【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/142話】


――ここ数日、リリーの様子がおかしい。

 身体に不調があるという意味の『おかしい』ではない。


 どこか……俺によそよそしく、帰ってくる時間も普段より五時間ばかり遅い。異常だ。


 食事もどこかで済ませて帰ってくるし、戻ってきても会話もそこそこに魔界へ行き、魔界の大気に乱れがないかを父上と確認し、入浴を済ませて寮の自室で眠る……という生活になっている。


 何かが違う――……と、俺が察するのに時間はかからなかった。


 こんなに毎日帰宅が遅いこともなかったのだから当然だ。気づかないほうがどうかしている。

 何年も一緒にいるし、俺自身、リリーと過ごせる時間を毎日心待ちにしている。髪型を変えたとか、リップの色を変えたとか……些細な変化だって見逃したりしない、と自負するくらいには彼女を見てきたつもりだ。


 リリーが帰宅するであろう時刻に合わせて自分の一日の予定を組んでいるし、もしも作業が残ってしまったら、重要なものでなければ彼女が就寝してから魔界に戻って続きを行っている。


 俺がリリーの変化に気づくのは、恋人だから当然であるとして……なぜなのか知らないけれど、ヘリオスの鼻は魔狼にも勝てるんじゃないかと思わされるくらいに利く。主にその能力は、リリーに付いた男の臭いを暴く方面で活用されている。

 そして今日『リリーティアから毎日マクシミリアンの臭いが濃厚にする』という、不穏な発言がもたらされ、俺は耳を疑った。

「濃厚……なんで?」

「知らないよ。でも、するんだもの。リリーティアの手とか、腰とかからは特に」


『マクシミリアンの臭い』……というところもだけど、それが一層漂う『部位』などの断定はどうやって判断しているんだ? そっちのほうが気になるし、リリーに近付いて直接嗅いでいるなら止めて欲しいんだけど。


「ジャンがいるから、おかしなことにはなっていないと思うよ。リリーも……何か意にそぐわない接触をされているわけじゃないようだし」


 俺は努めて平常心を保ちながらそうヘリオスを諭した……つもりだったが、心臓は嫌な感じでドキドキするし、この間リリーにあんなことまでしてきつく言ったばっかりなのに、という葛藤や焦げ付くような苛立ちが胸に満ちていく。


 リリーのことは心から信頼している。それに、ため息が出るほど彼女は美しい。

 初めて出会った当初も可愛らしい子だったが、次第に子供らしさが抜けて魅力的な女性になったと思う。


 地上の書物では『女神のようだ』とか『天使である』というような褒め言葉を使用することもあるようだが、魔界式ではどう褒めたら良いのだろう。


『さすが魔導の娘』という褒め方では何か違う気がする。それに【魔導の娘】はリリーの役職のようなものだし、全然褒めている感じがしない。


 魔界式に褒めると、良さが全く伝わってこない。おとなしく、ここは『リリーは神の創りたもうた奇跡の少女』としておこう。


 その奇跡の少女は、異性の心を掴むのが上手すぎるんだ。


 リリーとの出会いは、俺が彼女を別荘から無理矢理連れ……さらってきたような状態だったのに、怖がることもなく、逆に笑顔を見せて親身に魔界と王家に尽くしてくれた。


 俺と父上の食べ物や生活環境を整え、なんでも我がことのように一つ一つを喜び、悲しむ……そんなふうに心優しく、自分を飾らず、ひたむきな彼女に俺のような他者とのふれあいを知らない男が惹かれないはずはなく、俺はすぐに彼女を気に入って……いや、恋に落ちた。今も好きで好きでしょうがない。


 そして、何が困るかといえば……リリーは自分に向けられる恋愛的な好感情を読むことが下手で……つまり人たらしの鈍感女、という響きが似合ってしまう、悲しい美少女だ。


 俺も『好きだ』と頑張って伝えているのにずっと伝わらなくて、何度ももどかしい想いをしたことを思い出す。はっきり言っているのに、なぜ伝わっていなかったのかが分からない……。


 だが、当時からリリーは『結婚するならレト王子に決まっている』なんて言って俺のことをショック死させようとしてきたり『一番好き』と、照れながら言ってくれたりと、とんでもなく可愛いことをしてくれる。思い出すだけで嬉しい。


 紆余曲折あって、ようやく想いが通じ……恋人同士となった今は、きちんと『好き』だと言えば彼女に届いているようだが……そういう仲であっても、ライバルばかりが増えていくのはどうしてなんだ……? リリーは男に何か魔法でもかけているのか?

