学科の授業も終わり、下校の時間となった。
今日は大きな波乱もなく話もまとまって、とても安心したわ。
わたくしが所用でマクシミリアンをお茶に誘い、正門から出ようとしていたときのことだ。アリアンヌが急いでわたくしたちの横を走り抜け……たところで、わたくしとマクシミリアンであることに気づき、今からクリフォードさまが馬車でお帰りになりますので、お見送りに行きましょう――……などとわたくしの腕を引く。
そういえばそうだったな、などと事情を知っているらしきマクシミリアンが言うには、彼は別国の貴族を公賓として迎えるために公務に出るのだという。あなたは行かなくて良いのか。そう言うと、父が全て行うし、ローレンシュタイン伯も出席するから君たちのところも問題ない、と言っていた。
それより婚約者として見送りくらいしてあげて欲しいと言われたので、面倒くさいと思いながらも人だかりのほうへと移動する。
既にギラギラした金ぴかの悪趣味な馬車が迎えに来ており、上等そうな黒いスーツ姿の御者が馬車の扉を恭しく開いていた。
女子生徒や取り巻きに名残惜しそうに声をかけられ、すっかり良い気分になっているクリフ王子は、あちらこちらに手を振っている。
マクシミリアンが簡略化した礼を取って見送るので、わたくしやアリアンヌもそれに倣う。
どうやらわたくしたちに気づいたらしいクリフ王子は、馬車の扉が閉まる前に、マクシミリアンとアリアンヌへ爽やかな笑顔を向けて『また明日』などと告げていたが……その真ん中にいたわたくしのことなど、一度も見ることはなかったわね。
期待もしていないし、仲良くなくても良い。そこはいいんだけど……馬車が去った後、取り巻きさん達のまあ楽しそうなことといったらない。踊り出すんじゃないかってくらい楽しそうよ。
「ご覧になりましたか? あの方、あからさまに避けられていましたよ。噂には聞いていましたが、ここまでとはねえ……」
「仕方ありませんでしょう、あの方は男好きですから。殿下も毎日のように目にしていらっしゃるでしょ、もはや汚らわしい存在としかお感じになっていないのです。視界にも入れたくないし、近付かないのですわ」
「お誘いは男女見境ないとも聞きますよ。まあ……あの外見ですから、断る方もいないのでしょう……」
口さがない言葉と嘲笑が周囲に伝播していくように、じわじわ広がっていく。
それがここにいない一般生徒の言の葉に乗るのもさほど時間はかかるまい。
素晴らしいくらいに、わたくしの悪評が高まっていくわ。
事実無根だって訂正したい部分は多いけど、いいわよ、その調子であなたたちは頑張ってちょうだい……!
暗い楽しみにこの身が震え、興奮にじわじわ顔が赤くなってくる。
笑っちゃいそうなので唇を噛んで必死に堪えていると、わたくしの顔を見たアリアンヌがぎょっとして動きを止め、次の瞬間、ギッと取り巻きたちに睨みをきかせた。
「――あなたたちっ、そんなくだらない、お姉様を辱めるような事っ……!」
なんと、アリアンヌのほうが怒って取り巻きさん達に噛みつき始めるではないか。
「ちょっ、ちょっとアリアンヌさん! 何してらっしゃるの、おやめなさい!」
慌ててアリアンヌの肩に手を置いて、自分の方を向かせると……アリアンヌは顔を真っ赤にして、おかしいじゃないですか、と憤りを隠さない。
「――……確かに、証拠もない憶測を得意げに口にするのは感心しないな」
静かにマクシミリアンが口を開き、取り巻きの男女をじろりと睨むと……学科もまちまちである彼らは鋭い視線に怯んだ様子だ。
「ふ、ふん……そうしてアラストル様も抱き込んでいるのか。どんな手を使っていることやら! アラストル様、目を覚ましたほうがよろしいかと。お父上がお嘆きになりますよ!」
「安心したまえ、流言に惑わされるような空っぽの頭はアラストル家にいない」
マクシミリアンがどんな家柄で、誰の息子だということも知っているようだが……それでも、嫌味を言ってくる奴もいるので見上げた根性である。
わたくしのほうから報奨金を与えて、もっと頑張るよう飼い慣らしたいくらいだわ。
しかし『虎の尾を踏む』という言葉がある。
わたくしはどーでもいいのだけど、くだらないゴシップで未来の救世主アリアンヌと、宰相の息子マクシミリアンを焚き付けてしまったのだ。既に二人の表情は硬く、笑顔なんてものは浮かべていない。これは止めないとエラいことになってしまう。
「――いいたい者には好きに言わせておけばよろしいのです。いざ自分の話していたことが根も葉もないことであると周囲に知れたとき、恥をかくだけで済むわけがございませんから……貴族ならお分かりでしょう? ……ねぇ皆様?」
取り巻きの皆様へ、余裕を含んだ笑みを向けたつもりだったが……元々の顔つきも相まって、冷たく意地悪い笑顔にしか見えていないのだろう。
彼らが息を呑み、やがて気まずそうに数人がその場から離れていき……それに呼応するかのようにばらばらと人々は散っていくが……あれ以上わたくしをそしる言葉も、当然ながら謝罪も返ってくることはなかった。