「――はい、お姉様。これお土産です!」
小麦色に焼けたアリアンヌから、強化合宿のお土産……海外でよくありがちな、貝殻の形をしたチョコレートを一箱いただいた。
「暖かいところを通ってきたので溶けているかもしれませんから……冷やしてから食べてくださいね」
「ありがとう、結構なものをいただきまして……それなのに……申し訳ないことに、アリアンヌさんにお土産がございませんの……」
二週間前の出来事を思い浮かべると、忘れかけていたあの辛さが再び胸に去来する。
わたくしの悲愴な顔を見て、アリアンヌはどうなさったのですか、と不安そうに声をかけてきた。
「あ、会えなかったとか……それとも、ときめく肌のふれあいがなかったとか……そんな……」
「……何をお考えかは聞かないでおきますが、その……わたくしの場合、予定通りにはいかず、日程を切り上げざるを得なかったもので……」
と、わたくしはあの日の回想を始める。
――そう。二日間のお泊まりデートだったはずの予定は、神殿を見つけてしまったこと・魔族の生き残りを発見できたこと・邪鏡とレトが呼ぶくらい性格がアレな水鏡を発見してしまったことが……わたくしたちの予定を全てキャンセルに追い込んだのである。
神殿のことは、魔王様と一緒に視察しながら今後どうするかを大神官と話し合うらしいが、問題は……まあいたずら好きの水鏡。
魔王様に水鏡をご覧に入れたが、あの鏡、魔王様の前ではきちんとしやがって……。
縄で縛られた水鏡は幼少期の我が子の姿を模しているので、魔王様の同情心を引いたらしい。
だいたい騒ぎは聞こえていたけど、まあほどほどに頼むよ……という情け深い言葉だけで許されている。
レトは当然面白くなかったので、これは利用を制限するべきだと苦言を呈したが――魔王様は、あっさり『リリちゃんの半身みたいなものだから』と仰ったのだ。
『さすが魔王様! ワシのことを一目で看破するとは!』なんて大喜びしている鏡に、魔王様はうむとゆっくり頷く。
『魔王の力って便利だねえ。知らないことのはずなのに、鏡を見たら、頭の中に情報が湧き出てくるんだよ。すごいすごい』なんて無邪気にも自分自身で驚いていらっしゃるようだ。
少年漫画でよくある『そういえば聞いたことがある……』を地でいってらっしゃる。
魔王様が言うには【魔導の娘】も【水鏡】も、魔神様が創り出したものであるらしい。
魔神が創り出した存在がなぜ人の側で生まれたのかは魔王様にも鏡にも分からないそうだ。
仮定としてなら、地上に逃げ出した魔族の中から生まれていた……という可能性もあるが、ローレンシュタイン家は混じりっけなしの人間だそうだ。
地上で【戦乙女】と【魔導の娘】が同時に生まれている(と思われる)のなら、徐々に覚醒を強めていく戦乙女のほうが見つかりやすい。
誰も知らない魔導の娘など、存在感が強い魔族 (人)として見られていただけの可能性がある。
魔界としても、どういうわけか【魔導の娘】が降臨しなかったので【水鏡】も覚醒することが出来ず、長き刻、眠りっぱなしだったというわけだ。
『では、魔王様。水鏡は今後、わたくしだけではなく【魔導の娘】が覚醒するたびに力を貸すということに……?』
『いや、それはないはずじゃ』と、口を挟んできたのは鏡だ。ヤツが口を開くたびに、レトの刺すような視線が子レトに向けられているのだが、まだ怒っているんだな。
『本来、一人につき一枚なんじゃ……』『一人一枚って、そんなお買い上げ制限みたいな……』『魔導の娘が生まれるときに、ワシも生まれ……魔導の娘が死んだとき、ワシも死ぬ。そういうものだったんじゃ』
しかし、この鏡はずっと眠ったままだった。
魔導の娘が覚醒しなかったから残っていた……というなら、他の鏡たちも魔界のどこかに埋もれているのだろうか。
そう聞いてみると、そうではなさそうじゃな、と歯切れの悪い言葉が続く。
『水鏡は二枚も出ぬ……というより、役目が尽きればそれは壊れるはずだった……じゃから、生まれ落ちるはずの【魔導の娘】が、どういうわけか今まで生まれてこなかったのじゃ。ワシだけ、出てしまったんじゃなあ……むしろ、ずっと待たされておったわ……ひどいのぅ』
そうしてうっすら涙を溜めた顔 (しつこいようだが子レトの姿である)で『リリーティア……もう、死ぬまでずっと離れないから……』と抜かし、レト本人が再び羞恥に沈んで『その顔で恥ずかしいこと言うの止めろ!!』と突っ伏したのであった。
――……と、そういうことがあって、レトから水鏡は『次にその姿で恥ずかしいことを言ったら、海に沈めてやる!』と脅されている。
しかし、そんなことで怯んでは魔導の娘の片割れをやっていられないと謎の抵抗を見せ、よせばいいのにわたくしの子供の頃の姿と思われる形を模して、レトに近付いて遊んでいる。
わたくしは自分の見目が麗しいことを知っているので、その姿ではしゃぎ回っても可愛いなと思っているのだが、レトはといえば……なぜか強く出られない。
