【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/160話】


 翌日、いつもより少し遅めに起床して居間に顔を出すと、既にそこにはレトとジャンとヘリオス王子といういつものメンバーが座って他愛ない話をしていた。


 よかった、みんながいる……と、わたくしは心の奥で安堵した。


 もちろんどんぶりもいて、猫の姿で窓辺に座っているのだが……この所作、どうみても猫のソレだ。


「皆様、おはようございます」

「おはようリリー。昨日は勝手にジャンを借りていってごめん」


 レトの話し方もいつも通りで、一時的とはいえ精神的なショックから立ち直ってくれたようだ。


「構いませんわ。戻ったときに誰もいないので少々物寂しさを感じましたが……そう、わたくしのほうもクリフ王子から話を聞いて、いろいろと分かったことがありましたの」


 わたくしは事の発端……クリフ王子がアリアンヌにエスコートを願い出たことから、昨日どんぶりと話した内容の要点をまとめてレトたちに教えた。

「――というわけで、これからどうしたいかというと……フィッツロイ家の内部を探りたいのです」


 一通り話し終えると、レトもヘリオス王子も難しい顔をした。


「確かにその公爵家が怪しくないといえば嘘になるのだけど、調べてどうするつもりなのかな? 王国騎士団とやらに突き出すのかい?」


 ヘリオス王子はわたくしにそう尋ねたが、それは特に考えていなかった。


「わたくしはただ、フィッツロイ家に魔族に関わる何かが発見できるかもしれないということ、そして……もしも人心を狂わすような危険な術を試みているのであれば、止めたいと思っています」


 あの魔石から出る白い煙。あれを嗅いだとき、自分も妙な感覚になった。


「これはわたくしの仮説ですが、魔石から出た白い煙を体内に吸引してしまうと、精神に何らかの影響を及ぼすのではないかと感じました。そして、その成分……といいますか、効力というか……そういうものは蓄積され、魔石を使用していない時間に、体外へ放出されて吸引時と同じような症状を引き起こすのではないかしら」


「つまり、煙を吸ったときと、蓄積されたものが出て行くときに同じ効果を発するっていうこと?」

「ええ……確証はございませんが、昨日クリフ王子の様子がおかしかったとき、身体から白いモヤモヤが出ていましたの。そうだわ、ジャンはどう? 見えましたか?」


「いや……」


 多くを語らず、ジャンは首を横に振った。


「セレスくんにも聞いてみなければ分かりませんが、今のところわたくしとアリアンヌさんだけが見えていたようです。アリアンヌさんに見えたのは、彼女が発現させた能力(スキル)かもしれませんが……そうすると、なぜわたくしにも見えたのか謎ですし……」


 ヒロイン補正だといわれたらゲーム上ソレで片付くかもしれないが、わたくしにも何らかの力が発現しようとしているかもしれないじゃない?


「幸いなことに、本日は休みです。マクシミリアンやアリアンヌさんにも話を聞こうと思っておりますの」


 おそらく大聖堂に行けば、セレスくんも休日だからそこで何かしているだろう。


「それはいいけどさ……リリー、大事なことを忘れていないかい?」


 レトはそう言いながら、わたくしを非難するようなジト目を向けてくる。


「大事なこと……」

「リリーは三日くらい魔界に戻っていないんだよ。東部のほうで、大気が不安定になっている。あちら側は小さい生物が多いから……ちょっとだけでも居てくれると助かるんだ」

「あら、それは大変ですわね! わかりました、すぐ支度するので……あ、それなら朝食後に、神殿に連れて行ってくださるかしら。大神官様に伺いたい呪文がございますの」


 洗面所に行きながらそう答え、わたくしはハッとする。


……上に羽織っていたといっても、寝間着で……顔も洗っていない汚い顔を見せてしまったわ……!


 慌てて後方を振り返るが、誰もこちらを……ジャンですら気にした様子はない。


 気づかなかったとか? いや、わたくしいつでも美しいかもしれませんけれど、

さすがに寝起きはちょっと……恥ずかしいでしょ……。


 顔を洗いながら人知れず赤くなっていると、大丈夫じゃよ、というどんぶりの声が聞こえてきた。


「おぬしだって何度か寝起き顔を見ておるじゃろ。たまには無防備に晒しても良いではないか」

「……嫌ですわ。いつでも綺麗なところを見ていただきたいじゃありませんか」

「っかー! 乙女は涙ぐましいのう! その努力は感動に値するわい」


 どんぶりの声に熱が入っている。綺麗でいたいというのがいたく気に入ったらしい。


 タオルを手に取って顔を拭いていると、どんぶりは洗面台のフチにスタッと飛び乗り、落ちない程度に精一杯身体をわたくしのほうへと伸ばしながら、そこでじゃ、と喉を鳴らした。見た目が猫だからかわいい。


「ワシの身体も洗ってくれ。いつでも綺麗でいたいのは、ワシもそうじゃ」


 そう言い切った瞬間、洗面ボウルにゴロンと転がり落ちるどんぶり(本体)の姿。


「……汚くありませんわ」

「いーやーじゃぁああ~! フチとか内側が汚れとる!」


 そう言いながらガタガタと揺れてだだをこねているどんぶり。急いでるときに何でこんなこと言い出すの?


「夜でいいでしょう? 今から魔界に……」「いやじゃ! 今してくれなきゃいやじゃ!」


 野太いオッサンの声でイヤイヤと繰り返す、絶対的にかわいさの欠片もないこの状態。何事かとヘリオス王子まで見に来てしまった。


「リリーティア、ここはボクにお任せして魔界に行ってくるといいよ。どんぶり、ボクが洗ってあげる」


 ここでどんぶりも狂喜乱舞して歓声を上げ……たりはせず、なぜか

 ピタッと動きを止めた。なんだ、洗われる準備でもしているのかしら。


「……知らない男に体をいじられるのはちょっと……」

「急に抵抗を感じ始めた」

「声がまたイラつきますわね」


 まあいいから任せて、とヘリオス王子がにっこり微笑んでくれるので、お言葉に甘えて洗面台から離れる。


「えっ、ちょっとやめなされ、ヘリオス王子。あっ、怖、イヤじゃぁ……」

「気持ち悪い声で喋るなよ、クソどんぶり」


 おお、出た。たまに口が悪くなるヘリオス王子。


 幼い頃にブチ切れて出奔し、地上で路上暮らしをし、怖い思いも経験したこともあるせいか、抑えきれない怒りを感じるとこういう感じで暴言を吐いてしまうのだ。


 洗面所から聞こえるどんぶりとヘリオス王子のやりとりに、レトが大丈夫なの? と不安そうな顔を向けてきた。


「ヘリオス王子がどんぶりの体を洗ってあげてるだけです」

「暴漢に襲われてるおじさんみたいな声が出てるけど……」

「ふふっ、なんだそりゃ。言われてみりゃ、確かにごろつきに絡まれてる金持ちのオッサンだな」


 聞こえてくるどんぶりの悲鳴や震え声にジャンも思わず笑っている。


 わたくしはすぐに自室で着替えと支度を済ませ、再び居間に戻ると……まだ聞こえてくるどんぶりの悲鳴に小さく合掌し、レトとジャンと一緒に、魔界へと向かったのだった。



前へ / Mainに戻る /  次へ


こめんと

チェックボタンだけでも送信できます~
コメント