 婚約破棄とかいう関係解除の約定を全うするために地上に戻ってからというもの、リリーとマクシミリアンが一緒に過ごすことは少なくない。


 むしろ、マクシミリアンはリリーの良き理解者でもあり、あの忌々しいクリフォードが暴走した場合にも苦言を呈することが出来る人物だ。


 彼はリリーとクリフォードをなんとかくっつけようという画策さえしていなければ、俺も人間的によく出来た人物である……という評価を下していることだろう。

 それなのに……。

「……唯一、マクシミリアンはリリーになびかない男だと思っていたのに……」

「一番先にやられている可能性があるよ。幼少の頃からリリーティアの下僕みたいにさせられてたらしいからねぇ……」


 俺が膝から床に崩れ落ちて頭を抱えていると、追い打ちをかけるようにヘリオスが可能性を示唆する。


 そうか、幼馴染とかいう間柄だと聞いたし、クリフォードよりもリリーとの付き合いが長いのだった……うう、俺はリリーと知り合うのが遅すぎたんじゃないかと思えて胃が痛い。


 俺が彼女を地上で見つける間に、マクシミリアン、クリフォード、ヘリオス、イヴァン(イヴァンの場合は直接の出会いがあったわけじゃないようだが)という男達が関わっていて、俺はイヴァンが出てくる前までは、クリフォードだけを宿命のライバルだと認定していれば良かったのに……。

「……じゃあ気持ち悪いくらい正確なヘリオスの鼻を信じたら、その元下僕(マクシミリアン)、毎日リリーと何してるんだよ……」

「抱き合ってるのは間違いないんじゃないかな……良くないよね~」

「だっ……?!」


 とぼけたような軽い口調でさらっと言ってくれるヘリオスだが、その言葉は、俺にとって多大な衝撃となって襲いかかった。その衝撃の強さたるや、ドラゴンに踏み潰される方がまだマシかもしれないと思える。

 抱き合う。

 抱き合うって、つまり身体と身体を密着している状態だよな。

 俺以外に抱き合って良いわけがないのは、リリーだって分かってくれているはずだ……絶対、分かっているはずだ。頼むから分かっていて欲しい。


「……そっ、それ以外に、何もないよな?」

「汗以外体液の臭いはしない」

「たっ、体液とか生々しい単語を出すな!! 大げさに言うの止めろよ!!」


 俺がヘリオスに注意を促すと、どこまで想像しているんだい、というあきれ顔でこちらを見ていた。相手に対する思いやりが全く感じられない表情だ。


「汗の臭いはするけど、血液とか唾液とか、あとはそういう……直接的に言うとレトゥハルトが恥ずかしくて気絶する単語や体液交換はないようだよ」

「そっ……そんなの分かってるよ! だいたい、単語を言われたくらいで興奮したり気絶したりするわけないだろ!!」


 どれだけ子供扱いするんだ。しかも、ヘリオスは俺が虚勢を張っていると思って……フッ、と小馬鹿にするような笑いを浮かべた。


「じゃあなんだ、ヘリオスは……リリーの裸を見ちゃったとしても何も感じないの? あ、想像したら殴るからね」


「自分で振っておいて想像するなって……それとこれとは別だよ。鎖をつけるときに見たリリーティアのうなじや足首だって充分ドキドキしたのに、裸を見る機会があったらボクもおかしくなるかもしれないよ」

「なっ……なに、それ? お前いったい……いや、それは今いい……」


 鎖とか気になる単語が出てきたけど、いつかリリーの精神を奪ったときに閉じ込めていた部屋での話か?


 あのときのリリーは常に『眠い』って言っていて、眠すぎてとろんとした顔も、寝起きの焦点が合っていない感じや『レト王子……?』って呼ぶ声も、寝顔も可愛かった……頬を甘噛みして柔らかさを堪能したいくらい可愛かった。


「リリーは、どんなときも可愛いから……」

「それについては全肯定するしかないかな……」


 と、珍しく俺たちの意見が合ったところで……。


「……父親の前でそんな話していて恥ずかしくないのかい、お前達は……」


 そんな俺たちのことをベッドの中から生暖かく見ているのが父上であり、息子達の会話の何かが辛かったのか、眉を寄せ、悲しげなお顔をされている。


 常に病弱そうに伏せっている印象しかないが、栄養管理はノヴァが万全に行っているし、普段父上の仕事は回ってこないので、ただ日がな一日寝て過ごしているだけだ。

「リリちゃんがびっくりしちゃうくらい鈍感でも、やって良いことと悪いことは判断できているよ。ちなみにメガネくんとリリちゃんが二人っきりで何かしているとき、ジャンくんは席を外しています」


