そこからみっちり二時間ほどのレッスンをして、もうすぐ一時になろうかという頃。
「――今回は、ここまで」
終了を告げるクインシーの落ち着いたよく通る声が教室に響く。
ハートフィールド姉妹はレッスンの緊張から解放され、ほっとした笑顔を浮かべた。
「……歌詞の意味を理解しながら歌うと……君たちならもっと上手に、早く歌えると思うよ」
「歌詞の意味、ね。ふぅん……この曲の譜面とか、図書館で見つかる?」
「オレは図書館に行かないから、わからない……あるといいね」
レイラとライラに穏やかな笑顔を向け、そんなことを言っているが、これは要するに『知らねーよ』をお客さん向けに優しく言っているだけである。
しかし、レイラはライラと図書館に寄る気だ。
おせっかいを焼いてしまったけど、新しいことに触れた彼女たちの表情は楽しげに輝いていて、とても良い経験だったみたい。
思わずわたくしも笑みを浮かべて微笑ましく眺めていると、クインシーが遠慮がちに声をかけてきて、退屈じゃなかったですか、と聞いてきた。
「おれはあくびが出るくらい退屈だった」
「こらっ、だから無理に来なくても良いと……失礼、彼は身体を動かしているほうが好きなので……お恥ずかしながらわたくし、初めて聴いたものでしたから……楽しく拝聴致しました。最初と最後では、彼女たちの歌い方も柔らかくなった気がしますし、本当にありがとうございます」
来週も彼女たちをお願いします、と丁寧に礼を述べれば、クインシーはぎこちなく『わかりました……』と言いながら頷いて、それから、と言葉を重ねた。
「来週以降もレッスンをお考えなら……直接、連絡を取り合うほうがいいのか……マクシミリアン様を介した方が良いか、みんなで相談していただけると、スムーズにいくかなと」
一回のレッスンで出来ることなんて、限られているだろう。
彼もその一回の練習内容を薄めて、何度もレッスンを続けようとは考えていない(はず)なので、何度もレッスンを行おうという気があるなら当然出てくる話だろう。
「ええ。あの方とも、彼女たちともご相談させていただくわ。お返事は数日中に、マクシミリアン様のほうからあなたに伝えていただこうと思います」
そう告げると、彼は軽く頭を下げて……『待っています』と短く答えた。
◆◆◆
教室の片付けを終え、休日に出勤していた職員に鍵を返すと……わたくしたちはクインシーと正門前で別れ、こちらも解散という運びになる。
ライラは市場の方へと歩いて行くクインシーの背中をじっと見つめながら、素敵な人だった……と熱いため息を漏らす。
「……まあ、悪い奴じゃ無さそうだったわね」
歌声は良かったけど、となかなか素直じゃない人物評をし、レイラもライラと同じ方向に視線を送っていた。
「うるさく言いたくありませんが、彼のほうではなく、歌に興味を持っていただきたいですわね」
「わ、わかってるわよ! 別に見とれていたとか、気があるとかじゃないんだから!」
妙に慌てて否定するレイラに、ライラはもしかして、と泣き出しそうな顔になる。
「だめだよ、お姉ちゃん!」
「そんなんじゃないったら……! ちょっと、他校の制服だから新鮮な感じもあったけど……あたしが一目惚れとか……恋愛なんかするわけないわ」
そう言い切った割には、一瞬浮かべた表情が切なげに見えたのは気のせいだろうか。
辛い経験が過去にあったのかも知れないと思うと、お茶でも飲みながら人生相談に付き合ってあげたくなるけど……そんなことはただの興味本位の干渉になってしまう。
それに、クインシーはアリアンヌ陣営の人間だと思う……のだが、アルベルトがクリフ王子の護衛になったり、イヴァン会長ヤンデレストーカーの件もある。
無印版から大きな変更があった人は、ちょっと扱いが異なっている気配……。
リリーティアという女がどう絡んでいくのか、リメイクのストーリーを何にも知らないわたくしに分かるわけない……が、人間の顔見知りを増やしただけでも大変なことになりかねないので、彼との接点は和紙よりも薄くしておきたい。
「それでは、わたくしたちは次の予定がありますので……ここで失礼致しますわね」
「あ……そう、なんだ。これから一緒に図書館へ行くんだと思ったけど……」
急に残念そうな顔をしないで欲しい。美少女にそんな顔をされたら断るの心苦しいわ。
「ごめんあそばせ、埋め合わせは近々。こちらからお誘い致しますわ」
「リリーティア様……あの、今日はお姉ちゃん共々、わたしたちの事に親身になってくれて……ありがとう!」
恥ずかしいのか、ライラが頬を赤く染めてはにかんだ笑みを見せる。
「まあ、よろしくてよ。ですが、来週はわたくしが見ていないからと言って……手を抜いてはいけませんわよ?」
「そ、そんなことしません! しっかり頑張ります!」
期待していますわ、と頷いて、わたくしもジャンを引き連れて市場に向かおうとすると……レイラが『あのっ』と声を発した。
「あの……今日は……ありがと、ね……」
それだけなのに、真面目な顔をしつつも真っ赤になっているレイラ。
こうして素直にお礼を言うだけ……のことだが、彼女はきっと……すごく頑張って告げたのだ。なんだか、彼女の事が分かってくると可愛く見えてくるわね。
「ええ。わたくしのほうこそ……出過ぎたことだとは思いましたが、あなたがたが一生懸命応えてくれたことに、感謝致します」
そう告げると、レイラは何かを堪えるようにぎゅっと唇を引き結んでから……。
「――あなた、思ってた感じと違うわよね。そんなお人好しだと、今に……」
「お姉ちゃん」
何かを言いかけたレイラの腕をライラが引き、首を横に振って止めている。
「そこは、ありがとうでいいじゃない」
「……そう、ね……ごめん。リリーティア様、なんでもないわ。忘れて」
わたくしが何かを応える前に、レイラは早口で『じゃあねっ!』と言って、背を向けると……ライラを引っ張って離れていった。