「本日も、というのはおかしいのですが……ご馳走様でした。調理の皆様に感謝を」
「うむ、リリーティアの言葉は必ず伝えておこう」
カルヴィン様も嬉しそうに微笑み、鷹揚に頷いてくださる。
帰り際ご家族一同、玄関先までわざわざ送ってくださった。
明日は休日なのもあって、マクシミリアンは実家に泊まるらしい。
「寮まで気をつけてねリリーティア。次はいついらっしゃるのかしら」
そう聞かれたので指折り数え……明日はクインシー、明後日は自由がてら魔界でくつろぐし……
「……三日後です、わね……」
「あら……そんなに先なの?」
そんなにって、休日挟んだだけなのだけど……確かに、ダンスの勉強もマナーの勉強も三日やらなかったら、下手になるかもしれないわ。ディートリンデ様も、そこを心配してくださっているようだ。
「できる限り、勉強した内容を忘れぬよう努めますわ!」
「えっ? あ、ああ……そうね、勉強、大変だわ……ちょっと、違うのだけど……」
どこかがっかりしたディートリンデ様の隣では、カルヴィン様が何かを堪えるように目を閉じている。なんだ、この夫妻。たまに変なところがあるな。
かくいうマクシミリアンは平常通りであり『クインシーのことはそっちで好きに決めて良い』と言ってくれたので、わたくしもそれに頷いた。
「……クインシーってどなた?」
「リリーティアに紹介した、グラッドストン音楽院の優等生です」
すると、ディートリンデ様は『えっ!? 紹介!? マックス、ちょっと来なさい』といって、息子の腕を掴むと引きずるようにしてどこかへ連れて行く。すげーパワーだ。あの細腕にどこからそんな力が湧いているのだ……。
ちなみに、時折マクシミリアンはマックスと呼ばれている。恐らく、略称は家族の間だけで呼ばれているのだろう。
「…………それでは、リリーティア。気をつけて帰りなさい……くれぐれも、うちの息子とは違って、身だしなみに気を遣わない男や気の利かない男、大事に扱ってくれない男には引っかからぬように。そうそう、息子をよろしく頼むよ」
「?? えっ、と……はい……?」
カルヴィン様、何言ってんだろう。
わたくしが訝しんでいると『もう行こうぜ……』という疲れたジャンの声がかけられたので、お別れの礼をきちんと行ったところで――……。
『リリィちゃんと音楽院の男に何かあったらどうしてくれるのよ! いい!? 貴方たちってほんっとうに自分のことに鈍感な子なんだから――』『なんでもかんでもリリーティアや俺に結びつけてくるのは止めてください! 俺もリリーティアも迷惑です!』
奥からディートリンデ様とマクシミリアンが言い争う声が聞こえた。
なんだ、なんだ。ああやって怒鳴るマクシミリアンも珍しいな。
「リッ、リリーティア! それでは気をつけて帰りたまえ!!」
後方の様子が気になっていると、カルヴィン様は喧騒に負けぬほどの声量で別れの挨拶をし、わたくしを半ば無理矢理外に送り出した。
そのままバタンと扉を閉め、バタバタと遠ざかる足音から察すると……急いで親子喧嘩の現場に向かっていったようだ。
扉が閉まっているから何を言っているかは分からないにしろ、何かギャアギャアみんなでわめいているように聞こえるが……。
「……アラストル家も何やら大変なのですわねえ……」
「…………」
ジャンは何も言わず、わたくしのことを呆れたように見つめてから……首を横に振っている。
「なんですの?」
「別に。水色メガネが、というかあの家が。やけにあんたに親身なのが分かっただけだ」
そう言って前を歩き出したジャンは、実際どうなんだよ、と振り返りもせずに聞いてきた。
「どうとは、ダンスの進捗ですの?」
「……水色メガネ……の両親は。あんたのこと相当好きだぜ」
そうなのだろうか。まあ、嫌われている感じはあんまりなかったけど……。
「――わたくしが親に甘えることが出来ないことをご存じなのでしょうね。その分お優しく接してくださって……良い人たちだと心から思っています。でも……ご好意に甘え続けることは出来ませんわ」
「いーんじゃねぇの? あっちはいつでも大歓迎だろう」
そうは言われても。他人のご両親だし。
「……わたくし、自身の両親に甘えるつもりも、アラストル家にべったり依存するつもりもございませんわ。わたくしには大変頼りになる、とっても素敵な未来の義父様がいますもの」
すると、ジャンは鼻で笑った。嫌な感じはしなかったから、返事のつもりだったんだろうか。
◆◆◆
「ただい――……きゃっ!?」
「――……お帰り、リリちゃん。ああ、今日も可愛いねえ」