『レト王子、ワシはのぅ、おぬしと仲ようなりたいと思っているんじゃあ!』という怪しい言葉使いでもしょうがないなと微笑んでいるので、やはり外見は重要なのだなと思わされた。
ちなみに、その姿を見て懐かしいと可愛がっているのはヘリオス王子であることも忘れてはいけない。
そんな長い回想は走馬灯のように流れる。
回想を現実の時間にしてみれば、わたくしがアリアンヌとの会話を途切れさせ、紅茶の入ったカップに口をつけ、ソーサーに戻すまでの間くらいだ。
「そうなんですか……それは、楽しみにしていただけに寂しいです」
「……そのうち、また機会が訪れるかもしれません。十月の討伐戦も中止ですし、二月にはまた冬季合宿がありますから……合宿はわたくしたちの学科に関係のないことですもの」
すると、アリアンヌはにんまりと笑って、その通りですね、と強い賛同を見せる。そういえば、アリアンヌは強化合宿で良いことがあったのだろうか。
「……アリアンヌさんは、合宿中に何か良いことが?」
「んふっ……、クリフォードさまととても楽しく自由時間を過ごしました!」
一緒に海に入って水遊びをし、夜はキャンプファイアで(みんなと)盛り上がり、何より……なんと、おでこにキスをされたのだという。
「唇へのキスは、まだダメだからって……『まだ』ですよ!! してくれるって気持ちは私に持ってるって思って良いんですよね!? ひゃあああ……私いつでも良いのに……!」
キャー恥ずかしい! と一人テンションを上げて、身をクネクネさせるアリアンヌは可愛いけど気持ちが悪い。
というか、アリアンヌとクリフ王子は……あんなに周囲から婚約しちゃえよ~と思わされるくらいイチャついてるのに、まだキスしてないんだ……。
どうしましょう、わたくしたち、既にキスも経験しているし添い寝までして……実はおつきあいの度を超しているのでは……。
テーブルの下に丸まってくつろいでいた黒猫は、ニャーと鳴いて逃げるように去っていく。あの水鏡を撃退するとは、さすが戦乙女様であるし……あいつ、わたくしの心も見やがったな。あ、チラッとこっち見た。頷かないでよろしい。
別のソファにどっかり座っているジャンも、変なものを口にしたというような苦い顔をして、なんとか気を落ち着けようとしている。
ちなみに水鏡、ジャンにはちょっかいを出さない。あからさまに避けている。
一度調子に乗ってジャンをからかったようだが、なます斬りにされそうになったらしい。
そのときは、ざまぁ、みたいな顔でさんざんやられっぱなしのレトも水鏡を見ていたようだ……。
「……あれ? お姉様、あの猫ちゃんは……」
ようやく妄想の世界から戻ってきたアリアンヌは、テーブルの下から這い出ていった黒猫に目を留める。
「ああ、その……一週間ほど前に拾いましたの。捨て猫だったようで……あ、きちんと、寮に申請はしてあります。寮内で粗相も、しないはずですから……」
マクシミリアンにも言っておかないといけないが、もうちょっとあざとく『この子も一人ぼっちで、わたくし自身を重ねてしまいましたの……』とかいう面を出せば『捨ててこい!』なんて強くは言われないだろう、と思う。
「そうなんですか。子猫、可愛いですね……」
「見た目だけです。とてもいたずら好きで、目が離せませんわ」
愛くるしい猫に笑顔を向けていたアリアンヌは、ふと表情を消し……今度は真面目な顔でじっと、猫を見つめている。というか睨んでいるようにも見えた。
「……あれ……猫、ですよね?」
「えっ? ね、猫以外に見えるとでも……?」
すると、アリアンヌは目を擦りながら『そうですよねぇ……』と呟く。
「強化合宿で精神の修行もあったのですけど……それ以来モノがブレて見えるような気がして……今、猫ちゃんがどんぶりみたいなモノに見えちゃって……たまにこういう変なことがあるんです。あんまり続くと病気だったら怖いから、眼科に行こうかなって思ってるんですけど……」
「――……」
ジャンの目が鋭くなり、アリアンヌに刺すような視線を向けていた。
お大事になさってね、という言葉をかけたはいいものの……アリアンヌ、それ病気なんかではないわよ。
多分、強化合宿で……何か開花したんだよ。なんだろう、看破のスキルか何か? 前にそんなことはなかったから、新しいイベントかもしれないわね。
わたくしは(魔具を使用してだけど)魔族かどうかが分かるように――……アリアンヌは精神を集中するとか、あるいはナチュラルに……真の姿を把握する、とかいうものかもしれない。
そのスキル、あまり成長させたくはないが……彼女も徐々に、戦乙女として目覚めようとしているらしい。
わたくしも、魔具ばかりに頼っていられない。自分をもっと鍛えなくてはいけないわね。
顔を合わせない二週間で、わたくしは魔界で新たな発見をし、アリアンヌは未覚醒でも着実に実力をつけていた――……。