【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/112話】


「――お帰り。今日は遅かったね」

 ゆっくりお喋りしながらお茶と甘味を楽しみ、わたくしが寮の自室に戻ってくると、居間で雑誌を読んでいたレトが顔を上げて微笑んだ。

 確かに、いつも用事が無いときはすぐに帰ってきていたので……三時間ほど遅い。その間、ずっと待っていてくださったのかしら。


 居間のテーブルの上には、雑誌が何冊も……いや、ちょっと待って……数冊じゃなくて数十冊も積まれていた。


 いかがわしい雑誌……ではなく、表紙は綺麗な風景が一色刷りで描かれたものであり、雑誌の上の方に大きく『ひっそり大人旅』『恋する二人のお宿』とか、キャッチーすぎてこっちがびっくりするくらいの観光や宿紹介雑誌を、飽きることなく読んでいたらしい。


 そういえばなぜかこの世界にも情報誌って、あるのよね……。


「……レト、この雑誌どこで……」

「ああ、ラズールでちょっと気になった物を数日おきに買い集めちゃった。行く度に棚が随分寂しくなってたけど、また入荷するのかな」

 ほぼ買い占めてきたというのではないか、それ。

 今は勧められるまま買ったという雑誌『フォールズ名所百選』を読んでいるようだが、ニコニコ笑って、挿絵を見ては興味深そうに『へぇ』とか『ほぅ……』とか言っている。


 ああ……いつも見ているけれど、レトの笑顔って……なんて素敵な笑顔なのかしら。今日の疲れも吹き飛びそうよ……。


「そんじゃ、おれ先に風呂入るわ。覗くなよ」

「頼まれたって覗きに行きませんのでご安心なさって」


 気を利かせているのかマイペースなのか、ジャンは脱衣所に向かっていく。

 着替えを持っていかないのかという心配は要らない。


 ジャンの持っているショルダーポーチも一応マジカルな四次元カバンだ。しかも、マジカルカバンに別のカバンを入れるという裏技 (?)で、クローゼット代わりにも使っている。

 戦闘があると予想される場合は、ほぼ持っていないので本当の意味で『普段』使いのカバンというわけだ。


 ちなみに洗濯などは自分でやらず、なぜかノヴァさんがやっている……。


 わたくしの衣類以外は洗濯している(リリーさんの服も洗いますと言われたが丁重にお断りした)ようなので、朝早くからノヴァさんはみんなの服を洗ったりご飯を作ったり、花壇や畑の面倒を見たりと忙しい。働き者だわ。


「ねえ、リリーはどういうところが良い?」

 洗濯物を干しながら、たまに鼻歌を歌ってらっしゃるノヴァさんの事を考えていると、レトはわたくしを手招きし、横に座るように言う。


「こういった紹介を見ていると、とてもわくわくするね。どこも素晴らしくて、行き先も決められないくらい迷ってばっかりだ」


「雑誌の記事には、どんなものがおありなの? えーと……『隠れ家的に、離れで楽しむ……』『星空を独り占め、ロマンティックな露天風呂』……はあ、こういうキャッチフレーズを考える人は素晴らしいですわね」


 わたくしが元いた世界とあまり遜色ない。写真がなくても、スケッチみたいな挿絵で充分伝わるのね。


「……あら、秘境の宿ですって。名前は良いけど、行くの大変そうよねぇ……」

「だいたいの場所が分かれば問題ないよ。今からだってすぐに行けるさ」


 転移で行けるから、というのだが……それじゃ面白くないわ。


「旅行は、行きも帰りも楽しむのですわよ。旅行の移動過程だって楽しいのです」

「へぇ……。じゃあ移動はほとんど、馬車で行く……の? そうなると、あまり遠くには行けないよ」


 何かあった場合、結局帰ってくるのは転移だからと言われたらそうなのだが……それでも、いいじゃありませんかと言って、レトに笑いかけた。


「はっ……、初めての、旅行なので、不便くらいのほうが面白くて良いんじゃないかな、って思うんですがっ……レトはどうかしら。便利なほうが良いかしら」


 やや早口でそう言い切ると、レトは驚いたような顔をしたが、次第にその瞳には輝きと喜びが満ちていく。


「リリー……! そうだね、一緒なら『不便』なんてどうということはないさ。なんだったら、数年前の魔界より不便なところはないだろうからね」

「ええ……あの場所は本当に凄いところでしたもの……よく数年でここまで来ましたわ……」


 改めてファンタジー世界……の錬金術や魔法の力って凄い。そう思わされるわ。


 レトはわたくしの手に自身の手を重ね、照れ笑いを浮かべながら『一緒に探そう?』と言って、わたくしの顔をじっと見つめてくる。


「俺、こういうこと本当に分からないから……どんなところが好きなの? って言われても、星空も隠れ家も秘境も体験したことが……ああ、いや……魔界はある意味隠れているのかな」

「ふふっ……。魔界はもう秘境でもありません。環境も変化し、民も増えています。もう、寂しくはないでしょう?」


 すると、レトはだんだんその表情を……嬉しそうにも寂しそうにも見える、陰りのあるものへと変えていく。


「――……魔界はめざましい成長だ。民も増えた。父上も嬉しそうだし、俺だって嬉しい。ヘリオスも、一生懸命魔界を見て、様々なことを学ぼうとしている」


 そう言いながらどこかぎこちなく、レトは一緒に読んでいた冊子を閉じた。


「……魔界は、これからきっと良い方向に進んでいける。それは確信しているんだ」

「ええ……これからもわたくし、魔界を見守っていきますわよ。きっとエリクだって、ノヴァさんだって……わたくしよりもいろいろ考えているはずです」


「あー……まあ、そうなんだけど……リリーが数日帰らないと、やっぱりちょっと……大気が乱れるって父上が言っていたのを今思い出してね……」

…………んっ?


「……つまり……不便な二人旅をしてもいいってリリーが言っていたじゃない? もし良ければ……」

「…………魔界を、ゆっくり旅する……ということでしょうか。大気も安定するし、新たな発見、そして不便な場所も思い出に、と?」

 しん……と静まりかえる室内。


 時折、浴室のほうからザバザバお湯を使っているらしき音が響くだけだ。


「……や、やっぱり、いやかな……」


 うきうきと地上旅雑誌を見ていたのに、様々な理由から魔界旅を提案したレトは、若干申し訳なさそうにうなだれている。


「……雑誌を意気込んでこんなに買ってきたのに、ほとんど読まないままになってしまいますわね」

「うぅ……」


 しゅーんという効果音でも似合いそうなくらい、背中を丸めて頭を下げるレトに、わたくしは大丈夫ですわよと笑いかけた。


「地上はそのうち出かけましょう。魔界は、まだ手を入れる必要がありますものね。気兼ねなく、魔界でゆっくりレトとくつろげる……と思えば悪くありませんわ。魔界もレトも、わたくしが必要なんてありがたいことです」


 何かあっても対処しやすいだろうし。


「……うん……! ありがとう、リリー……」


 心底嬉しそうに微笑まれると、わたくしとしても……とてもくすぐったい気分になる。


 地上の名所旅も気になるところだけど、魔界の名所 (になりそうなところ)を探すのもいいんじゃないかしら。

 結局旅雑誌を見るのはそれで終わってしまったが、レトと一緒に数日過ごすという楽しみが奪われたわけではない。むしろ、人目を気にしないで良いのだから、大いに楽しめそうだ。


 プランもなく、当日行き当たりばったりになりそうな旅行だが、わたくしもレトもその日……二週間後を待ち遠しく思うのだった。



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こめんと

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