【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/122話】


 魔界に到着すると、懐かしくも見慣れた魔王城に安堵感がこみ上げてくる。


 戻るたびいつも見ている建物でもあり、相変わらず一階より上、破損部分の修復はわたくしが来た当時から進んでいない。


 というか誰もやっていないので、石造りの城壁の一部が焼け焦げていたり、崩れ落ちたままだったりしている。


 疑似太陽の発明に加えてドラゴンたちが来てから、魔界には天候というものが発生したため、日光と水分が加えられた外壁には……ところどころ苔むしている部分が発生しているので、そのうち草木が芽吹くだろう。魔王城はどんどん廃墟然としての風格を見せている。


 だけど、わたくしにとっては……この世界で一番大切な人たちと、思い入れのある大事な場所だ。


 学院寮の真新しいベッドなんかより、一体いつの物だか分からない、誰が使っていたのかも分からない、魔王城に併設されている小屋のおんぼろベッドのほうが好きだ。そういえば本当に、アレはいつの物なのかしら。よく破壊されずに残ってたわね。


 まだ城内にも手をかけなくてはいけない場所がいっぱいある(特に魔王様の玉座は作りたい)ので、いつか素晴らしい魔王城に蘇らせてみせるわ。


 わたくしが魔王城を見上げていると、レトが城門でノヴァさんから箱のような物を受け取っていた。


 わたくしがようやく二人に視線を向けると、それに気づいたノヴァさんは、爽やかに朝の挨拶をして箱を指した。


 その箱は何らかの植物の蔓で編まれた籠に入れられ、レトが両手で抱えているものだが……ノヴァさんが『食料とお弁当を入れてあります』と微笑む。


「傷みやすい食品は入れていませんけれど、今日中に食べきるようになさってください。食べきることが出来なそうであれば、鞄に入れていただければ大丈夫でしょう」


 明日の朝も戻ってきてください、という親切な申し出であるが……旅行っていうか遠足やハイキングにでも出かける人みたいになっちゃってますけど……。


 ただ、ノヴァさんのお食事は美味しいので、ありがたく受け取ることにし……行ってらっしゃいと見送られながら、レトにどこへ行きましょうと尋ねた。

「東西南北、どこへでも……歩ける限り、果てしなく遠くまで行くことが出来ますわね」


 とはいえ、徒歩で行くことが出来る距離などたかが知れているけれど。


 すると、レトは『歩いて行くわけないでしょう?』と笑って、片手を上に掲げた。


「――……来たれ!!」


 凜々しいレトの声が響き渡ると、彼の足下から一陣の魔風がゴオッと吹き、何かが空の彼方から光りながらやってくるのが見えた。


「えっ、なんですの……!?」


 その質問にもレトは答えず、目を細めて空を眺めている。


 それはだんだん近付いてきて……馬かな、と思った瞬間、わたくしとレトの間に砂煙を上げながら着地した。

 そこにいたのは、馬……なのだが、普通の馬ではない。

 王都で馬車を引いている馬の二倍ほどもある巨大な青い馬だ。


 それが全身青白く燃え上がるような炎に包まれていて、生物なのか精霊のような存在なのかも不明だ。こんなに近くにいても肌を焼かれるような熱さを微塵も感じないので、見えている揺らめきは火ではないのかもしれない。


「魔馬のスターベル。彼らは地でも空でも、とてつもない速さで駆けることが出来るんだよ。でも、リリーが吹き飛ばされちゃったら困るから、馬車を引いて貰う予定なんだ。速度は下がっちゃうけど」


 そう説明しながら、スターベル(という馬の名前か種族なのかは分からない)に魔法で出した車両をノヴァさんと取り付け、装具に緩みがないかを確認した後……ノヴァさんが馬車の扉を開き、どうぞ、と恭しく一礼する。


「……あの、わたくしが中に入ってしまったら、レトが御者台に上がるのでしょうか」

「違うよ。俺も馬車に入れさせて貰うんだ。もう御者はスターベルと一緒に到着しているじゃない」


 レトが指した方向、スターベルの背……に、ちまっとした小さな物体が蠢いていた。


 ぴょこん、と背から飛び出したのは、一匹の小さな……ジャンガリアンハムスターみたいに小さなネズミさん。その小さな手に、小さなムチを携え、豪華なベストと羽帽子を被っている。


「はじめまして、リリーさま。ぎょしゃをつとめますのは、チュールズです」

「まあぁっ……かっ、かわいい……! よろしくお願い……して、大丈夫ですの……? 即吹き飛ばされそうですけれど……」


 というか、御者台に座れるの? たてがみにしがみつくのかしら。


 すると、チュールズ氏は『お任せください』とふんぞり返るようにして薄い胸を張り、長いおひげをふわふわと上下に動かす。うわあ、かわいい……という感想しか出てこないわ……。


 四つん這いで素早く馬車に駆け寄り、車輪や装具を足台にして駆け上ると、御者台に降り立つ。ハラハラするわたくしに、馬車にお乗りくださいと急かしながら、チュールズ氏は上機嫌な様子だ。


「……レト、彼本当に……」

「平気だよ。彼だって魔物だし、ちゃんと前もって確認してあるから」


 気にする様子もなく、レトは扉を閉めたノヴァさんに手を振り、チュールズ氏に『東に出して』と声をかける。信頼と言えば聞こえは良いのだが……わたくしが心配しすぎなだけかしら?

