「リリーティア。貴様、僕にだけではなく陛下にまで恥をかかせてくれたな!」
王宮で行われた舞踏会で、きらびやかな装いをした大勢の紳士淑女に注目されながら、あのクソデカボイスでクリフ王子はわたくしに指を突き付ける。
整った彼の顔は怒りで紅潮し――……いつも怒って同じような言葉を言われているけれど、今日の怒りはいつもの比ではなく……これは本気で、ものすごく怒っている。ガチギレだ。
青ざめた顔のアリアンヌが、わたくしとクリフ王子の間に入ろうとして……お父様に止められていた。
しんと静まりかえった会場。張り詰めた空気。わたくしは陛下と王妃殿下にも冷ややかに見つめられ、申し訳ございません……と震える細い声で許しを請うのが精一杯だった。
『やはり自覚もなく遊び歩いているという噂は本当だった……』
『これでローレンシュタイン家も……』
周囲のどこかから聞こえるささやきは、隠しきれない人の暗い喜びも含まれていた。
妙にクリアな音質で耳に届き……中には忍び笑いもあった。
「――リリーティア」
厳しい女性の声が降ってくる。
はっと顔を上げると、それはとてつもなく不機嫌そうな王妃様であり、扇でわたくしの事を指し示し『期待があっただけに、本当に失望しました』と冷酷に告げられた。
「もう下がりなさい。今後許可なく王子に近寄ることを禁じます」
「……」
わたくしは静かに一礼し、舞踏会の場から退場ということになるようだが――……。
「――ローレンシュタイン伯爵、その娘であるアリアンヌ、そなたらにもリリーティアの不始末による責任を受けていただきます」
「…………はい」
父上は無言のままその場で礼の姿勢を取り、悲しげな声で応じたのはアリアンヌだ。
クリフ王子の『……すまない……』という苦渋に満ちた声がかけられたのは、間違いなくわたくしではなく――アリアンヌだろう。
わたくしの背後で大広間の扉が閉まりかけた頃、アリアンヌの嗚咽が聞こえた気がした。
◆◆◆
「――……なるほど」
わたくしはまぶたをゆっくりと開き、そう呟いた。
目の前には魔界の水を注いだ銀色に輝くどんぶり……ではなく、水鏡が置かれてあり、今のがこのまま起こる現実に近い未来じゃなあ、という声が聞こえる。
この水鏡、出現当初から『魔導の娘の半身である』とかのたまっているのだが、実際この特殊能力というか正しい使い方というか……このまま行けばどうなるか、というシミュレーションが出来るようだ。
要するにここで一端セーブして、このままこっちの選択肢でやったらどうなるかなー? という確認プレイが出来るようなモノかしら?
リメイク版の事情を知らないわたくしには確かに大助かりだけれど、どこかチートアイテムじゃないかという気もする……。
リリーティア陣営はちょっと間違えたらバッドエンド盛りだくさんだから救済措置なのかしらね。
「……思っていた以上に……深刻だわ……アリアンヌもお父様も、わたくしのせいで将来が狂ってしまうのね」
「ワシも詳しいわけじゃないがのぉ、娘にどれだけ金をかけて出世できるか……が貴族っちゅうものの業なんじゃろ? 外見と体つきが良いだけのお荷物娘なぞ、高級娼館に売り払った方が余程良い金になるわい」
「そうかもしれませんけれど、そんなことが許されるはずありませんわ……道具としてしか女を見ぬような男に、乱暴に扱われるのも絶対嫌です」
ていうか学院の顔見知りとか、どこぞの貴族とか、そういう奴がわたくしの噂を聞きつけて吹聴して、客としてやってきてあれこれと……そういう……想像もしたくないような……まあとにかくお茶飲んでお喋りなんかじゃ済まされない成人コンテンツ事情が起こってしまうようなことは困るのよ。
「うほ~妄想逞しいのぉ」
「勝手に脳内を覗かないでくださいませ! っ、とにかく……これを回避、するためには……」
「まあ、ダンスの訓練やら作法を今一度確認すべきかのぉ……むしろ、それだけで最悪の事態は免れるわけじゃし――……」
それに、と水鏡は言葉に含みを持たせた。
「将来的に、魔界のためになるぞ? 神殿の奴らも礼儀作法をあまり知らぬからのぉ~……きっちりした礼儀作法を見て、それを手本にと学びたがる者も来るじゃろうし、何より……礼儀作法や踊りを自らの子にも教えることが出来るのじゃ……」
習っておいて損もあるまい、と水鏡は騒がしく笑いながら言った。
――……そうか……確かに、将来的に魔界にとって有益になるわね。
それに、自分の子供……もしかすると、そうよ、レトとわたくしの子供……絶対、男女どちらでも魔界の至宝となるほどに美しい子供になるに違いないわ。
どちらに似ても、あ~……可愛い、絶対好きになる……。
髪の毛が赤くても銀髪でも可愛い。男の子はレトに似てくださると絶対嬉しいわ……魔王様もさぞお喜びになるでしょう……女の子も可愛がってくださるかしら。あ、女の子はわたくしに似たら、ヘリオス王子にも気をつけないといけないわね。だけど、レトが絶対許さなそう……うふふ、きっと子煩悩なお父さんになるわね……。あ~……どうしよう、レトと結婚したい……。
「……リリーティア……? なんじゃ、妄想力がとんでもないことになっておるぞ……」
水鏡が困惑した声を出したが、勝手に脳内を覗いてくるような不躾なやつの言葉なんか耳を貸す必要はありませ……あっ、危ない、しばらく帰ってこられなくなるところだったわ。
ともかく、そんな美しい子供達……あるいは可愛いであろう子孫達が、礼儀作法やダンスに困って、ダンスも礼儀もよく出来ないバカモブごときに笑われるのだけは勘弁ならない。
