『わからない』という答えが返ってきた。

「わたしにそういう知識があるというだけで、実際にそれらの文字を書いて実験を行ったことはない。だから、たぶん『こうなる』という不確定な話しかできないし――……『こうなる』までにどのような事が起きるか、あるいは『こうなった』あとの対処・解決策を含め、経験がない部分のことは不明だ。それができないのに誰かに教えるなどという無責任なこともしたくない。ゆえに『わからない』と言った」


 それに、わたしが不確かなことを教え、お前が実行した場合……昏倒や怪我でもされようものなら、レト王子が神殿と神官を滅ぼしかねない。だから無理だ。


 そう真顔で告げるイルジナさんだが、レトだってそんな無茶なことはいくらなんでもしないはずだ。


「うん、正しい判断だ」


 にっこりと微笑みながら首肯したレトの言葉に、イルジナさんもほっとした顔を浮かべているが……おいおい、マジなの?


「結果がどうなるか予想できないことは、魔法を扱う上で危険なことだ。錬金術だって、薬品や合成釜の扱いには充分気を遣うだろう?」

「それは……そうなのですが……」


 あんな怪しいもの、リラクゼーション以外の効力にラルフという男が気づいたら、悪用されかねないわ。なんたって、王家とフィッツロイ公爵家のほぼ全員が持っているというのですもの。


「偶然、魔界文字を編み出して効力を発揮……なんていうこともないでしょうから、魔族の何かが関わっているはず……そうだわ、イルジナさん。その魔界文字、魔界ではだいたい読み書きができるのかしら」


「魔物たちが読めるかどうかは知らんが、神殿では文字の読み書きは必須だった。魔術的な組み合わせに関しては行っていない」


 魔法書をざっと読み、暗記した後はひたすら練習するだけなので、理論とかそういうことは覚えなかったようだ。


「レトはよく地上の書物を読んでいらっしゃったけど……そういえば、文字はどう覚えましたの?」

「ああ、パラパラとページをめくって覚えたんだ」


 さらっと当たり前のことを言うように告げられた。


……どういうこと? ペラっと見るだけで理解できるの?

『○○の本を読んだ……魔法に関する理解が深まった!』みたいに、ゲームのテキストベースで覚えちゃうって事? しかも、本読んでる時間ってちょっとしか経過しないのよね。その仕様はわたくしにも欲しいところだったわ。


「ねえ、これは俺の考えだけど。リリーとイルジナの話を聞いていると、効果は……強制発動のほうが近いんじゃないかな、と思うんだ」

「強制……」

「だって、魔法の力が込められているアイテムでもない限り、知識や魔力のない者が魔法を使えるっておかしいじゃないか。魔力がない代わりに、体力や精神力などのエネルギーを消費し、疲れを感じさせぬよう高揚感を出して、感覚を麻痺させるんじゃない?」

 そう言われると……確かに魔力も知識もないのに、扱えるって変だなとは感じていた。


「強制発動……不安や願望が表に出やすくなる……ということかしら」


 確かにクリフ王子も精神的に荒れていた。


「人心を乱しているんだ。もしかすると研究している本人も、おかしな事になっていることだって考えられる」

「……確かに」


 正確な文字も発動の方法も知ったが、結局はフィッツロイ家のラルフが関わっているか、目的は何かを知る必要がある。


 仕事の途中に引き留めてしまったイルジナさんへ礼を言って別れると、わたくしは自分のやることを整理する。


――……そうだ、マクシミリアンやアリアンヌたちにも何か渡されているかもしれない。


 えーと、様子を見に行き、体調に変化はないかを尋ね、情報を交換し……を二回しないといけないわね。


 そして……フィッツロイ家の情報を入手しないと。


「……その前に……レト、環境面以外に困っている魔界のことはございまして?」


 夕方までに魔界での仕事を一通りこなすことにして、わたくしはレトと一緒に枯れた草木の除去をしたり、お城の資材を錬成したりと、なかなか多忙な時間を過ごした。



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こめんと

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