【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/133話】


 レイラと合流し、どこかのお店でお話し致しましょうか……と聞いてみたところ、彼女は普通の感じのお店ならありがたいわ、と、もごもごとを濁す。


 そうか、わたくしお茶の相手もマクシミリアンとかだし、カフェとかでも確かに設備やお値段的にも良いところを使っていた。


 後期から能力給が出ることになったとはいえ、今月末の支給で、額も分からないのだ。いけない、女性に恥をかかせてしまったわ。


「――あ、美味しいクッキーが食べたいわ。帰りがけにお店で買って、わたくしの部屋でお茶に致しましょう」

「……そ、それなら、あたしが美味しいのを知ってるわ! 教えてあげるからついてきなさい!」


 パッと表情を明るくさせ、レイラは『こっちよ!』と言いながら、市場とは違う方向を指す。


 彼女に先導されるまま十分ほど歩くと、民家はあるが……だんだん寂れたような雰囲気が漂う路地にさしかかってきた。


 饐えたような臭いが風に乗ってたまに漂ってくる。

 路上に座ってこちらを訝しむ人もいるし、彼らの着ているものだって小綺麗とは言いがたい。


「随分、ノスタルジックな(おもむき)がありますわね」

「素直にうらぶれた場所、って言って良いのよ。実際、そういう場所なんだから」

「なんだって、こんな場所に連れてきてんだ?」

「……美味しいクッキーがあるからに決まってんでしょ」


 あなたたちの口に合うかどうかまでは、保証できないけど。


 彼女が小声で呟いたのが聞こえたが……わたくしとしてはクッキーは楽しみだし、モンスターやごろつきから自分の身を守る事くらいは出来る。


 何より、ジャンも一緒にいるから怖いことは特にない。


 それに……周囲の人たちもわたくしたちを遠巻きに見つめているだけで、動こうとする気配はない。


 レイラには挨拶や声かけをしている人もいたので、ここは彼女が良く来る場所なのだろう、というのも分かった。


 やがて、上に細長くて白い壁も所々崩れ落ちている、一軒の家の前で彼女は足を止めた。


「――ここよ」


 店という割には看板は出ていない。こんなところでクッキーを作っているのだろうか……。という疑問が頭をよぎる。


 レイラは少し強めに木製の扉をどんどんと叩く。

 木製の扉は薄い板を何枚も貼り重ねたようなもので、表面は雨が染みこんで黒く変色している。

「……どなた?」


 扉の向こうから、緊張したような……硬い女性の声が聞こえる。


「あたしよ、レイラ。クッキーをもらいに来たんだけど……まだ、あるかしら」

「ああ、レイラ……!」


 急に女性の声は弾み、扉が開かれた。そこに立っていたのは、ダークグリーンの髪をした女性で、隣に立っているわたくしとジャンを見て、びくりと身体を震わせた。


「――大丈夫、この人達は……安心して」

「そ、そう言われても……同じ学院の服を着ているけど、レイラの……お友達なの?」


 女性に『友達?』と聞かれたレイラは、急に『へっ!?』とおかしな声を上げ、あたふたとわたくしを見たり、女性を見ては何と言ったら良いか考えている様子だ。


「と、ともっ、友達とか、そういう……」「――ふふ、最初の頃はびっくりすることもございましたけど、いつもレイラさんとライラさんには良くしていただいておりますわ。わたくし、お友達のリリーティアと申しますの」


 と自己紹介すると、レイラは急に顔を真っ赤にして口をつぐみ、女性は控えめに微笑んでくれた。

 女性から袋に入ったクッキーを受け取ると、レイラは自分の財布から数枚の銅貨を出して女性の手に握らせた。


「レイラ、これ……」

「あたしが街で仕事して稼いだお金よ。大丈夫、身体を粗末にしたとかじゃないわ。そのへんのことも、またライラといっぱい話すから……今日は帰る」


 お金の出所を心配しているらしい女性にそう告げると、父さんにもよろしく言っておいてね、と手を振って、帰るわよとわたくしを促す。


――まあ、髪の毛の色とか話の内容とかで想像は付いていたけど……ここは、彼女の実家か。


 心配そうにレイラを見守る母親らしい女性は、わたくしと目が合った後、軽く会釈をする。


 わたくしも同じように頭を軽く下げて会釈を返し、こちらを振り返らずに歩くレイラの後を、小走りで追ったのだった。


 ◆◆◆


 寮に戻って十分くらい経った後だろうか。私服に着替えたレイラが緊張しながらわたくしの部屋の戸を叩く。


 もう少しでレイラが来るからと教え、王子様達は邪魔しちゃいけないからと、さっさと部屋に戻っていった。


 そういえば、わたくしの部屋なのに住人の男率が高いのよね……ほんの少しインテリアに女子っぽい小物も置いちゃったりして、女の子がいますよ的な雰囲気まで作ったのだ。


 わたくしの部屋に足を踏み入れた彼女は、口を半開きにして居間のあちこちに視線を巡らせ、すごいわねぇ、と素直な感想を洩らした。


「これが、貴族用の部屋……」

「地位や学院への寄付金なども関係しているらしい、と伺いましたわ。恥ずかしながら、わたくしもマクシミリアン様と親……に任せっきりでしたので、最初に部屋を見たとき、こんなに大きい部屋を一人で使って良いものかと驚きました」


