「クインシーさんのことですか? 真面目で責任感がある方だなと思いますが……」
なんだろう、背を向けているはずなのに、レトの部屋から漏れ出る圧が凄い。
というか乙女の話を聞いているのか。いやだわ、結界でも張っておきましょう。
それとなくテーブルにあるガラスの置物……の上に置いた、防音結界の宝珠に触れる。目に見えないゆるい膜のようなものが部屋全体を包み、外部に内緒話などが漏れないようにするものだ。
部屋の空気がなんとなく変わったのを感じたらしく、レイラは不思議そうに周囲を見回したが……やがて気のせいだと思うことにしたのか、ライラのことに話を戻す。
「……そう。あなたはクインシーのこと、別になんとも思ってないんだ……。やっぱり、婚約者がいるから?」
「婚約者がいるから、クインシーさんを好きにならないのは……人にとっては当たり前だと思われるでしょうね。クリフ王子とわたくしの態度を見て、信頼し合っているようにレイラさんは思えたのでしょうか?」
そう尋ねるとレイラは眉根を寄せ、それはないわね、と一蹴した。
「むしろ、それはあたしのクラスでも噂があるわよ。あの王子はあなたの妹といい仲っぽいし、強化合宿でも四六時中一緒だったとか……このままだとイヴァン生徒会長に盗られるか、マクシミリアンが関わってくるか、はたまた既にジャンとデキてるかとか、一部の女子があなたの男関係で楽しんでるのよ」
「その方々を叱り飛ばしたいけれど、わたくしが部外者なら……確かにそんなに面白そうな相関図があれば、気にせざるを得ませんわね」
しかも、そのどれも本命ではない。
わたくしの大本命であるレトは、実はすぐ側にいるし……ヤキモチをすぐやいてしまうけど、頼りになる……とても格好よくて可愛い人なのだ。
「わたくしのそれと、ライラさんのことがどう関わりが?」
「……ライラ、クインシーのこと……好きっぽいの」
「ああ……」
最初からそういう感じはあった。そう告げると、レイラも黙って頷く。
「あたしも、クインシーには感謝してるわ。あたしたちに基礎から教えてくれるし、分からないことも親身になってくれるし、何より……文化祭が終わったのに今後もレッスンしてくれるって。どうしてそんなに一生懸命してくれるのって聞いたら……」
「き、聞いたら……?」
やだ、なんだかラブコメみたいだわ。
身を乗り出したくなるのを抑え、先を促すように聞いてみると……レイラは申し訳なさそうな様子だ。
「あたしたちの才能を開花させることが出来れば一番良いけど、オレにも喜ばせたい人がいるから、って……」
「喜ばせたい人……もしやアリアンヌさんのことかしら?」
「なんでそこであなたの妹が出てくるのよ。どう考えても、あたしとライラじゃないことだけは分かってるわ。依頼主のマクシミリアンかあなたじゃないの?」
消去法でいくならアリアンヌの線は確かにない、つーか真っ先に消える。
おかしい、クインシーはどうにかアリアンヌのほうに持っていきたかったのに……。いや、実は街で何回か顔を合わせて、わたくしつながりで話をしているということも……あるかもしれない。ないかな。
レイラとライラのほうが接点はあるのに、わざわざ(もう顔も合わせるかわかんないような)依頼主に喜ばれるよう媚びる必要ないわよね。
あ、もしかして上手くいったらボーナスを弾むぞとか言われて……ないか。先にお金渡してあるってマクシミリアンも言ってたし、成功報酬が別途あるような事は聞いていないわ。
「……かと言って、わたくしクインシーさんに好感を持たれるようなことは何もありませんのよ。レッスンも文化祭までだと思っていましたから、そう……クインシーさんともお話ししないといけませんわね」
彼の責任感が強いと言っても、さすがにこれ以上はおかしいだろう。
こちらが料金を払って続けて貰うならまだしも……わたくしはまだ一銅貨すら彼に払っていない。むしろ、マクシミリアンにまだ料金の相談すら出来ていない(働いてもいないわたくしに、大金が支払えるのかと先に言われてしまったため、用意できてもお金の出所などを聞かれては困る)のだ。
