今朝から『魔物を倒し滅ぼすときだ!』などと息巻いていたクリフ王子ではあったが……アリアンヌの一言で、その討伐意欲は簡単に消滅してしまった。
アリアンヌ、特別なことを言ったわけじゃないのよ。
『今は私たちも、魔物と渡り合うための力を充分に付けるときだと思います』と言っただけで、クリフ王子は素直に手のひらをギュルルッと返していたのだ。
あげく『さすがアリアンヌ。長い目で兵力だけではなく個人の能力増強を考えているわけだな』とほざきおって、クラス中からなんとも言いがたい視線 (もちろん決して良いものなんかじゃないわ)にも気がついていない。
アリアンヌも強メンタルだが、今後わたくしが人生……ゲームでいえば、ストーリー分岐かしら。そういった岐路に立たされて決断をする場合、クリフ王子のあの図太さは見習ってもいいくらいだわ。空気の読めなさはいらないけれど。
――まあ、結局……これでアリアンヌとクリフ王子の絆は、周囲が深く知ることとなり、わたくしはクリフ王子を止めることも出来ず、戦力にもなれず、義妹に婚約者を取られそうになって、失墜しそうな自分の価値を高めるため……男をはべらせている頭の悪い美少女、って感じかしら。
想像するとなかなか……第三者から見たわたくし、相当アレなやつじゃない?
しかも男をはべらせて、婚約者の気を引こうとしている的な感じに思われてるのかしら?
特に女の子からの支持は絶対ない。
こんなクソアマ、絶対誰も興味持たないわよ。学院で女の子との友情を育むことが出来ないのは、もはや運命と思っておくしかないわね。
しかも、始業前に一手間かけてパウラちゃんに演技をしていただいたおかげで、『自分を助けた子に八つ当たりをした』と思われている。わたくしを見る女子の目が冷たい気さえするわよ。
「くっ……ふふ……笑いがこみ上げてきますわね……」
とまあ、現状からそんな想像をしつつ調合をして、うっかり高品質なものを作ってしまいそうになるくらい喜んでいる。
素敵な学院ライフを送るつもりだったら、この状況は精神的にとてつもなくキツイことだけど……わたくしの目的はそこじゃない。
だから、嫌われてもいい……というのは極論かもしれないけれど、深い情は育みたくないもの。
などと感傷に浸りつつ毒消し薬を調合し、依頼の規定数を作り終えた。
◆◆◆
それからほどなくして、クラス対抗戦は静かに終了した。
戦闘依頼がないということで、いまいちパッとしない静かな終わり方を迎えたようだが、結果的に依頼という名の雑用が増えたことにより、実は良い面もあったのだ。
王都周辺ではしばしば学院生徒の活動によって、街の景観や衛生状況が改善したことや、フォールズ内の商品流通が一時的に多くなった……ということが挙げられる。
孤児院や路上で生活している方々のための炊き出しや、街の清掃、修繕などが多かったようだが……そういった場所は基本的にお金も人手も足りていない。
きちんと指示を出してくれる方がいれば動けるし、学院への依頼金も冒険者ギルドに頼むよりも安く、生徒も割と素直な人が多いから、とても有り難がられたそうだ。
護衛が絡む依頼になると冒険者ギルドのほうに話は持ち込まれるが、荷下ろしや店から店への配達などなら、お手伝い感覚でできるわけだ。
そういうわけで、地域……ひいては税として国に落ちるお金も当月は(ほんのちょっぴりだけど)多くなるらしいとマクシミリアンが言っていた。
肝心の白兵学科と魔法学科の対抗戦総合得点だが、だいたい7.8万点と7.4万点 (細かい点数は忘れてしまったけど、確かそんな感じ)で白兵学科の勝利になった。
僅差で負けた魔法学科の方々は悔しいかもしれないが、我々支援学科は他のところより人数も少ないので、2万点という可愛らしい数値である。それでも頑張ったほうだと思う。
そんなことより、何より恐ろしかったのが……マクシミリアンの査定タイムなわけよ。
以前、50点台にいかなければマクシミリアンの監視の目が厳しくなる……ようなことを言われたので、それからわたくしはやりたくもない納品依頼や調合に精を出していた。
おかげさまで、わたくしの評価ポイントは現在『55/85』になっている。
それを見せると、わたくしのお目付役的なマクシミリアン様は『まあいいだろう……よくやった。これからも励むように』とお褒めの言葉をくれた。
どうやらこれ……フラグ管理的なもののひとつだ。