 御者台から『ちゅー!』という威勢の良い可愛い声が聞こえ、辛うじてムチを振ったらしい音が耳に届いた。


「いっ……!?」


 すると――……次の瞬間。恐ろしいまでの加速が起きる。

 ちょうど、飛行機が離陸するときのとてつもない重力が加わるような……そんなものだ。


「だ、大丈夫?」


 向かいに座ったレトがわたくしの身体を抱き留めるように支えてくれなかったら、わたくしは彼が座っているシートに身体をしたたかにぶつけ、いきなり複雑骨折をしていたかもしれない。


「…………死ぬ、かと、思いましたわ……」

「ごめん。そうだったね……こっち側で一緒に座ろう。なんだったら、俺の膝の上に座っていると良いよ。落ちないように抱きしめていられるし……」


 恐怖体験のせいで心臓がバクバクと激しくなっていたが、レトがとんでもないことを言ったおかげで、胸の鼓動が収まらない。


「だっ、大丈夫ですから……!」

「遠慮しないで。不便も旅のうちだよ」


 何か言っている意味が違う気がするが……確かに振り払うには惜しい。だが、甘えるには心臓が持つかどうか……と悩ましく感じていたところで、あの小さな御者さんのことが頭をよぎる。


「――……チュールズ、さん?」


 ごうごうと小さな窓から風のうなりが聞こえる。それほどに凄いスピードで走っているのか、風が強いのか……とにかくおそるおそる御者台のほうへ声をかけてみる。


 あの小さな御者さんは、もう遙か後方の空に投げ出されているかもしれないのだ……。


「……ちゅー? どうしましたか!」


 わお。生きてた。

 帽子についた、何かの白い羽は……どういう力が働いているのかも分からないが、なぜか穏やかに風に揺れている。帽子が脱げる気配もない。


「……本当に、様々なことがご無事で何よりです」

「えへん。まかいのねずみは、たくましいのです! いままでちじょうにいましたが!」


 ちゅーちゅちゅっ、ちゅー……という、謎の歌まで口ずさみ始めた。


 ほっとしたのと、彼の歌が可愛くて思わず顔をほころばせていると、レトが気に入ってくれた? と、わたくしの背後から囁く。


「はい……外の景色が、めまぐるしく変わっていくのにも驚きです……」


 レトが説明したことは嘘じゃない。数秒前まで遠くに見えた木や岩を、あっという間に抜き去っていく。馬車をつけてこのスピードというのだから、その背にまたがったら、とんでもないなんてものじゃない速度が出るのだろう。


「人間の眼を気にせず、こうしていつでも好きなように走ることができて嬉しい……と彼は言っていたよ。草も美味しいって」


 レトは嬉しそうに声を弾ませながら、ありがとう、となぜかわたくしに礼を言って、腹部に回された手にはほんの少し力が加わった。


「リリーとみんなが頑張ってくれたから、民が安心して暮らせるんだ」

「……何度も言うように、わたくしたちだけの力ではありません。土台は作ったかもしれませんが、そこをより良くしようとなさったのは魔族の皆様の協力あってこそ。もう、作り上げたところはわたくしの手を離れ、皆に託された。今後も育っていくはずです」


 わたくしにしかできない重要なことはあるかもしれないが……地を育てているのも、姿を変えて土壌を豊かにしている皆様のおかげだし、植物や雨の恵みのおかげでもある。


 夜が穏やかなのも、闇の精霊や眷属達のおかげでもあるらしいし、植物が芽吹き、実をつけるのもドラゴンの身体から放出される『魔素』というものや、陽光、そして植物種族達の力があるおかげだ。


 わたくしの把握していない働きが既にあちらこちらで加わっている。


 そういうものを見せてくれるのかな、と思って窓の外に目を向けてみても、わたくしの動体視力では把握するのが困難だ。


「……レト、このスピードで……どこまで行くのでしょうか」

「俺がまだ見ていない地域から。この速度なら、あと20分くらいかな」

「20分……」


 時速どれくらいなのだろうか。そもそも、魔界全土は地上の果てから果てまでと同じ大きさ。広大なので、確かにこれくらいの速度でも……足りないかもしれないけれど。


「壮大な旅ですわね……」

「うん。楽しくなりそう」


 全てのスケールが違う。それは新鮮な体験に相違ないのだが……全く予測できないという、恋愛的な意味ではないドキドキが待ち受けているようにも感じられた……。




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こめんと

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