「ね、ねえ。話し合いでクインシーとの契約を切るって事もあり得るわよね?」
「ええ……文化祭は無事終わり、わたくしたちは来年までは安泰と言っても差し支えない。クインシーさんは充分役目をこなしたのですわ。追加料金だってお支払いしていないのですもの。彼の善意とはいえ、これ以上は……」
難しい、と告げると……わたくしの意見を聞いたレイラは煩悶しているようだ。
「……これ以上、あなたに甘えるのは無理だって事も、ずるい事もわかってる。ライラのためにもならないけど、あたしには……差し出せる条件が何もないわ。自分たちのことも語れないんだもの……」
辛そうな顔をして自らの身体を抱きしめるレイラ。
自分の出自についてすごく悩んでいるのだと思うけど、ここでわたくしが『知ってるよ~魔族の血が入ってるよね~?』なんて言おうものなら、明日から彼女たちは学校に来なくなるかもしれない。お話もして貰えなくなるだろう。
「レイラさんは……クインシーさんとライラさんを、くっつけたいのでしょうか? それとも、ご自身もクインシーさんを好いているの?」
「えっ……あ、あたしは、クインシーを良い奴だと思ってるわ。でも、そういう目で見ていないし……本当よ!? ライラがどうとかじゃなくて、本当だから! 誰にも言わないでよ! あんたの護衛にも言わないで!」
なんだかジャンのくだりは凄い剣幕だ。いくら一緒にいるからって、個人の悩みまで相談したりはしない。そもそもあいつは勘が良いから、すぐに自分から気づいてしまうことも多いのだ。
「……ライラには悪いけど、諦めて欲しいって思ってるの。クインシーとのレッスンは新しいことが吸収できて楽しい。でも、絶対に思いが深まる。クインシーが言う『誰か』があなただったら……ライラも諦めが付くと思って……」
「それは、わたくしではなくクインシーさんに聞くべきではなくて? わたくしにも……その、好いた男性がいますから……クインシーさんを特別な目で見ることはございませんし」
内密に、と念を押すとレイラは頷きかけ……『えっ!!』という、大きな声を出すくらいには驚いている。
「誰!? うちの学校にいるの? もしかして……ジャン、なの!?」
「いいえ。わたくしが記憶を無くしてから、ずっと側に寄り添ってくださった殿方がおりますの。ジャンではありませんけど……」
すると、レイラは『そうなんだ……』と、少し安堵したかのような息を吐く。
「あら、レイラさんあなた……」「ちっ、違うわよ! 別にジャンが好きとかじゃないわよ!? 確かに顔は良いけど、性格が悪いじゃない?」
性格が悪いのは否定できない。わたくしも渋々頷くと、レイラがあなたもそう思ってたのねえ、なんて楽しそうに笑う。
「でも、そうか……クインシーとあなたをくっつけるのは無理なのね……」
「ええ。今の話は誰にも聞かれなくて良かったと、心の底から安堵しておりますが……人の心は思ったようにはいきませんから、なるようにしかならない……かもしれません」
すると、レイラは悲しそうな顔をして首を横に振る。
「そうだけど、それじゃダメなのよ。もし……想いが叶っちゃったら、束の間の幸せと引き換えに、長い苦しみと罪悪感を味わうようになるわ。だったら、かなわない方が良い……」
他人のことながら、なんとなく分かるような心境だわ。
わたくしもレトを好きだと気づいたとき、彼は魔族だし……自分はこの世界の人間ではなく、いつか消えるかもしれない。好きだと言われても、それは恋愛の意味じゃないはずだと……悩んだこともあったっけ。
「……恋はいつでも人を悩ませるものですわね。でも、レイラさん……あえて厳しいことを申し上げますが、本人の気持ちを置き去りに、わたくしやあなたが手を下して良いことはありませんわ」
「な……」
レイラは驚きに目を見開いて、唇をわななかせた。