まったく、最近忙しくて大変だわ……。
学院が終わってすぐ、ここのところ毎日マクシミリアンのお屋敷へと足を運んでいる。ジャンはそろそろ寮に帰ろうという頃……だいたい夜の九時まで時間をどこかで潰しているのだが、ちゃっかりこのお屋敷でご飯をいただいているらしい。
連日最初の二時間でマナーの復習をし、休憩を挟んで二時間ダンスを踊り、それが終わると美味しい食事を出していただけるのだけど……。
「リリーティア、食事は口に合うかね」
「ええ……どれもとても美味しくて、食べることに集中するあまり無口になってしまいますわ」
「まあ、リリーティアったら……お上手だこと」
――……マクシミリアンのご両親、つまりカルヴィン・ルー・アラストル宰相ご夫妻ともお食事をご一緒するってことなのよ……。
そりゃ、お家で食事するのは当然だけど……わたくし、ほんと……なんでここにいるのかしらって気がするわ……。
「そう緊張するな。予行練習だと思えば良いじゃないか」
わたくしにマクシミリアンが笑いかけて、緊張を解そうとしてくださっているけど……何言ってんのよあんた! ここでわたくしが恥ずかしいところを宰相閣下にお見せしたら、陛下のお耳に入るじゃない。
『リリーティア、ありゃダメですな』とか言われちゃったら……! 別に言われても良いんだけど、お父様やアリアンヌの人生に差し障りが出ては困るわ!!
そういう思いが顔に出たのか、閣下の奥方……ディートリンデ様がおかしそうに笑う。その仕草も決して庶民のそれではなく、笑い方まで優雅だ。
「リリーティア、公の場であれば厳しい目を持って応じなければなりませんが……今は非公式ですし、貴女はよくアラストル家を我が家のように使っていたのですよ。当時を思えば今更、そんなふうに猫を被っても……うふふっ。可愛いこと」
いったい、この屋敷でリリーティアのクソガキは何をしたというの……。
そして、そんなとんでもないやべーやつと未だに良くしてくださるアラストル公爵家は善人しかいないのか……? ここは寺とか教会にすべきじゃないかしら。
「……アラストル公爵家の皆様には、このような状態のわたくしにも温情を賜り……大変感謝しております。それにずるずると甘えてしまうのは、人間としても身分的にも良くないことではあると思っているのですが……」
「何を言うのかね。子供の頃から家で本を読んでばかりの息子を連れ出して、外で大はしゃぎしていたじゃないか。おかげで息子も頭でっかちにならずに済んだようなものさ。ほら、マクシミリアンとリリーティアが泥団子を作って窓ガラスを的にしていたこともあったなあ……一階の窓ガラスをどれだけ速く割れるかを競っていたっけ……」
「ああ……懐かしい思い出ですわねぇ~。宝石のティアラを欲しいとねだって、お小遣いがないからって断ったマクシミリアンを、奴隷商人に売りつけるって言って泣いて困らせたこともあったのよ」
「そうそう、うちの花壇を走り回ったり、マクシミリアンを大階段の手すりに乗せて背を押し、派手に転ばせてみたり。見た目の可憐さからは想像も付かない悪魔的な所業を繰り返していたね」
和やか~にアラストル公爵家の皆様は当時を思い返しているようだし、マクシミリアンもうんうんと頷く……が……。
リリーティア……さ・い・て・い!!
死んでお詫びしたい。わたくしがやったことじゃないけど、リリーティアが鬼畜の所業でアラストル家に何をしてきたかわかってきた……。むしろマクシミリアン死にかけてるじゃないの……!
「……記憶がございませんという逃げ道で言い逃れするつもりはないのですが、本当に……本当に様々な悪行申し訳ございません……!!」
マクシミリアンも怪我させてごめんなさい!!
