寮に戻ると、手早く着替えを済ませる。
相手はクリフ王子だから、わたくしの服装などあまり気に留めないだろうけど……王族の方だし、一応……本当に『一応』婚約者なのでラフすぎる格好でお会いするのも失礼だろう。
じゃあレトにはずぼらな姿を見せても平気なのかといわれれば、言わずもがなダメなわけであって……むしろ余計にだらしがないところは見せたくないわけで、結局レトのほうがクリフ王子よりも上、という扱いは今も昔も変わっていない。
肌の露出もなく、身体のラインが浮き出ないドレスに着替えて、髪を軽く直す……まあ、これくらいでいいか。指輪は……いらないだろう。
部屋を出ていく前にジャンに適当にくつろいでいるように告げると……わたくしの装いがいつもより良さげなことが気になったのか、どこに行くの? とレトが聞いてくる。
ここで素直に『クリフ王子です』と言ったらどうなるか。
『ああそう。いってらっしゃい』で済まないことくらい、一番よく分かっている。
空気読みスキルが高いジャンは、既に惨劇が目に見えているのか、普段よりも歩く速度を緩めてキッチンに水を取りに行った。
あいつ、またわたくしだけを悪者に……。
「……ちょっと……お話してきますの」
「誰と? アリアンヌ?」
「……(その) 隣、です」
「…………具体的に、誰?」
レトもさすがにわたくしの言葉を訝しみはじめた。
まさか、という表情が見え隠れする。マズい。しかし、もう隠すことは出来ない……。
「ク……クリフ王子です」
すると、レトはにこりと微笑んで頷く。爽やかすぎて超怖い。
「なぜか?」
簡潔かつ明瞭な問いかけだ。
「な、なぜか? そうですわね……少々込み入った話に、なってますの……」
「二人きり?」
綺麗な笑顔で質問攻めを受けている。
あからさまに不機嫌な顔で応対してもらうほうが気分的に楽だっていうのに……。
「恐らく、そういうことに……」
すると、長い沈黙が流れた。
ジャンは帰ってこない。そろそろお水飲み終わってるはずなのに……。
チラッとキッチンに視線を送ると、おれは助けないからな、という顔をし、キッチンで水を飲みながらこっちを見ていた。
ついでにお茶請け用のお菓子やクラッカーなどが入っている戸棚も空いてるから、物色までして空腹を満たしながら、レトの雷が落ちきるのを待つつもりのようだ。悪魔か。
「……いってらっしゃい」
にっこり微笑んだまま、レトは静かにわたくしを送り出してくれる。
「えっ……」
「話しに行くだけ。問題ないな?」
「そうです……」
レト、何か悪いものを食べたんじゃないのか。いつもだったらプンプン怒ってる気がするのに、優しく送り出して……。
「リリー、何時頃、戻る?」
「寮の夕食前には切り上げるつもりです。あ、お夕飯は魔界で食べますわ」
「わかった。きちんと話、する、いいよ」
……カタコトになってるけど大丈夫かな。
心配ではあるが、レトの気持ちが変わらぬうちに出るとしよう。
自室から出て廊下を歩き、アリアンヌの部屋を通り過ぎて、その横……クリフ王子の部屋の前に立つと、軽くノックする。
「……誰だ?」
控えめなクリフ王子の声量。リリーティアですと名乗ると、鍵は開いてる、という返答があった。入れということらしい。
「失礼致します」
扉を開ける前にそう告げて、ゆっくり扉を開くと……わたくしの部屋とは比べものにならないくらい豪華なお部屋で、これまた高級そうな一人がけの椅子に座ったままのクリフ王子がこちらを見ていた。
いつも付き従っているアルベルトもいない。
「誰も……いらっしゃらないのですね」
「ふん、貴様が二人きりで話したいと言ったからじゃないか」
こちらの要望を、素直に聞いてくれたのかしら……。
「茶は出さないぞ。飲みたければ勝手にやれ」
と、クリフ王子はどっかり座ったまま、ワゴンに乗ったままのティーセット(多分アルベルトがやってくれたのだろう)を指した。
お言葉に甘えてそこに近付き、お茶の準備をしていると……クリフ王子がじっとこちらを見ていた。
「……マクシミリアンやアリアンヌとは、よくこうして……?」
「ああ、そうですわね……アリアンヌさんは勝手に押しかけてきて、お茶だけではなくお風呂まで入ろうとしていくのですが、マクシミリアンは舞踏会の練習でここ数日――……いえ、なんでもありませんわ」
舞踏会という単語を出してしまったから、クリフ王子の眉がピクリと動いた。
「――……悪かった、と……謝罪するだけでは、いけないな……」
どうやら結構気にしているらしい。
「お気になさらず。わたくしも、驚く程下手なダンスを誰にも見せずに済んだことに、安堵しておりますから」
クリフ王子に紅茶を出しながらそう説明すると、どうやらフォローされたというのが分かったらしい。戸惑いながらもクリフ王子は、ありがとうと言う。
向かいに座るので失礼しますと声をかけ、クリフ王子が頷くのを見てから重い椅子を引いて腰を下ろした。フッカフカで生地も指触りが良くて気持ちが良い。
やっぱり、良い商品も必要かしら……。レトをあんな硬い椅子に座らせておくのもいけないわよね。王族なのにこの格差。
決してケチっているわけじゃないけど、あれで充分だと思っていたのだ。
うーん、一級品ってすごい。魔界に持って帰りたいわ……。
しばらく指先で心地よい感触を味わっていると、そんなに擦ったら穴が空く、とクリフ王子に言われて、そっと手を離す。
「失礼。肌触りがよろしかったので」
「気に入ったのなら買えば良いだろう?」
彼にとってはそういうモノや意識に囲まれて育ったし、当たり前のことなのだろう……が、王家御用達のお店の商品など、そうそう買えるものじゃないぞ。
「必要になればそう致します……さて、クリフ王子」
わたくしがこう切り出すと、彼の表情も硬くなる。
「いきなり本題からですが。フィッツロイ家とクリフ王子は親しいお付き合いをされているのでしょうか」
「フィッツロイ公爵……? ああ、伯父上と今年はよくお会いする。話題というのも学院のことや…………貴様とアリアンヌのことだが」
急に自分だけではなくアリアンヌのことも出てきた。
「わたくしとアリアンヌさんの……? どういった内容なのでしょう」
「そっ……、そんなことまで貴様に話す必要はない!」
そう言われたらそうなのだが……マクシミリアンの情報からだと、王妃殿下はわたくしを嫌っているのよね。そしてわたくしたち姉妹のことをフィッツロイのご当主も気にかけている……。
「もしや、王妃殿下もわたくしたち姉妹のことを、あなたにお話になるのでは?」
「…………」
そう尋ねると、ぐっと押し黙った。
「誤解なさらないで。わたくし、怒っているのではありませんわ。むしろ、怒る資格なんてありませんもの……」
「……自覚があるようだな」
クリフ王子は足を組み替えて、カップを手に取ると……母上は、と話し始める。
「母上は……ここ数ヶ月で、貴様への風当たりが強くなった。確かに僕もたまにリリーティアと口論したことを話しているが、僕が教えていない学院の話を知っていたり、アリアンヌの事を……とても褒めちぎっている。それを伯父上にも話されるのだろうな。アリアンヌ嬢と仲良くなさいとしきりに言ってくる」
……なるほど、フィッツロイ公爵と王妃様が組んでいるのは明らかなようだ。