結局、そのままデートを続行するということも出来なくなったため……わたくしとレトは迷惑極まりない水鏡を連れ、馬車に乗り込んで魔王城に戻ろうという事になったのだが――御者のチュールズ氏は、ヤツが化けた黒猫を見てガタガタ震え始める。
「ちゅ、ちゅー……!! ねこ、こわいです……!」
その震え方たるや、大変気の毒なくらい……全身ぶるぶると痙攣している。
通常時も大きな瞳はさらに大きく見開かれ、顔からこぼれ落ちてしまいそうよ。
「そうか。苦手か……それはすまんな」
そんな有様のチュールズ氏を見て……魔神様に作って貰った道具 (?)といっても、他者に配慮できるような心は宿っていたらしく、術を解除し、放置されていた水鏡の姿に戻る。
「ふぅむ……なんだか、身体がヌルヌルしていて生臭いのぅ。リリーティア。早く磨いてくれんか」
さっきまで『娘』とか言っていたのに、突然呼び捨てにしてくるとは……態度のでかい奴だ。
「ご自身で変化できるのなら、ご自身で洗えるでしょう?」
なんでわたくしが……というニュアンスが伝わったのだろう。水鏡は『ほぉ?』と、不機嫌そうに語尾を上げた。
「スキンシップを図るためじゃが……よもや嫌だと言うまいなぁ……?」
ずり、ずり……と砂上を這いずってわたくしに近付いてくる。
「おぬしとワシは互いを補い合う存在なんじゃぞ。いかんなあ、そんなツンケンした態度は……」
そう言いながら前進をやめようとしない。
嫌な予感がするな、と思って身を引こうとする直前、バッと水鏡が跳躍した。足もないのに、ど……どうやって跳んだというの……!
しかも、こいつ……まだ汚水が残って……!!
「ちょ……っ、いやぁあああーーー!!」
どぼっ、という粘度のある水音と……わたくしの悲鳴が非情なる大地に響き渡った……。
◆◆◆
「いやぁ〜気持ちの良い事この上ないのう!」
「それは……よろしいこと……」
頭から汚水と水鏡を引っ被ることになったわたくしは、転移で魔王城に戻され、ノヴァさんが『お早いお帰りですね……』とびっくりしていた。
すぐにこの水鏡を抱えて畑までやってくると、水道を使用しザブザブ洗い流して綺麗に拭いてやる。
……手垢だらけだったどんぶりは、おそらく本来の姿であろう艶やかな銀色を取り戻し、キラッキラ光っていた。
ご満悦な水鏡と正反対にわたくしはクサいし、レトは誰が見てもわかるくらい不機嫌である。
この水鏡を置いて行こうと言い出さず、ノヴァさんに朝預かったバスケットを手渡し、今から食べるからお皿ちょうだい……と、低い声でボソボソ呟いていて怖い。
ノヴァさんもまたトラブルの気配を感じているらしく、素直にハイと頷き、キッチンへと向かっていった……。
わたくしも食事する前に、汚水を被ってドロドロになったクサい身体を綺麗にしようとお風呂場に向かうと……身体を流してあげる……と言って、子レトが現れたのだ。
「ひっ……、ちょっと、な、なんでここに来てるんですの!? このお風呂は……女の子用ですわよ!」
今のところ、魔王城にわたくししか人型の女子はいないから、わたくし専用みたいになっているが……女湯なのである。
既に服を脱いでいたので、身体をタオルで隠すと、ワシは性別などないから問題ない、と言って自分も脱ぎ始める。
しかし、お前は今あの無機質などんぶりじゃないぞ。
お礼のつもりかなんだか知らないが、わざわざ子レトの姿で来て、服を脱いでいるのである。
「お、おやめなさい! あなた、その身体に……その、性の象徴みたいなでこぼこがあっては大変でしょう!」
「当然人の姿を正確に模したので、ついとるぞ」
「いやぁぁあやめて!! 出てって!」
謎のおねショタ展開とかいいから!!
確かにすんごく可愛いから、なんでも許したくなるが貴様は断じてレトではない!!
お風呂でギャーギャー騒ぎすぎていたので、誰かが聞きつけて報告したのか……たまたま聞こえたのか分からないが、レトが『どうしたの!?』と、女湯の入り口から声をかけてきた。
「大丈夫! リリーおねえちゃんのお風呂手伝ってあげるんだ!」
あろうことか、水鏡はあのクソガキ顔……意地の悪い笑い方を浮かべてレトにそんな事を言うものだから、レトはダメだやめろと余裕を失って、ドアを開けようとする。
鍵はかけてあったから、扉が開くことはない。
「リリー、ここを開けて! その鏡は俺たちを不幸にする邪鏡に違いない!」
「言いたいことはとてもよく分かりますが、開けるわけには……!」
そうしている間にもガチャガチャとドアノブが激しく動き、扉はドンドンと叩かれる。
レトが痺れを切らし、今にも魔法かなんかで無理矢理破られそうだ。
どうしましょう……説得が通じないわ……。
混乱の境地に立たされたわたくしは、オロオロと全ての根源を見つめてしまった。
上半身半裸になっていた子レト姿の水鏡は、わたくしを見つめ返し、それは楽しそうににっこりと微笑む。何そんな可愛く笑ってんだ。天使みたいな顔しても許さんからな。
ドアノブの音が止まったので、レトが正気に戻ったのだと思いきや……隣に新たな人影……というかレトが現れる。まさか、転移してきたというのか! わたくしペンダント付け直していたもの、この手があった……。
「……うわあああ!!」
わたくしが何かいうより早く叫んだのはレトのほうだ。
自分が子供の頃を模した姿をしている鏡と、タオルで隠していてもわたくしは全裸なのである。
どっちのショックがより強かったのかは分からないが、レトは叫びながら水鏡を捕まえ、瞬時に姿を消した。
あの鏡、叩き壊されないかしら……。
多少の動揺を抱えつつもお風呂はゆっくり入ったのだが、恐々ダイニングに顔を出した頃には……。
「おお……リリーティア……ここから下ろして欲しいんじゃが」
「あら……」
縄でぐるぐる巻きにされ、天井から吊られた子レトに助けを求められた。
「怖いよぅ……助けてリリーおねえちゃん……」
いたいけな美少年が、涙をうっすら浮かべている……。これは、そのスジの愛好家が見たらどう思うのだろう。
愛でるべきと言うのか、邪魔なクソガキは吊るせ! と過激なことを言うのか……わたくしには分かりかねる。
「甘やかしたらダメだよ! 反省するまで、絶対そこから下ろさないからな!」
おそらくこの罰を与えたであろう、一番の被害者であるレトは、それはもう……大変お怒りであった。
強い怒りのせいか、先程のことを思い出した恥じらいか分からないが、顔を赤らめながら食事を摂っている。
「神殿とこの水鏡についても父上にご相談しなくては。まったく、楽しみにしていた旅は邪魔されるし、恥はかくし散々だよ……」
またこの後出かけられるかどうかもわからない。
楽しみにしていたデートは、確かにちょっとはドキドキしたり甘い雰囲気もあったけど……魔界側イベントに変化してしまった事に、わたくしは申し訳ない気持ちになった。