あと――……お父様には特に愛着はないけれど、リリーティアを育ててくださったローレンシュタイン家に罪はない。
そして、何より……アリアンヌはこれで、もしかするとクリフ王子との恋愛が終わってしまうかもしれない。
メルヴィちゃんがアリアンヌになってから、ずっと胸に秘めてきた彼への想い。
それが他者に潰されてしまうのは忍びない。
「…………」
そっと目を伏せ、夕方に出会ったマクシミリアンの表情と声を思い出す。
記憶を失った、どうしようもない幼馴染に、何度も何度も手を差し伸べては(地上側の)誰よりも親身になって話を聞いてくれる。
時にはわたくしのために怒り、時にはわたくしと一緒に喜んでくださる。
そして、今回は……わたくしのことで胸を痛めているのだ。
『――……それでいいのか?』
『俺は嫌だ』
……マクシミリアン。あなたは本当に、本当に……フリーでいるのがもったいない人だわ。
子供の頃からリリーティアがあなたを振り回していたのも、もしかすると甘えまくって全幅の信頼を寄せていたのかもしれないわね。
クリフ王子が婚約者で良かったわ。あなたがもしも婚約者だったら、わたくしは申し訳なくて、今と比べものにならないくらい苦しんだでしょう。
本当に、良い娘がいたらすぐ紹介するわ。雑貨屋の娘、パウラちゃんは働き者だし機転も利くけれど……マクシミリアンを紹介するなんて言ったら全力で拒否られるかしら。
レイラは……だめよ。ご家族で魔界に連れて行くかもしれないからね。
「……はぁ。まったく、舞踏会なんて先着順で勝手に行ってもらいたいわ……いったい、わたくし自身のスキルはいつ特訓できるのかしらねえ……」
「それについてじゃが……魔力を変質させれば……おそらく、おぬしの意思で解除可能な状態変化として使用できると思うぞ」
という提案に、わたくしは水鏡をじっと見つめてしまう。
「つまりな……うむ、口ではなく見せてやろう」
「そのどんぶりのどこに口があるのかしら」
「やかましいわい! イメージの問題じゃ!」
と、水鏡が先ほどのように輝きを増し、あの幻影を見せる力を発動させるようだ……わたくしは再び瞳を閉じ、神経を集中する。
まるでその場にいるような鮮明なイメージが脳内に送られてくる。
髪が風に揺れる繊細な動きだけではなく、弓を握った質感、そして弦を引き絞ったときに軋む音まで再現されているのだ。
「すごいわね」
「おぬしとワシじゃから出来る事よ。ヴィレン家との精神接続は直接術者がおぬしの精神に触れて構築するので、また別物じゃ」
なんで精神接続まで知ってるのかしら。そこまで知ってるなら、精神接続してるときに彼らの何がわたくしの精神に触れていたりするのか分かるの?
「……それは……言えぬなあ……」
「…………分からない、という意味に考えておきますわね」
それどころじゃない。水鏡は何を見せようとしているのかしら。
映像の中でわたくしは、愛用の弓に矢を番え……うん、弓矢には変わったところはない。細工もされていないわ。
引き絞りながら瞬時に魔力を通し……あ……なに、これ。
「鏃に集中させているのね……?」
「うむ。今までは矢全体に魔力を流し込んでおったようじゃな。矢自体が強化され、おぬしの魔力、場合によっては精霊の力も上乗せされるので、その力を爆発的に発揮できるのじゃが……鏃にのみ魔力を集中させ、与えたい状態異常を強く想起すれば、ほれ、このように――……」
水鏡の説明を聞きながら、幻影のわたくしは、鏃を赤や黄色、緑に白……様々な色に変化させている。
「……それぞれの輝きは、状態異常による色……でしょうか?」
「うむ。魅了、混乱、睡眠、石化など……おぬしがもっとスキルを向上させることができれば、ご希望の仮死状態も可能じゃ」
しかも、わたくしの意思で解除が出来るというものだ。まさに理想的である。
「そのまま精霊の力を乗せることも可能じゃ。魔力の練り方のコツと、瞬時にイメージすることを反復練習すれば出来ると思うぞ」
まあ精霊の力を乗せれば、人間は跡形も残らないくらいに吹き飛ぶじゃろうから、状態異常など必要ないが、とも言われた。素晴らしい。なかなか有能よ、水鏡。
「状態異常に耐性がある人物や装備に気をつけるしかありませんけど、わたくしの知っている限りは……レッドドラゴンを討伐し、ドロップアイテムを手に入れた者でもいない限りは安泰でしょう」
レッドドラゴンを討伐した時に、低確率で全ての状態異常を無効化する腕輪が出るのだが、無印版の終盤だったはずだ。
リメイクはどうなるか分からないけど、卒業までには……わたくしも今よりずっと強くなっているだろう。多分。
わたくしに教えることを教えたので、水鏡は幻影を解除し『疲れたのぉ~』とだらけた声を出した。
「まあ、今後、おぬしがどういう行動を取っても……現状から導き出した経過くらいは見せてやれる。ワシの成長にも繋がるでな、大いに活用すると良いぞ」
「ええ、ありがとう存じますわ……ああ、ダンスと作法やら何やらをまた詰め込むのですわね……はあ……」
魔界に携わる時間がまた減ってしまう。気持ちは重く沈むが、一日一時間でもいいから魔界には顔を出そう。
なにより、将来の魔界のためよ。レトとわたくしの子供に惨めな思いはさせないわ!!
「盛り上がっとるのぉ……まあ、やる気になれば何でもええか……」
引き気味のどんぶりを無視し、わたくしはこの一ヶ月程度の期間、貴族のお作法を集中的に頑張ろう……と決めたのだった。