今日は休みだが、毎週のように学院の一室を借り、レイラとライラはクインシーからレッスンを受けている。
そして、わたくしも同席してその様子を見守っているのだが――……今日は隣になぜかマクシミリアンも一緒にいる。
「お任せくださると仰っていたのに、どうなさったの?」
「俺も任せるつもりだったが、母が妙に騒いで……絶対に一部始終を見てこいと。レッスンは午前中だけだったな? 二時までに帰宅が間に合えば俺の予定も問題ない」
ああ、そういえば……昨日ディートリンデ様が帰り際にマクシミリアンと別室で喧嘩し始めていたな、と思い出した。
「夜、怒鳴り声が玄関まで聞こえましたわよ。すぐに失礼したのでその後何のことについて話していたかまでは存じませんけれど……あなたが行った契約や金銭のやりとりについて、わたくしに任せきりというのもいけないというお叱りではなくて?」
すると、マクシミリアンはハッとした顔をして頷いた。
「――なるほど。俺はなぜ母と父が『クインシーとリリーティアを二人にして放っておくな』と言って怒っているのかすら分からなかった。確かに、君だけでは法外な値段をふっかけることも、あるいは無料労働を強いる可能性もあるからな」
「あっ……た、確かに、控えめなクインシーの意見を鵜呑みにして無料労働というブラックなことを要求するかもしれませんわ……! さすがに指摘が鋭いわ、マクシミリアン!」
互いがいて良かったな、と微笑んでくれるので、わたくしもうんうんと頷いていると……なぜかジャンが疲れたように『二人して鈍感すぎじゃねぇか……?』と呟いていた。
ジャンがこんなにびっくりしている。確かにすぐお金貰おうとしてくるものね。
いや、もしかしたら当然のことなのかもしれない。海外だって、何かしてもらったらお礼のチップを払ったりするもの。わたくし今まで失念してたわ。
確かに無料の労働奉仕は絶対にしちゃいけないわよね。
そんなことを考えながらライラのほうに視線を向けると、彼女は熱を帯びた目でクインシーを見つめ、レッスンに励んでいる。
うーん……あれは、確かに恋する乙女の目だ。
クインシーかっこいいものね。歌声も綺麗だし、手もほっそりしていて綺麗だわ……わたくしの手より綺麗かも……。
まじまじと自分の手を見ると、まあ手入れは欠かさないから、あかぎれがあったり指毛が生えていたり爪の中に汚れなどもない。艶やかなものではある。
弓の練習をし始めると、この手はだんだん指先が荒れていく。もちろん武具の手入れで油を使うこともあるので、爪も黒くなっちゃうし。
「どうした?」
「ああ、クインシーの指、女のわたくしより綺麗だわ、と……」
素直にそう思ったことを口にすると、マクシミリアンも自分の手を見ている。あんたは剣を握ったりするから逞しい男の手をしてるよ。
「リリーティア……」
「はい?」
マクシミリアンは真剣な顔で、すまなかったな、と急に詫びてくる。
「なんです、急に」
「……俺が余計な口出しをして、君の苦労を増やしている気がする」
「は?」
急に謝られても……むしろ、こっちも自由に行動させてもらっているので、迷惑をお掛けしていることを謝罪しないといけないのだが……。
「マナーやダンスは大事なことだから覚えさせることを謝る気はないが、王妃殿下の話は不要だった。気に病んだだろう……」
「いえ、全く? むしろ、大きな声では言えませんけど……クリフ王子にとって嬉しい追い風になっているのではないかしら」
滅多なことを言うな、とマクシミリアンは声を潜めたが、わたくしはふふんと笑ってやる。
「強化合宿の自由時間中、あなた……クリフ王子に『適当に過ごしていろ』とかなんとか言われたのではなくて?」
「なぜ、そんな……」
言葉に詰まったマクシミリアンは、表情を硬くしてそれ以上追及されても屈しないぞという態度を見せているが、無駄無駄。わたくしアリアンヌから聞いているのですからね。