アリアンヌの場合は『点数が足りなくて、先生にキレられるエンド』がセーブデータからのやり直しになるわけだが、わたくしの場合は『点数が足りないとマクシミリアンに叱られ、監視を強化される』から行動に制限がつく。
マクシミリアンとクリフ王子の怒りを買わぬよう、目立たず騒がず行動することになるんだから、全く地上の生活も楽じゃないわね。
明日から二日間は慰労のお休みということで、生徒達の顔は晴れやかだ。
それが終われば学院の授業は座学を含めたものになるので、クラスにいる時間も長くなるけど。
「――……あの、お姉様」
帰りがけ、正面玄関付近でアリアンヌに声をかけられた。
「あら。どうされました?」
「……あの、大きな声じゃ言えないことなので、これ手短に受け取ってください!」
と、わたくしの胸元に突き付けられたのは小さな包み袋だった。
「シアーさんが私を経由して、お姉様に渡してくださいって。中に手紙も入ってるって……わ、渡しましたから!」
なぜか少し怒っているようなアリアンヌに、わたくしはどうもありがとうと受け取ると、いそいそと鞄に入れる。せっかくいただいたんだもの、潰れないようにしなくちゃ。
そんな様子を見て、いいなあ、とアリアンヌがぽつりと零した。
「……シアーさん、絶対渡してくださいっていってたんですよ。私のお姉様なのに……」
「あなたのものじゃありませんけど、なぜアリアンヌさんを経由してきたのかはだいたい察しが付きますわ。詳しいお話はまた……そうですわね、夜にでもいかが?」
口を尖らせて不満たらたらな様子を見せていたアリアンヌだったが、ぴくんと身体が反応し、じわじわと不機嫌だった表情が喜びへと変わっていく。
「それは、食後のお茶のお誘いって事ですよね!? お風呂も一緒にいいんですか!?」
「お茶だけです。お風呂お風呂としつこいと、ジャンに代わりをさせますわよ」
「絶対嫌です」
「おれだってお断りだぜ。襲われちゃかなわねぇからな」
冗談のつもりだったけど即座に拒否したアリアンヌと、汚いものを見るような顔をしてアリアンヌを睥睨するジャン。
互いに反応して軽口を叩き合うのは、やはり仲良しは喧嘩するみたいなアレかしら。
そんな二人の様子を少し微笑ましく見つめてから、わたくしはアリアンヌにごきげんようと声をかけて寮に戻った。
シアーさん……というのはパウラちゃんの名字だが、赤いリボンを解き、サテン地っぽいつるつるしたピンク色の包み袋を開くと、中から出たのは一本のボトルと、お手紙だ。
『リリーティア様、こんにちは。パウラ・シラーです。人を経由して贈り物をするという無礼をお許しください』
という文章の始まりで、以前の件から考え、自分から近付くのは止めた方が良いと思ったから……という理由が記載されていた。だいたい思ったとおりだったけど、相手も自分のことを考えてくれたのが嬉しい。
ボトルの中身はボディオイルで、これは家族と自分のことを助けてくれたお礼だと思って欲しいとのこと。
保湿成分が入っていて、バラの香油入りで香りも良く、実際女性客によく売れるものだそうだ。ありがたく受け取っておこう。気に入ったらぜひ買いに行かなくちゃ。
「嬉しそうだね」
手紙を読み返していたわたくしにレトがそう言葉をかけて、優しい表情でこちらを見ていた。
「ええ。ちょっとしたご縁で、クラスの女子から贈り物をいただきましたの」
「そうなんだ。やっぱり、女の子が喜ぶものは女の子のほうが知っているのかな」
そう言いながら、俺も贈り物があるんだよ、と言って……急に真面目な顔になると、机の上に小さな黒い箱を置いた。
「……?」
錬金術か何かで作ったような、光を反射しないで吸い込みそうな……光沢のない、黒くて円形の箱。箱というか……そうね、形状はコンパクトに似ている。
材質は何かしら。手に取ったら指紋が付いてしまいそうなものだが……。
「あの、錬金術の鑑定じゃなくて……開けて、そこにある赤い石に左手で触れて」
言われるがままに箱を開けると、ルビーのように赤い綺麗な石が台座に埋まっていた。綺麗な石だが、これに何か仕掛けがあるようだ。
箱を右手に持ち替え、左手の指先で押してみると……ぱあっ、と赤い宝石は光の粒子に変化し、わたくしの左手の薬指に絡みついた。
「きゃ……!?」
壊してしまったかと思ってびっくりしたが、指に絡んだ光の粒子は強く光った後――、一瞬で指輪に姿を変えた。
赤い石の付いた、金色の指輪だ。過度な装飾もないシンプルなそれは、ブカブカにもならず、ぴったりとわたくしの指でその存在を強く美しく見せている。