寮の部屋に戻ってくると即座に魔界に転移され、気づいたら魔王様の膝の上にいた。ジャンの姿はどこにもない。わたくしだけ転移されているってことだ。
ふんわり抱きしめられているのだが、魔王様と見つめ合うように抱きしめられているので、大変によろしいご尊顔が眼前にある。眼福どころか眼が灼かれそうだ。
「照れちゃってまあ……レトゥハルト達が羨ましがっちゃうねえ……」
「あのっ、わたくしもう子供じゃございませんのでっ……! このように抱っこされては、困ります!」
じたばたと暴れてみても、レトによく似た(レトがよく似ている、のだが)お顔立ちの魔王様は、嬉しそうに微笑んでいるだけだ。
「未来のパパかあ」
「ちょっ……! また、覗きまくっていますのね! ばかっ、魔王様のえっち!!」
「嬉しいよ、そんな風に思ってくれて」
そう言って頭を優しく撫でてくれる魔王様。
レトに撫でられるとドキドキするけど、魔王様に撫でられると、なんだか……本当に大丈夫、安心していい……っていう気がする。
日々の学院生活や、アラストル家に行っていたりする毎日。ボロを出さないように、油断しないようにと緊張して冷たく尖った感情が、ゆっくりと溶かされていくかのようだ。
「……リリちゃん、メガネくんの両親にもモテモテなんだねえ……魔王はちょっと妬いちゃうな。うちも負けないくらい溺愛してるんだけど」
「ふふ、溺愛されているのは……怖いくらい存じ上げております」
魔王様の手は広くて、あったかい。なんか良い匂いもする……。
「……もし、わたくしが様々なことで弱音を吐きたいときには、聞いてくださいませね?」
「レトゥハルトの役目じゃないことなら、いつでも良いよ」
魔王様は優しく微笑んで金色の瞳を細めた後、そっとわたくしを解放した。
「早く、レトゥハルトのお嫁さんになって、名実ともにぼくの娘になってね」
「…………」
う、うぁあ……魔王様ァ……。
なる、リリーティアは魔王様の娘に……レトの奥さんになりたいのです……!
しかもそんな最高の言葉を言われたら、わたくし、感極まって涙腺が崩壊しちゃうよ……。
「魔お……」「――リリー!!」「リリーティア!!」
魔王様に向かって手を差し伸べようとした瞬間、わたくしの後方で騒がしく声がかけられた。
動き出そうとした手が止まり、ボロボロ泣いたまま後方を振り返る。
レトとヘリオス王子の嬉しそうな表情はそのままビシッと固まり、だんだん疑念に満ちた表情へと変化していく。
こんなこと、数日前にもあったわね。
「……父上、リリーに何したの?」
「えっ!? 何もしてないよ!?」
「うそだ。リリーティアから魔王臭がする」
「魔王臭ってなに!? 加齢臭みたいなもの!?」
じりじりと息子二人はわたくしの両脇に立ち、くんくん身体の匂いを嗅ぎ始める。怖い。この間から……なんかの流行なの?
ダンスで汗もかいてるし、冷や汗も出したし、そういうフェチっぽいことされるのは恥ずかしいわ……。
「リリー、なんで泣いてるの……無理矢理覗かれたの?」
「いえ、アレではありません……ちょっと、嬉しいことがあっただけですわ」
とっても嬉しいことがあっただけだ。
そう告げると一応、レトは信じてくれたようだが……ヘリオス王子だけは魔王様に詰め寄り、いやらしいジジイだ、と暴言を吐き始める。
「うぐっ……そういう、やましい気持ちで抱っこしたわけじゃ……」
「気持ちを抑えきれず抱っこしたんだ……息子の恋人に……最低……」
「そういう、直接的に犯罪みたいな言い方するの止めて……」
ヘリオス王子の軽蔑の眼差しが突き刺さっている。墓穴を掘ってしまったな、魔王様。
「……あ、痛、いたた……お腹痛いから寝るね、おやすみ」
魔王様は素早くベッドに潜り込み、もう何も答えませんモードに入ってしまった。
ドスケベ、変態、ロリコンとか罵詈雑言を受けても知らんぷり。しかしヘリオス王子、わたくしロリじゃないし、ドスケベはいくらなんでもかわいそうだよ。
確かにこれが……おっさん、という言葉が似合いそうな殿方だったら、そういう事を言い放ってもわたくしは憐憫の情すら向けないだろうから……顔面偏差値重視の二次元社会は大変だわ。
「もうやめろよ、ヘリオス。父上だってリリーが可愛いからしょうがなかったんだ……」
「そうなの! さっきのリリちゃん、レトゥハルトやヘリオスなんか比較にならないくらい可愛かった!」
「あっ、返事した」
布団を剥ぎ取ろうとするヘリオス王子だが、頑なな亀のように潜り込んでいる魔王様のガードは堅い。
和気藹々とする魔界の親子に、わたくしは安らぎを感じながら、仲間の顔でも見に行こうとその場を辞した。