「お断り致しますわ」
わたくしは咄嗟に拒否の言葉を発したが、マクシミリアンは苦い顔をしてそう言うと思った、と自身の眉間に指を置く。
「君が来なくてどうする。殿下が激しくお怒りになるだろう」
何より陛下達の不興を買う。ローレンシュタイン伯も来るそうだし、ここでわたくしが来なかったら……ローレンシュタインの名を貶めることになりかねない。
「わたくし……踊れませんのよ……」
「君は踊りが上手かったのに、そこも忘れてしまったのは惜しいな。まあいい、踊りは俺が教えよう。意外と踊ってみれば、身体が覚えているかもしれないぞ」
一生懸命わたくしを連れ出そうと頑張ってくれるのだが……ローレンシュタインとクリフ王子のために出向かなくちゃいけないっぽいところが、この立場の辛いところね。
そういう名目で人前に出席するとなると、わたくしの周囲で何が起こるか、マクシミリアンには分からないからそう言えるのよ……。
アンニュイな表情のレトは確かに素敵ではあるだろうけれど、舞踏会から帰ってきたとき、魔王様の横で膝を抱えたまま座って、ブツブツ何かを呟くようになっていては困る。
それに……リリーティアは踊りが上手だったのか……こんなに美人で踊りも上手だったら、それは舞踏会でも映えたことだろう。
「ふふ……どうせあなたの足を踏み続けて上手になったのでしょう?」
「ああ、その通りだとも。転びそうになると、俺のリードが下手だからだ、と叱ったんだぞ? おかげで俺の訓練にもなったわけで、そこは喜んで良いのだろうけれど……」
うわ、適当に言ったら本当だった。
足を踏まれたり物を買わされたり、マクシミリアン本当に難儀なこと。
「――あ、そうだわマクシミリアン。12才程度だったわたくしが、踊り以外に得意だった事ってご存じ?」
「……うん? 君は踊りもマナーもきちんと出来ていたと思うが。そういえば、刺繍がどうのこうのと言っていた気もするな……」
ふぅん……極悪非道かと思いきや、淑女としての趣味も持っていたのかしら。
それも花嫁修業の一環だというなら、もうわたくしパーフェクトに何も出来ないわね。
「そう……そのときのわたくしは、貴族の立場と王族の婚約者だということもきちんと理解し、振る舞うことを……12才ながら考えていたのかしら……」
「……何かあったのか?」
声の調子を落とし、マクシミリアンは心配そうにわたくしへと尋ねる。
強化合宿前に、クリフ王子が『外見以外に取り柄がない』と言っていたことを軽く告げ口してやると、現在はそうだな、とマクシミリアンも否定はしなかった。
「……君は外面は良かったから、王妃殿下の期待もあった。辺境で療養することになった経緯を知ったとき、王妃殿下はとても胸を痛めておられたが……最近は――……」
そこで一度マクシミリアンは口を閉ざしかけたが、かぶりを振って『最近は、アリアンヌ嬢の面会を楽しみにされているようだ』と話してくれた。
「リリーティアのことを口にすると、王妃殿下は素行に問題があると言っていた。君は比較的真面目に生活しているはずなのだが……」
わたくしの学院での悪評が、どうやら――……どこかから王宮に伝わっているようだ。おそらく、元の何倍も膨れ上がった話になっていることだろう。
クリフ王子直々にお伝えしているのなら、アリアンヌと一緒になるために頑張ってくれているんだなと思っておこう。
それはいいのだが……なぜ、という疑問が払拭できない。
「ねえ、そんな状況になっているというのに……わたくしが今の立場に収まっているのはなぜなのかしら。本来なら最初の時にもう――……」「リリーティア。それ以上言うな」
有無を言わさぬ強い口調でマクシミリアンはわたくしを止め、ゆっくりと目を閉じる。
「……君が記憶を無くしたということは、当初からローレンシュタイン伯が陛下に報告済みだ。今後、記憶が戻ることはないだろう、とも。それは、俺も諦めている……」
わたくしが知らない間に、いろいろなことが報告されているらしい。調査員がいるならホントに気をつけよう。
