【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/126話】


 恋人とデートをしていたら異様な雰囲気の場所に迷い込み、やべーやつに見つかって攻撃された。


 これはホラー映画だったら、わたくしたちが犠牲者第一号のカップルになるんでしょうね……。

 でも、相手が悪かったようね。わたくしたちは無敵のカップルでしてよ……!


――という事を頭の隅で考えつつ、魔法の障壁を展開して弾き返すつもりで準備していたが、結果から言うとそれは必要なかった。


 レトが無言で腕を振るう。それだけで魔法は消失し、魔法を放ってきた女は驚愕に目を見開く。ついでにわたくしもかなり驚いている。


 レトはわたくしの知らないところで、武術だけではなく魔法や錬金術、地理や植物など、多くの研鑽を積んでいらっしゃるのね……。


 わたくしもレトに負けていられないわ、と思う向上心も当然あるのだが……『レトってやっぱり素敵……』という、きっと他者から見たらただの色ボケにしか見えないであろう感情が心を占めていた。


 いつもの笑顔も素敵だけど、真面目(シリアス)な顔もとても素敵だし、横顔も震えるほどに美しいのよ……。


 ヴィレン家の始祖を生み出した、顔も名前も知らない魔神様には感謝してもしきれない。こんな状況じゃなければ、わたくしうっとりして熱い息を漏らしてしまいそうだわ。


「…………貴様、魔族か。なぜ人間を庇う! そこを退け!」

「問答無用で攻撃するとは感心しないよ。俺を見ても『何』かを感じることが出来ないとは、地上の魔物以下の判断力じゃないかな?」


 わたくしの精神が危うい場所に行きそうになる寸前、レトと女の人は互いに敵意を剥き出しにして言葉を交わす。


「なんだと!? 貴様、この大いなる神殿……そして闇の神官を愚弄するか!!」


 女の人はレトの軽い挑発に、いとも容易く乗っかってしまい、語調を荒くして再び魔法を繰り出した。


 しかし、それもレトが打ち消す。何度やっても同じ事だと言いながらも、レトは大穴のほうに視線を向け、神殿、と呟く。


「……闇の神官、と言ったかな。それでは、ここには……魔界の歴史や、戦乙女の襲来で、魔王城から消えてしまった文献に似たような物が保管されているのか?」


 レトの言葉に、闇の神官という(かもしれない)女の人は虚空から三叉槍を呼び出し、構える。


「ここで死にゆく者に教えることなど――何もない」


 何もない。確かにここが『大いなる神殿』であり、闇の神官がいるという充分な情報を与えてしまったものね。敵キャラだったらやられるのはあなたのほうだったわよ。


「お待ちになって。確かにわたくしは人間ですけれど、あなた、この方がどのような出自であるか……本当にお分かりにならないの? 純粋な魔族ではなくとも、感じられるはずなのですが……」


 魔狼だってすぐ出てきたし、魔族の血が薄いかもしれないノヴァさん達だって畏怖を感じていたのに、彼女が感じられないなんて……感覚の違い……があるのかしら。


「…………」


 槍を構えたまま、女の人は注意深くレトのことをじっと見つめていたが……やがて、あれっというような顔をして、槍を構えていた手が下がっていく。


「……この、強大な気配……そして、あ、ああ……なんと、まさかあなた様は……」


 槍を放り出し、女性は黒くて長いローブの裾をさばいて両膝を砂地につくと、祈りを捧げるようなポーズを取って『魔王様!』と……少し間違った回答を寄越した。

 ◆◆◆

「う……、先ほどは、大変失礼致しました!! まさか、魔界の王子であったとは……」

「はは……」


 魔族の王子であることや、たまたまデート……ではなく探索で訪れたことにして、彼女の様々な誤解を解くと、大穴の底――いわゆる、大いなる神殿とやらに転移して貰った。


 数人の魔族とすれ違ったが、レトの気配を感じたのか、わたくしが人間だから慌てているのか……変な悲鳴を上げて取り乱し、どこかに走って行ってしまった。

 わたくしたちと最初に出会った、キャラメル色の髪をした彼女の名はイルジナさんというらしい。闇の神官という職業に就いている。


 大いなる神殿で生まれた者は、例外なく神官として暮らすようなので、全員親戚でもあり家族でもあるそうだ。


 つまり、今しがたすれ違った彼や彼女たちも、家族ということか。


 神殿の外に出ることは一生のうちに数回程度ということなので、いろんな意味で血や考えが濃そうな一族だわ……。


「……しかし、そこの下等生物(にんげん)は一体なぜ魔界に……? それどころか、レトゥハルト王子に親しげに寄り添っているとは、八つ裂きにしても許しがたい……」


 人間であるわたくしへの視線と言動はとてつもなく冷たいのだが、下等生物と蔑むのはちょっといただけない。ヴィレン家の皆様が王族らしくないだけで、本来魔族ってプライドが高いのかしら。