 そうは言っても、もう一人じゃないし、部屋は全部埋まったんだけどね……。


 キッチンなどにも興味を示すレイラに、とりあえず椅子に座るよう勧めた。


 物珍しくてお部屋散策をしたい気持ちも分からなくはないけど、うっかりレトやヘリオス王子の部屋を見られたら……ああ、なんか幻術がかかっているから、何もない部屋に見えるんだったかしら。


 そういえば、わたくし二人のお部屋に入ったことないのよねえ。魔界ではレトの部屋には入ったこともあるのだけど。

「こんなに広い部屋で一人ってのも、貴族としたら不便じゃないの?」


 レイラは座り心地の良い椅子に腰掛け、キッチンでポットやカップの準備をするわたくしに声をかけた。


「あら、どうしてそう思われたの?」

「どうしてって……あなた貴族の令嬢でしょ? まわりにお手伝いさんとかいて、不自由なく何でもやってくれたんじゃないの?」


 まあ、多分わたくしも貴族のイメージはそんなところだ。そして、記憶を無くす前は……どうやら、ほぼそういう感じだったらしいことも分かる。


「……レイラさんは、わたくしが遊び歩いているような噂が聞こえていても、いままでのことはご存じないようね」

「……?」


 何よそれ、というような表情を浮かべるレイラに微笑んで、わたくしは紅茶をカップに注ぎながら『記憶喪失なのです』と告げた。


「12才までの記憶を失い、わたくしは親にも見放され、辺境に送られましたの。それまで、どうもわがまま放題だったらしく……大人しくなったわたくしに、これ幸いと使用人達はいうことを聞かず、職務を怠慢するようになったり、冷たい食事を与えるように……ああ、思い出すだけであの顔も忘れたクソメイドにムカムカしてきますわね」


 あの女が悪魔を操るリリーティアという変なことを口走って、王家のみならずイヴァン会長の耳にまで入るようになったのよ。


 思い出し怒りでティーセットを乱暴に置いてしまったが、レイラはそれを気にせず首を傾げる。


「……顔も忘れたんだったらもう許していい気もするけど、罪を憎んで人を憎まず、ってやつなのかしらねえ? とにかく、大変だったって事だけは分かったわ」


 ああ、そういうあっさりしたところは大変好感を持てるわよ、レイラ。


 彼女は持ってきたクッキーの包みを開き、どうぞ、とわたくしのほうへと手で押し出した。


 見た目は素朴なクッキー……薄茶の生地に軽い焦げ目が付いていて、指でつまんでみると、どうやら小麦粉ではないらしい、パンのような香ばしい香りがする……。


「いただきます」


 一口サイズなので、そのまま口の中にまるごと放り込める。

 ざくざくとした食感と、麦の香りが口の中に広がった。甘みは控えめだし、クッキーというか、クラッカーみたいな感じもあるけど……。


「……あっさりしていて美味しいわ。食べやすくて、いくつでも入ってしまいそう」

「そ、そうでしょ? やっぱり、美味しいわよね?」


 固唾を呑んで見守っていたレイラの表情は、美味しいといった瞬間、喜びを抑えきれないというように明るくほころんだ。


 自分でもクッキーを一枚つまんで、頬張るのがまあ可愛らしいこと。


「世の中には、もっと良い材料や腕を持った、本当に美味しいクッキーとかもあふれているけど……あたしは、マ……母の作ったクッキーのほうが好きだわ」


 ライラもそう思っていると思う、と紅茶を一口飲んだ後『それでね』と……真面目な表情で、レイラはわたくしの目を見つめる。

 もしかして、相談っていうのはお母さん達のことを頼まれるのだろうか。

 そう身構えていると、彼女の口から飛び出したのは――……。


「ライラのこと、なんだけど……」


 と、なんと妹のことだった。


「ライラさんの……?」


 こくりと頷くレイラは、わたくしに向かって『あなた、クインシーのことどう思ってるの?』と聞いてきたのだ。



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こめんと

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