というか、お父様……にあたる伯爵は、今後わたくしの記憶は戻らないという結論もお出しになったのね。
なるほど、結構きちんと判断されていたのか。だからわたくしには期待もしていないし、対応が淡泊なのだわ。ある意味助かっているけれど。
「……リリーティア、五年前のことを覚えているだろうか。ラズールで……君を見かけた日、確かに目の前にいる女の子はリリーティアの姿形をしていたが……なんというか……俺の知っているリリーティアではないと感じた。では目の前の人物は誰なのかと、恐ろしく思ったものだ。今は、慣れてしまってなんとも感じないが……」
――すごい。マクシミリアンは本能でわたくしが違うことを見抜いたのだ。
迷惑しかかけられていないのに、幼馴染って凄いわね。
「確かに、わたくしは……もう過去のリリーティアと違うのでしょう」
「気を悪くしたのならすまないと思っている。ただ、これは俺の印象だ。クリフォード殿下は……確かに君への対応は辛辣だが、記憶が戻らないと分かっていても、婚約者として扱っているじゃないか。口ではああ言っても、君に期待をしている表れだと思う」
一応『頑張って!』と励ましてくれているらしい。
ありがとう、マクシミリアン。あなたは本当に親身になってくれる良い人だわ。
だけどね、クリフ王子のことは好きじゃないし、肝心のクリフ王子は、アリアンヌのおでこにキスしているのよ?
された本人が言っているのだから嘘じゃないはずだ。
唇はまだダメだからって、なかなかそんなロマンティックな展開になっているのに、ここでわたくしがクリフ王子に出来ることといったら、評価を下げることしかないじゃない。あ、そういえばアリアンヌも来るのかしら。
「……やはり、ご期待に応えることは出来ません。学院の悪意に満ちた噂話が王族のお耳に入っているのなら、巷の貴族からローレンシュタイン家への様々な憶測と好奇の視線が向けられているでしょう……貴族の顔も名前も分からぬばかりか、踊ることすらも出来ぬわたくしは、指をさされて嘲笑を受けにいくだけ……お父様とクリフ王子が恥ずかしい思いをされる……華やかな場に、泥を塗りにいくようではありませんか。顔を出すわけにはまいりませんわ」
目の前に置かれた封筒をマクシミリアンのほうへ押し戻し、わたくしは頭を下げた。
マクシミリアンは封筒を一瞥してから、じっとわたくしを見つめ……それでいいのか、と静かに問う。
「……ええ。もちろんです」
「来ないという事への確認じゃない。他人に陰口を叩かれるのは『殿下からいつも罵詈雑言を受けているからそれくらい慣れている』……というものとはまるで意味が違う。君は、向上心もなく下劣で低俗な精神を持った奴らから笑われて平気なのか? 仕送りにも頼らず、慎ましく懸命に生きているのに、それらを知らぬ相手から尻軽だの何だのと指さされて悔しくないのか? という意味だ」
急にマクシミリアンがそんなことを言い出した。
突然やる気っぽいスイッチでも入ったのだろうか。驚いているわたくし(と傍観しているジャン)に、俺は嫌だとはっきり言った。
「俺の知っているリリーティアは、本当に性格は悪く、どうしようもなかったが……マナーも外面も良かった。だが、記憶を無くした君はそこも無くしてしまった。唯一気の強さだけは……きちんと残っている。むしろ、庶民とふれあっていたせいか嫌味が逞しくなった」
謎の褒め方をするのでジャンは吹き出すように笑い、マクシミリアンに睨まれたが……『彼の性格と口の悪さも影響しているようだな』という指摘までするので、今度はわたくしが笑うのを堪える。
わたくしの錬金術のお師匠さんも口が悪いんですのよ。
すぐ『バカなの?』って聞いてくるし、最初の頃は本当に厳しかったわ。
「まだ一ヶ月近くある。毎日ステップの練習をすれば踊りくらいはなんとかなるはずだ。なるべく早めに考え直してくれ」
「…………善処致します」
あまり期待が持てないと判断したのか、困ったような表情を浮かべた後『頼んだぞ』と言って……マクシミリアンは封筒とわたくしを置いてどこかへとまた戻っていった。