「クリフ王子はアリアンヌさんと毎日楽しく遊んでいたそうよ。もっと二人の想いは燃えたのね」
「…………せ、精神的な間柄の、はずだっ……」
なるほど、マクシミリアンはそこまで知らないのか。いや、クリフ王子が『アリアンヌとキスしたんだ! おでこに!』なんてマクシミリアンに言うわけないか……。言われても、おでこかよ……ってなるし……。
「とにかく……良くも悪くも、舞踏会は何かが起こりそうです。わたくしも励みますので、マクシミリアンも当日までにお父様にお会いすることがあれば、どうか些細な違和感にもお気をつけくださいと……」
「わかった。幸い、父上と伺う用事がある。そのように伝えておこう」
うう、頼りになるなぁ、マクシミリアン……。
そういう話を小声で行っていると、向こうもちょうど一区切り付いたようだ。
「なによ。あたしたちのレッスン聞いてるのかと思って張り切ってたら、全然聞いてないじゃないの。話が山のようにあるならカフェでも行きなさいよ」
「あら、張り切っていたのなら本当に申し訳ないことですわ」
レイラは頑張ってくれていたのに……と罪悪感を覚えて目を伏せると、ボンッという擬音語が似合いそうなくらい、瞬間的にレイラの顔が白から赤に変わった。
「ちちち、違うわ! あんたのために張り切ったとかじゃないわよ! ちょっと集中して張り切っちゃっただけっ!」
「でも……今日の声の伸び、いいよね……」
更にダメ押しをしてくるかのようなクインシーの言葉に、キッと彼を睨み付けるレイラ。赤い顔して睨んでも可愛いだけだから、やめておきなさいよ。
「あっ、あ……わたしもっ、今日頑張りました!」
姉に負けじと、自分もアピールしてくるライラ……だが、彼女はわたくしたちにアピールしているのではない。想い人であるクインシーに対してであろう。
「うん……オレの話を、熱心に聞いてくれて……実践してたね……」
「はいっ! 見てくれてたんだ……! 嬉しい」
優しげなクインシーの笑顔に、キラキラッと輝くライラの笑顔。ちょっと頬も赤くなっちゃって可愛い。うーん、他者のアオハル展開……素晴らしいわ。
わたくしもああいう、のどかでほのぼのした恋愛を楽しみたかった……。
「――……それで、オレに……話があるって……」
「ああ。契約はもう完了しているはずなのに、君がここしばらくずっと……こうしてレッスンをしていると聞いた」
あれっ、ここで話し始めちゃって良いの? あ、でも、学院のカフェに部外者を連れて行くわけにはいかないわよね……。
「レッ、レイラさん、ライラさん。カフェでお飲み物を人数分、買ってきていただけるかしら!? はいこれ、お財布……」
「ちょっ……、そんないっぱい入った財布、怖いから要らないわよ! 人数分くらいならお金あるし!」
ごそごそと鞄から革財布を取り出し、レイラに押しつけようとするが……逆に力一杯返された。
「行くわよライラ」
「え~? でも……」
「あたし一人じゃ、人数分持って帰れないってコトくらい分かるわよね? 逆らったらスカートカボチャ人間の刑よ」
スカートカボチャ……人間、って何かしら。も、もしかして、スカートを頭の上で縛る、漫画でよくある、あの羞恥プレイ全開の恐ろしい技かしら……?!
「ひっ……! や、やります、カボチャは絶対嫌ああ……!」
かわいそうなライラは、震えながら姉の命令通りにともに行くことにしてくれたようだ。わかるわ、見たことないけど、スカートカボチャ人間の刑はきっと恐ろしいわよね。わたくしだってそれを持ち出されたら動かざるを得ないわ。
教室を出て行くとき、レイラはちらっとわたくしを見て、ほんの小さく頷いた。
頼んだわよ、ってコトなのだろう……。それは分かるけど……。
今後どうしたいかを聞き出すことは出来ても、ライラのことまでは話が出来ないと思うわ……。