「当然だよ。リリーは俺の――」「レト、その話はもう少し後で。今はここの情報をもう少し詳しく教えていただいて、魔王様にご報告しなければ」


 慌ててレトの言葉を遮ったが、それは彼の気に障ったらしい。

 にっこり微笑んで、よくないでしょ? と圧をかけてきた。


「もしもあのとき攻撃されて、リリーが焼け焦げてしまったら……この神殿も魔界も滅びてしまうところだったんだよ?」

「神殿も、ですの……?」

「そう。俺が破壊しただろうし、生き残りも全部殺すからね」


 魔族の王子らしからぬ(ある意味、魔界っぽいのかもしれないが……)穏やかではない発言に、イルジナさんもわたくしも震え上がった。


 わたくしが黙ったのを見てから、レトはイルジナさんに【魔導の娘】というのを聞いたことはあるか、と尋ねる。


「……滅び行く魔界を救済せんがため、魔神が遣わす娘……。その選定の乙女が魔界に緑を芽吹かせ、光を運び、魔族に永遠の安寧を授けると……神殿で教えられました。我々は気の遠くなるほど長き刻、彼女の降臨を待ち望んでおります」


 神殿の信仰の一部なのだろうか。うっとりとした顔でイルジナさんがそう蕩々と語ると、レトはにこやかに微笑み、わたくしの両肩をパンパンと軽く叩いた。

「ここにいるリリーが【魔導の娘】であり、俺の最愛の女性だよ」

 満面の笑みでそう告げられたイルジナさんの表情は魔導の娘の詳細を語っていたときのまま固まり……だんだん、その表情が憤怒の形相へと変わっていく。


「……は??」

「彼女が【魔導の娘】で、俺の……」「いやいやいやいや、お待ちください」


 イルジナさんは耳を両手で塞いで、頭をぶんぶん振っている。

 いろいろと現実と理想の崩壊が起こっているのだろう。気持ちは分かるわ。


「――……ぅぁありえなぁああい!!」


 大絶叫と言うに相応しいイルジナさんの悲鳴が、木霊する。


「王族の方にこんなことを申し上げては刑罰が下されるやもしれませんが、この娘が、人間が、魔界を救う【魔導の娘】であるはずがありません!! ましてや、あ、愛、ううっ、口に出すのもおぞましい……!」


 口を押さえ、吐きそうなのを堪えているらしいが……わたくしを見てそんなことをしないでいただきたい。お風呂も毎日入っているし、清潔に保っていますのよ。


「……きみが語ってくれた伝承、リリーは既に魔王城周辺で行っている。俺はずっと【魔導の娘】を探し、地上を歩いた。王族にしか感知できぬ【魔導の娘】であると、リリーを見た父上も、生き別れであった弟など【魔導の娘】という知識を持ち合わせていなかったが……示し合わせることなく、特別な存在であると認めているんだ。俺の勘違いではないよ」


 そう確信に満ちた口調でレトが説明すると、イルジナさんは狼狽した様子でわたくしを睨み、理解できません、と首を振る。


「きみに理解されずとも、俺は彼女の力を信じている」

「…………」


 彼女は唇を固く結び、あふれそうになる言葉を懸命に堪えているのだろう。身体が小刻みに震えているのがわたくしにも分かる。


「――イルジナ、何事か」


 息の詰まりそうな雰囲気に、割って入ってきたのは若い男性。

 面布を着用しているので口元しか見えていないが、声と顔の感じから、年齢はジャン達程度かな? という印象を受けた。まあ、魔王様みたいに年齢不詳の例もあるし、分からないけど。

「大神官様……! この下等生物が……王子を!」


 イルジナさんの声に悲痛な響きが混じる。


 助けを求めているようにも聞こえるそれは、当然ながら大神官様たる男性に向けられているものだ。


「王子を唆し、この神殿を破壊するつもりです!」

「お待ちなさい! そのようなこと、これっぽっちも考えていませんわ!」


 適当言ってんじゃないわよ、と怒鳴りたくもあったが……事態は想定以上にややこしいことになりつつあった。


 大神官から少し遅れて、数人の男女がわらわらと武器を携えてやってきたのだ。

 あっという間にわたくしとレトを取り囲み、それぞれが強い敵意を見せている。


 そーいえば、歴史上宗教が武力を持つとロクな事がなかったわよね。


「……わたくしはともかく、あなた方が武器を突き付けているのは、紛れもなくレトゥハルト王子ですのよ。敬意を払わぬような無礼――」「うるさい!」


 怒鳴り声とともに肩を軽く小突かれた。

 武器で刺されたわけではなく、ただの棒で押されただけだが……それでも、レトは貴様、と声を荒らげた。


「これ以上我々と対話を試みず、あまつさえリリーに暴力まで振るうようなら……!」

「――静まりなさい。おまえたちも、興奮せず下がれ。この方々はわたしが対話を引き継ぎます」


 激昂するレトと神官達を諫めるように、静かな声が神殿内に響き渡り……もう一度、皆は下がって良い、という有無を言わさぬ命令が神官達に告げられるのだった。



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こめんと

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