……父上、リリーに怒られてもまだ時々覗いているんだ……俺はそれが分かってしまったことにも動揺を隠せない。


「リリーに拳で思い切り頬を打ち抜かれても知りませんよ。非力だからあまり痛くないけど、リリーに殴られたというショックがとても大きいです」

「レトゥハルトは殴られたことがあるから分かる痛みだねえ。大丈夫、バレないようにやるし、リリちゃんが着替えたりお風呂に入っている間とかは今まで一度も見ていないから安心しなさい」


 当たり前だ、そんなこと。リリーの裸は誰にも見せるわけに――……というのを考えて、この間水鏡 (リリーは『どんぶり』と呼んでいる)のせいで、リリーの半裸を見てしまった件を思い出した。


 水鏡を捕まえる際にちょっと横目で見てしまったが、タオルで身体を隠していても、充分……理性を焼き切りそうな、これ以上考えちゃいけないものだった。


 うっ、忘れようとしたのに、また思い出してしまった。徐々に自分の顔が熱を帯びるのが分かる。


「赤くなってる。いやらしい……」

「ちっ、違う! 別のことで……いや、そうじゃない……」


 話を仕切り直すために咳払いをし、ふぅと息を吐いてから父上とヘリオスを見る。


「その口ぶりですと父上は、リリーが何をしているか……既にご存じのようですね」

「きちんと理由も聞いているよ。説明しているときのリリちゃんは……ふふ、照れちゃって可愛らしかったねぇ。ぼくもそれ、楽しみだなあ。一秒でも早く叶うと良いなぁ~」


 父上の仰る『それ』というものが俺たちには全く分からないのだが、デレデレとだらしなく浮かれた表情からすると、魔界にとっても王家にとっても悪いことではない……ようだ。


「そうであっても……リリーが俺に内密にするのは、余程のことかと」

「気になるなら聞けば良いじゃないか。そんなに拗ねてブツブツ言ってみっともない。めんどくさい・ウザい・重いの三拍子揃った男は捨てられても知らないよ」

「ぐっ……」


 面倒くさいのとウザいのは一緒では……ないのか……? でも、父上にそう言われると……リリーと直接話をした方が良いのも分かっている。


 しかし、そのリリーを最近独占しているのはマクシミリアンだ。


 クリフォードではないだけ良いかもしれないと思ったが、クリフォードだったらもっと許せなかっただろう……どのみち、俺とリリーの時間を奪っているのは確かなのだ。


 今すぐ連れ戻したいところだが、俺が彼らの前に姿を現すことは出来ない。

 もしそんなことをしてしまえば、リリーの努力が水泡に帰すからだ。


 リリーが嫌がることは……したくない。


 だけど、早く俺のところに帰ってきて欲しいという気持ちは消えない。


 マクシミリアン……なぜなんだ……ほとんど話したこともないのに、裏切られた気分だ……。


「俺……マクシミリアンが……嫌いになりそうだ……」

「リリちゃんに近付く男はもともと誰も好きじゃないでしょうに。まあ彼は、それなりに良い子だよね。彼がいなかったら、リリちゃんは辛い学院生活だったろうねえ」


 さりげなくマクシミリアンの評価を上げてくる父上。


 クリフォードは第一印象が最悪だったばかりか、リリーを蔑み、人前で悪し様に罵るという行動も多いようなので、この手で八つ裂きにしてやりたいと何度か思った程度には大嫌いだが、マクシミリアンは人が良すぎて、父上もリリーも安心しきっている。


 良いやつなのに俺の中でマクシミリアン嫌い度が日に日に上がってしまいそうだ。ごめん。


 きみとはリリーを介さない別の形で出会いたかった。来世魔族に生まれ変わったら、友人としてよろしく頼みたい。


「……今夜、リリーに聞いてみます……」

「それがいいね。どんな話を聞いても、襲いかかるんじゃないよ」


 人を殺人鬼か理性のない魔物のように言ってくる父上の表情は、困惑したような謎の期待感があるような、判断しがたい色をたたえている。


「……そろそろ帰ってくると思うよ。もう寮に戻りなさい」


 父上が水晶玉をベッドの中からニュッと突き出して教えてくれる。


 リリーはジャンと肩を並べて、寮へ続く大きな道を歩いているところだ。


 暗いから気をつけて帰ってきてほしいけど、もしリリーを狙って暴漢が現れたとしても……ジャンが側にいるのだから、何もできないまま返り討ちに遭うだろう。そうなった場合、暴漢は不運であったとしか言えないな。


 寮に入り、階段を上り始めている。暗い部屋を見たら心細く思うかもしれないから、居間の灯りを付けて出迎えてあげないと。


 俺はヘリオスに行こうと声をかけ、転移魔法を唱えた。



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こめんと

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