【大いなる神殿】の存在が明らかになってからしばらくして、魔王城には人型の魔族が歩いているのを見かけるようになった。
――というのも、神殿から魔王城の前までの転移ルートを新たに作ったからだ。
今までは転移といえば……目印としてメモリーストーンを置いて、レトが転移に使っているだけだった。
もともと転移という魔法が使えるのは(仲間内で)レトだけだったし、紫色のメモリーストーンは個人の使用という限定的な目印でしかない。
誰でも使用できるように機能させたものは、魔術的な領域の話なので、わたくしにはまだ理解が難しい分野だ。
ゲートはとりあえず魔王様や大神官様が何かしたのだろう。くらいの理解で良いかしら。
そして……魔王城には新しいゴーレムたちや二足歩行が可能な魔物が、木材やレンガを抱えてドスドスと歩き回っている。
「ああ、レンガを持ってきたのかい。それはそこに積んでいって」
ヘルメット代わりのレザーヘルムを被ったおじさんが、てきぱきと何か指示している。四十代くらいに見えるこの人も魔族であり……レイラとライラのお父様だ。
「――おお、レトゥハルト様、リリーティア様。こんにちは」
わたくしたちの姿を視界に収めたまま、彼は優しい笑顔でご挨拶し、こちらに近付いてくる。
わたくしは軽く膝を折って挨拶したけれど、堅苦しい挨拶はおやめくださいと止められた。
「グレイさん、このたびは魔王城の増改築の設計を快く引き受けてくださって、わたくしたちは本当に感謝しておりますの」
「なぁーにを仰る。あのまま仕事もなく腐るだけだったわたしに、こんな大きく、やりがいのある仕事を任せてくださったことに……こちらが感謝しているくらいですよ」
そう言ってはにかむように笑ったグレイさん。
レイラにお願いして、彼女の家に訪問させていただいたとき……外に漏れないよう防音結界を張って、魔王城設計の仕事をお願いしたい、ということを順序立てて話したのだ。
レイラもライラも、魔界のお城のことなど話していなかったから驚いていたし、最初はグレイさんにも『もうずっと設計していないから』と断られたが、わたくしが見た魔界初期の惨状と、復興へ着手したことを熱っぽく喋り続けていると、暗く濁っていた彼の瞳に、再び光が宿って輝いていくのが分かった。
そしてわたくしの熱意と、グレイさんのくすぶっていた情熱に火が付き、魔王城の仕事をお引き受けいただく事となったのだ。
あと……レイラとライラには……舞踏会が終わった後についても自分の考えを話してある。
クリフ王子の事についても二人は驚いていたが、わたくしがクリフ王子に協力を持ちかけているから、しばらくは黙認してもらうのだ。
あ、いけないわ。同じ家のことなのでついレイラとライラの事を挟んでしまった。
……とにかく、グレイさんがこちらに出かけていくことについて、もちろん出張代も支払う。
仕事が仕事なので、かなりの額がハートフィールド家に入るのだが……それは小出しで渡すことになっている。
失礼ながら、あの趣のある地域にお住まいの人が詮索してきたら、貴族の別荘を掃除する仕事をもらった、ということにして、数日家を開けてもらっている。
実際辺境に行くには馬車で数日かかるし、半月くらいは戻れなくても怪しまれないだろう。
前世の記憶……というもので合っているかは微妙だけれど、わたくしが日本で暮らしていたときもそうだ。
近所づきあいが密な住宅地とかは、人の出入りに敏感なのよね。
誰と何を話していたとか、どんな奴が来たとか、何を持っているとか、急に金回りが良くなっただとか……よくそんなに気にしているな~と感心してしまうくらい人のことを見ているし、誰かの耳にも届くのだ。
だから、この家に来て大事な話をするときは防音結界を張るし、重要そうなことを話していたと気取られてはいけない。壁に耳あり障子に目ありよ。
だから、レイラさんの家に行くときはクッキーを焼いてもらっている。
家の中から焼き菓子の匂いを漂わせて、レイラさんが友人を連れてきたと思わせておけばある程度警戒も解けるというものだ。
つまり、グレイさんに魔界の設計図作成という大仕事を承諾させ、魔王城は今あちらこちらの増改築というわけだ。
「グレイ、ココ、イイカ」
「ああ、そこだ……あー違う、まず敷く土台を作るんだよ! 待て待て、……申し訳ない、リリーティア様、失礼します」
一礼し、魔物に身振り手振りを交えて指示しているグレイさんは、随分と活き活き働いている。
「あの人は、この仕事が好きなんだね」
レトが微笑ましい顔でグレイさん達のやりとりを見つめていて、わたくしも同意の頷きを返した。
「好きなことで輝けるのが、一番楽しいかもしれませんわね」
「――……好きなことで輝けるばかりなら、いいんですけど?」
わたくしとレトの会話に割り込んできたのは、疲れた顔をしたエリクだ。
魔界に来てからも相変わらず研究に没頭しているので、その血色の悪そうな顔は治っていない。
顔色だけなら魔族に引けを取らないわね。
「あらエリク。お久しぶりだこと」
「あのねリリーさん。この際だからはっきり言っておこうと思うんだけど」
挨拶もそこそこに、エリクは不満そうな表情のままお小言モードに入ろうとしている。
「な、なん……でしょう?」
「最近、君が帰ってこないから錬金術の仕事が……ほぼ全部わたしのほうに回ってきてるんですよ。今回の魔王城の増改築も、リリーさんが発注したんでしょう?」
「は、はい……」
「まあ発注は良いですよ。図面書いてもらうだけだったら……で、すぐ図面が出来ました。これも喜ばしい。でも、レンガだって数万個単位で必要です。材料はどこから持ってくるつもりだったんですか?」
「う……そ、それは、地上で買うわけにいかないのですもの、手頃な石から作るしか……ありません、わねぇ……」
「きみが、全部、数日で用意するつもりでしたか?」
言葉の端々に鋭い棘があり、それがぐさぐさとわたくしに突き刺さる。
「……当分、できませんでしたわ……」
「そうでしょうね。しかも、神殿の人もね、神官を辞めて城で勤務する人もいるわけ。魔術や錬金の研究場、人数が増えるんだからキッチンも大きく、何より滞在場所も多く作る必要があるんですよ。それもあっという間に図面をくださいましてね。おかげで並行作業。ゴーレムを十体作ったのですが、まだ足りません。魔物の手を借りて、ようやく作業は出来ますが……資材の作成が追いつかないんですよ」
エリク、これは……かなり怒ってる……。
「挙句、発注者は何も考えず地上のことにかかりっきり。やっと帰ってきたと思ったら、のんびり『好きなことをしているのがいい』などといってボケボケした顔を晒して……腹が立って仕方ありません」
「も、申し訳ありません……い、今から少しお手伝い致しますわ!」
「ほぉ。少し。お忙しい合間に手を貸してくださるなんて涙が出ますね」
グチグチモードに入ったエリクは、本来の意味でしんどい。
わたくしたちの仲間で一番毒舌な男、エリク……最近それはなりを潜めていたが、発揮する相手がいなかったせいだろう……。
「リリー、俺もやるよ。みんなでやれば少しは早い」
「レト王子は毎日手伝ってくれるので、本当にありがたいです。どこかの誰かとは違って」
わたくしは延々と続きそうなエリクの愚痴を聞きながら、作業室に足を運び……数時間そこで研磨剤や調合建材の作成を行っていたのだった。