土下座して謝ろうかと思ったが、席を立った瞬間、カルヴィン様がわたくしの行動を手で制した。
「いいんだよ、リリーティア。最初はもちろん驚いたものだが、毎日のようにラッセル……いや、ローレンシュタイン家から使いと謝罪の書面が来ていたし、マクシミリアンは妙に頑丈だし、そんなことをされても全く気にせず翌日遊びに誘っている。我々はリリーティアが次にどんなことをしてくるか、数を重ねていくごとにだんだん楽しみになってしまったんだ。妻共々、リリーティアの一番のファンだと言っても良いのだよ。幼い頃から二人はそんな感じでとても仲が良かったから、将来はきっと――ああ、マクシミリアンのよき友人になってくれるだろうと思っていたんだよ」
何かを言おうとして止めた気配があったが、誰一人として表情を変えることはなかったので、わたくしの思い違い……ということにしよう。
「父とローレンシュタイン伯は士官学校の同期であり、当時から気が合っていたそうだ」
「まあ、そうなのですか……。お父様からはそのようなお話聞いたこともございませんけれど、それにしても……わたくし……数々の所業、大変罪深くお恥ずかしいことです」
「昔のことだから言うが、君は様々な方にやらかしている。俺が覚えていることを教えても構わないが、君が修道女になりかねん」
そんなにか……。
度重なる凶悪な遊び……むしろサイコパス令嬢の悪行を一身に受けても気にしないマクシミリアンが凄いのか、全てを許して楽しんでいる夫妻が凄いのかよく分からない家だ。
濃厚なポタージュを銀のスプーンで掬って口に運ぶと、そういえば、とディートリンデ様がわたくしに穏やかな視線を投げかける。
「先ほどダンスを拝見しましたけれど。なかなか飲み込みが早くて、もう転んだり二人で足が痛いと騒がなくなってきましたわね」
「あ……おほほ……そこは、マクシミリアン様のおみ足を踏み続けたから……ということなのかもしれませんわ」
「昔も今も、よく踏まれるものだ。今はヒールだから、体重のかけ方に気をつけろよ」
足の骨が折れては教えてやることも出来ないからな……と冗談を交えるマクシミリアンに、ご夫妻も笑った。
「リリーティア、もうクリフォード殿下からエスコートのお誘いは来たの?」
「えっ……? まだ、なのではないかと……」
わたくしも『えっ?』って感じだけど、同じように『えっ?』という顔をするアラストル家の皆様。
「……マクシミリアン、おまえ、きちんと殿下には……」
「ええ。エスコートする相手を間違えないようにと進言していますよ。しかし、まだ、とは……もう一度明日、お伺いしてみましょう」
カルヴィン様とマクシミリアンはそう話し合っているが、これは……ちょっと不穏な流れになりそうだな……。
クリフ王子の婚約者はわたくしだから、常識的にわたくしをエスコートすることになるのだが……はて……そういえば、これって……。
「あの、わたくし……いわゆるデビュタント……?」
「……だから、余計きっちりしておきたいことじゃないか」
大変なことである。
社交界へのデビューも兼ねているのだ。ただでさえクリフ王子の婚約者という立場なのに、それも兼ねるとすると――……全ての視線が集まると言っても良い。失敗は許されない。
「そっ……それは、とんでもない事態だわ……!」
ガッチガチに緊張し始めたわたくしに、苦笑いして大丈夫よと励ましてくださるディートリンデ様。お優しい……。
「国王陛下と王妃殿下にご挨拶して、言葉を交わして降りてくれば良いだけだから。その後、クリフォード殿下と息子と一曲二曲踊ってから、ローレンシュタイン伯のお側でお食事なさい。後ほど私が参りましょう」
女神がいた。マクシミリアンのママ様大好き……。自らの母親に愛着を持てないわたくしが、マクシミリアンのママ様にときめいちゃうのもきっと良くないわよね……。
「マクシミリアンはもう、エスコートをお決めになったの?」
「ん……それは――……まだだが」
歯切れ悪く答え、マクシミリアンはちょっと考え込むように押し黙る。
「……アリアンヌ嬢を、お誘いした方が良いか考えていて……」
「まあ」
初耳~……という顔をしていると、違うのよ、とママ様……じゃなかった、ディートリンデ様がなぜか慌ててわたくしに言葉をかける。
「クリフォード殿下が貴女をお誘いするでしょうから、アリアンヌ様がお父上と同伴することになるでしょう。変なことではありませんけれど、アリアンヌ様もデビュタントならばエスコート相手がいるほうが華やかです。息子はそう考えているのよ……」
そつがないな、マクシミリアン。うちのことばっかり考えてない? 大丈夫?
「なるほど……わたくしてっきり、あなたアリアンヌさんを……と思ってしまいましたわ」
「そんなわけないだろう……」
クリフ王子の気持ちも、アリアンヌの気持ちも感づいている彼なのだ。
その言葉通り、横恋慕なんかするわけがないのだろう。
「そうよ! アリアンヌ様じゃないわ!」
「そうだな」
なんで夫妻も深く頷いているのかはわからないけど、アリアンヌはアラストル家と交流なさそうだものね。付き合ってみれば互いに価値観が変わるかもしれないのに……。
「わたくしの事をそんなに心配なさらず。はぁ~……ほんと、あなたに一日も早く素敵な方が見つかってほしいものですわ……そうだ、良いお嬢さんがいたら紹介致しますわね!」
そうマクシミリアンに告げて鴨肉のローストを口に運んで微笑んでいると『余計なお世話だ』という言葉がマクシミリアンから返ってきた……のはいいのだが。
なんか、ご夫妻が笑顔を貼り付けたままわたくしを見つめているんですけど……。
まずいことを口にしただろうか……触れちゃいけない何かがあったとか……。
「リリーティアったら、マクシミリアンの心配をしてくださるなんて……」
「はっはっは、確かにこのままではどちらも心配だろうからなあ……」
……どちらも、って何……?
わたくしとアリアンヌのどっちがクリフ王子に選ばれるかってこと? それとも……何か他に意味が……? 怖いよぅ……。
「……どうした?」
わたくしが急に黙ってしまったので、怪訝そうな顔をしたマクシミリアンが眉をひそめて声をかけてきた。
「鴨、美味しい、ですわね……」
「それは良かった」