【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/159話】


 クリフ王子の部屋を辞し、自分の部屋に入ると――……出るときには全員居間にいたはずなのに、もう誰もいなかった。


 テーブルの上にはお皿がいくつか置かれていて、ランチバスケットの中にお鍋とロールパンが四つ、そして『リリーさんの分です。温めて食べてください』という、ノヴァさんが書いたであろうメモが入っていた。


「……レト? ヘリオス王子? いらっしゃらないの?」


 そして、なんとジャンの姿もない。


 一応彼の部屋をノックしてみたが、出てくる気配もないので……みんな魔界に行ったのかしら。


 自分一人で食事をすることになったが、たまには一人というのも悪くないか。


 バスケットからお鍋を出し、蓋を開けてみる。中身は野菜シチューだ。


 まだ充分温かいので、置かれてそう時間も経っていないだろう。まだ湯気がほかほかと立ち上っているから、温め直さなくてもいいかな。


 キッチンからスープレードルを持って戻ってくると、深皿にシチューをよそう。


 魔界で作ったお野菜もいっぱい入っている。なんといってもお水だって魔界のものなので、ゲームステータス的に言えばHPとMPが大きく回復できるという非常にありがたい効果があるのだ。


「いただきます」


 誰もいない室内で、卓上を照らすだけの明かりを灯して食事を摂る。


 食事はとても美味しい。静かで落ち着いていて、それで……誰もそばにいないというのは、なんだかとても寂しい。


 いつも自分の側には誰かがいて、今後もそれが続くのだと当たり前に考えていたのに、ただ今日、こうして……誰も居ないことが、今後永遠に続きそうな錯覚すら覚えた。


 入学前の半年間、ローレンシュタインの屋敷で暮らしていたことはあったが、そのときもジャンを含め、誰かしらが側にいた。


 そう思った自分が情けなくて、ふっと笑う。


「――……いやだわ、わたくし……寂しがり屋なのかしら」

「そうじゃなぁ」


 自嘲した言葉に返事があったので、わたくしは椅子から飛び上がりそうなほど驚いて、周囲を見渡す。


「ここじゃ、ここ」


 と、テーブルの下からノソノソ現れたのは……黒猫に擬態しているどんぶりだった。


「あなた、そんなところで何してますの?」

「帰ってくるのを待っておったら、ちぃと寝てたようじゃ。まだ多少明るいとはいえ、わしに気づかんのは悲しいもんじゃなあ……」


 足音がしてもそちらは気づかないようだったし、こちらもどんぶりが物陰にいたら真っ黒なんだから気づくわけがない。そう言うと、どんぶりは豪快に笑い出した。


「それもそうじゃなあ! ンファハハハ! こりゃおかしいわ!」


……そんなに笑うとこあった? 爆笑されて急にこっちも引いてしまったわ。


「そうだわ、レトたちは魔界に?」

「うむ。急にナイーブになったレト王子を引きずって、三人で魔界に行ったぞい。その後、ヘリオス王子が食事を運んできたようじゃ」


 レトの様子がおかしいと思ったのだが、やはり絶大なダメージを与えてしまったのか……。他のことには耐性が強いのに、クリフ王子が絡むと何か調子が狂うのね。


「大丈夫なのかしら」

「さてのぅ……レト王子も、おぬしもお疲れのようじゃ」


 黒猫は金色の瞳 (なんか猫は金色の目でも、驚かれずに人間に受け入れられているのよね……魔族の可能性はないと思われているのかしら?)を細め、わたくしを見上げた。


「舞踏会も関係ないのなら、しばらく休息を取ることも可能じゃろうて」

「……それが、そういうわけにもいかないようです」

「ふむ? どれどれ……なるほどのぅ。フィッツロイという公爵家が何かきな臭いと踏んだのか」


 どういう感じで思考を読んでくるのかは不明だが、こういうときには話が早い。

 わたくしは頷くと、スプーンを置いて膝を叩く。


 来いという意味だと知り、どんぶりは猫の姿のまま膝に飛び乗った。

 サラサラとした毛並みとほんのりとした体温、そして小さな重みが加わる。


「……どう見ても……触った感じも猫なのに。これをどんぶりだと見破るアリアンヌさんの目は凄いですわね」

「どんぶりというのは既にワシの名前のようになっておらんか……? もっと素敵な名前が良かったんじゃが……」


 落胆の色を隠しきれず、がっくりとうなだれる姿は(猫なので)とても可愛い。

 よしよしと背中を撫でてやると、一応機嫌を持ち直したのか、軽く尻尾が揺れた。


「先ほどの話ですけれど、ラルフさんが本当に新しい魔術を考え出したのだとして。目に見えない白いモヤモヤは、わたくしとアリアンヌさんには見えていた……でも、他の方には見えていない可能性が高い。実際クリフ王子には見えていらっしゃらないようでしたもの」


「魔法感応能力も関係あるかもしれんぞ。フィッツロイ公爵家は知らんが、王家は武術のほうが得意そうじゃ」

「そうなると手近に……少なくともアルベルトとマクシミリアンにも聞き込みをしないといけませんわね。あ、あとセレスくんも……」


 魔法が得意なアルベルトと、王家とフィッツロイ家を知るマクシミリアンと、相手の状態や資質を把握できるセレスくん。


 彼らの情報を取り入れつつ、石に彫られていたあの文字のことも調べたい。


「のぅ、リリーティア。その謎の石のことじゃが……その文字、ワシ知っとるぞ。おぬしにも分かるはずじゃ」

「本当ですの?! どの文字でしょう!」


「……はぁ。鈍いのぅ……おぬし、自分が何の魔具を持っているか、忘れておらんか?」

「わたくしの魔具……忘れてなど、おりませんわ」


 そう呟きながら、胸のペンダントに手を当てる。


「魔王様から賜った魔具のひとつに、地上の文字ならば読み書きできるものがあるじゃろ? それが発揮されぬということは、もう消去法しかなかろうて」


 わたくしが表情を強ばらせると、どんぶりは『にゃあ』と可愛らしく一声鳴いた。


「そう……十中八九、魔界の文字で彫られとるわけじゃ。そこから導き出されるのは、フィッツロイ家は……魔族との関わりか、魔族の世界の知識があるっちゅうことじゃ」


 慎重に事を運ばねばならんぞ、とどんぶりに念押しされ……わたくしはゆっくり頷いた。



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こめんと

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