【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/152話】


『うっ……ぐすっ……』


 アリアンヌのすすり泣きが聞こえてきたので、お怒りのマクシミリアンもどうしたのかとドアノブに伸ばしかけていた手を止めた。

――……再びわたくしたちは、扉に仲良く耳をくっつけるようにして音を拾う。

『……ア、アリアンヌ? なぜ泣くんだ』

『だってっ……、こんなの、おかしいですっ……! 私も、クリフォードさまのことは好きです。でも、こんなタイミングは、誰も幸せになりませんよっ……』

『そんなに……泣くことはないじゃないか……』


 狼狽しながら泣いているアリアンヌを慰めようとするクリフ王子。


 マクシミリアンは、はーっと安堵の息を吐いて、うんうんと頷いている。よかったねアリアンヌ……最悪の修羅場は回避されたよ……。


『……アリアンヌ、わかっているだろう? リリーティアは僕を好きではない。僕も彼女を好いてはいない。互いに……想う相手がいる』


 想う相手がいる、というところで……どきりと心臓の鼓動が強くなる。


 あんなバカそうなクリフ王子にも、一応わたくしのことはお見通しだったのだろうか。だとしたら、本当にバカなのはどっちだろうか……。

『リリーティアは……マクシミリアンのことが好きだ。そして、彼もそうだろう』

『……それは、全然違う気がします……』


……撤回しよう。クリフ王子はバカだ。


 ここでアリアンヌがさりげにフォローしてくれなければ、何言ってんじゃゴルァアー!! って、わたくしたちは揃って飛び出していたかもしれない。


『クリフォードさまが、婚約者であるお姉様よりも私に対して示してくださった……お誘いやお気持ち、とっても嬉しいです。でも、お受けできません。ごめんなさい……ううっ……』

『…………それは、リリーティアに申し訳がないから、か? それとも、既に約束があるからかな?』


 若干クリフ王子の声が低くなる。後者であれば、そいつを脅迫でもするつもりだろうか。


 わたくしも隣のマクシミリアンに視線を向けてみたが、視線の意味を感じたらしいマクシミリアンは首を横に振って、まだ、と言った。


「……『婚約者を誘う』という常識くらいは殿下にもお分かりだろうが……払拭できない不安があった。来て欲しくない『もしも』のために、彼女に声をかけるのは控えていた」

「……なるほど。正解でしたわね」


 何も言わなくても、打てば響く男だこと……。これだから有能は素晴らしいわ。

『いいえ、約束はありません』

『それなら、相手がいないだけだな? 僕は君を必ずエスコートに連れて行く。当日まで待っていてくれ、アリアンヌ……僕の輝く宝石……僕たちの恋に、誰一人として邪魔はさせないから……』

 なんか、恐ろしいこと言ってるな。


 レトだって『リリー……俺の輝く宝石……』なんて言わないぞ。

 逆に『その指には、俺の血液がよく映えるよ……それを見つめるうっとりした表情もたまらない……』って言うだろう。いや、言ってた気がする。


 レトはどこでどう間違えたのか、自分の血液を指輪 (の石)にして、相手の指に飾る……という発見と暗い喜びを見いだしてしまった。わたくしが宝石なのではなく、彼が宝石になるのだ……。


 そのうちこじらせて、飲み物に血が混ざる日も来るかもしれない。自傷行為をさせないように気をつけよう。

 しかし……レトのことは置いておいて、なんか妙に……クリフ王子の言動が引っかかる……。


 クリフ王子ってこんなキャラだったっけ?

 それとも、恋を自覚するとまわりが全部敵になるのか? 王家の生まれでなまじ権力を持っているだけに、排除しようと思ったら社会的にも可能。なんてメーワクなキャラだ。

 わたくしへの風当たりも今後強くなるなら仕方ないけど、いくらなんでもキャラ崩壊が激しくない?


 無印版はもう少し爽やかで、自信満々・文武両道・性格も良い(ただしヒロイン視点でしか見えていない面)っていう完璧な王子だったのに……あれじゃただのわがままだよ……。

 と、考えていると……衣装部屋の扉がゆっくり開かれ、困ったような顔のアリアンヌが立っている。

「――もう、クリフォードさまは帰りました。出てきても大丈夫ですよ」

 そろーっと衣装部屋から出て、居間を確認すると……確かにもう誰もいない。

 それぞれは顔を見合わせ……陰鬱なため息を吐く。


「嫌だって言っているのに、一方的に約束をこじつけて帰って行かれましたわね。普段あんなに強引だったかしら」


 すると、アリアンヌもはっと顔を上げてわたくしを見つめ、こくこくと何度も頷いた。


「そう、そこです。私も気になってたんです! いつもは、私が嫌だって言ったら引いてくれたり、もう少し良い方法を考えようとか言ってくださるんです……なのに……あんな風に言って……どうしてしまったんでしょう……クリフォードさまを見てると、目がモヤモヤします……」


 しゅんと肩を落とすアリアンヌ。なんなのよ、目がモヤモヤって。心じゃないのか。


 好きな人の別の顔を見てしまったようで、戸惑っているのかしら。まあ、告白もされちゃってるし動揺するのも仕方ないわよね……はぁ……こんな美少女が悲しむ様は辛い……。


「アリアンヌさん、先ほど泣いていらしたでしょう。お可哀想に……」

「あっ……、あれは、嘘泣きです……顔を覆っていただけで……泣いたら驚いて帰ってくれるかなあって考えて……ご、ごめんなさい……」


……嘘泣きを使う正ヒロイン様、なかなか黒い部分もあるな。


 持てるものを使ってピンチを切り抜けていくしたたかなところ、嫌いじゃないぞ。間違ってもわたくしに使わないでね。

「ねえ、マクシミリアン。クリフ王子、気になることを言っていましたわよね」

「…………」


 彼には思い至る家があるらしい。わたくしの視線を受け、気まずそうに顔を背けた。


「……『あの家』ですってよ。わたくし、その単語をこの間も別の方から聞いておりますが、全く覚えがありませんの。ですが、クリフ王子は……王妃殿下、そして『あの家』というヒントをくださった様子。その二つは繋がっているの?」


 マクシミリアンは目を伏せて答えない。


 その表情は苦しげに歪んでいて、どうやら言ってはいけないこと……として口に出すのを拒んでいるようだ。


「なるほど……違うと仰らないなら、もう肯定と見なしましょうか。どうもありがとう、あとは勝手に調べますわ」

「――よせ!! 君にどうにかなる相手じゃない!」


 ここで話していても仕方がない。もう部屋に戻ろうとしたところで……マクシミリアンが大きな声を発した。


 わたくしもアリアンヌもビクッと肩を震わせ、思わず動きを止めてマクシミリアンを凝視する。


 マクシミリアンは観念したのか、額に手を当てて『最悪だ』と口にした。

「……殿下の仰った『あの家』は、フィッツロイ公爵。もうひとつの公爵家だ。王妃殿下の兄上が現在の当主を務めている。つまり、現在王家に一番近い序列だ。宰相、いや……アラストル公爵家が何かを言ってきたところで――……無視することも可能だ、という意味だろう」


 そう教えてくれたマクシミリアンの眉間に、また深い皺が刻まれた。



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こめんと

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