「――……これ……」
「俺が作った。リリーに内緒にしてたのはこれだよ」
ごめんね、と言って傍らに座ると、わたくしの左手を取って、満足そうにその指輪を眺めた。
「……でも、これ幻影なんだ。実物じゃないから触っても硬い感覚はない。蓋を開けて宝石に触れたら、しばらくはその手を飾ってくれるけど、蓋を閉じたら――……」
そう言いながらレトはコンパクトの蓋を閉じると、僅かな光の粒子を残し、その指輪は一瞬で消えてしまった。
「消えちゃうんだ。何回でも付けたり外したり出来るけど……実物じゃないんだ」
そうして悲しげにコンパクトに視線を落としていた。
「……俺、リリーが婚約指輪を持ってきたとき、嫌だった。クリフォードに嫉妬してたんだ。アリアンヌが好きでリリーが嫌いなのに、手放してくれない。俺が望むものを持っているのに、ぞんざいにしている。妬ましくも羨ましい、って自覚させられて、すごく恥ずかしかった」
「レト……」
こうしていつも一緒にいるのに、わたくしたちは互いに分からないことばかりだ。
レトはそんな思いを抱えていたなんて……。
「指輪に想いを込めるって言われても、父上も婚約指輪とかはあげてないって言うし、俺たちは魔族の風習すらきちんと知らない。だから結婚しない限り指輪をあげるという慣例が元々ないのかも……って思ったけど、結婚したい人の指に、他の奴の指輪がはまってるのだけは嫌だった。見たくない。わがままだって分かってる」
それでも、いつかリリーがその指輪をはめてしまうところを見たら、耐えられない。レトはそう言って嫌悪の表情を浮かべた。
「――ごめん。リリーが嫌がるかもしれないって思っても、俺……抑えられなくて」
「レト……そんな思いをされていたのに、わたくし分かっていなかったのですわね。あなたが大事だと、毎日想っているのにとても愚かだわ」
そっと彼の手をとって指を絡め、嬉しい、と素直に告げた。
「きっと、わたくしがこのまま全てを放り投げて魔界に引きこもったら、それはそれで……あとは時が過ぎ去るのを待つだけで終わることなのでしょう。その間、あなたは安心できるかもしれないし……望む生活が待っているかもしれません」
以前のように何もない魔界ではない。
多少不便でも環境は整いつつあるし、なんだったら道具や工具なども錬成したり加工するという、乙女ゲーというよりは農業や牧場を管理していくシミュレーションものになるだろうけど……。
「でも、それはできないんでしょう?」
「ええ。魔界はわたくしたち人間が管理してはいけません。もっと、たくさんの魔族が必要です」
魔族といっても、獣型ではなくどちらかといえば人型タイプのほうである。
家も必要だし、失礼ながら知能も器用さも獣タイプより高いだろう。
魔界の歴史をこれから紡いでいくには、そういった方をたくさん迎え入れなければいけないもの。
「奴隷として捕らえられている魔族達を、解放したい。そして、魔界を一緒に……いえ、彼らの手で自分たちが住めるよう、変えていって欲しいのです」
そう言ったあと、ああ、とわたくしは納得した。
「――……そうか。わたくし、既に分かっていたのだわ。わたくしのクリア条件は、魔界の裂け目が閉じる前に魔族を迎え入れること……なのね」
そう独り言のように呟くと、レトは不安げな顔をして、わたくしの頬に手を置いた。
「クリア条件って何? リリーが前に言ってた……『全ての終わりの日』っていうやつ……?」
どこか怖れを抱いた様子でレトの目が悲しみに揺らぐが、わたくしはゆっくりと首を横に振り、大丈夫だと態度で示した。
「かつては、自分が消えてしまうかも、とそれに怯えていましたけど……もう今は怖くありません。クリア条件はわたくしが達成すべき案件だと考えてくださればよろしいかと」
「本当に? その条件を達成したら、俺たちの前から消えたりしない?」
ぎゅぅっとレトに抱きしめられ、切なさに心が締め付けられたが……そっと背中に手を回し、絶対大丈夫、と言って彼の胸に頬を寄せた。
「――……この指輪、幻影なのでしょう? わたくしが【魔導の娘】として達成すべき事が終わって、婚約も破棄して……きちんとレトから本物をいただいて……あなたとわたくしの人生を……い、一緒に、歩んだりしないといけませんもの」
なんだかとても恥ずかしいことを言ってしまった。これはプロポーズと言い切って差し支えないのではないだろうか……!!
わたくしの心臓がバクバクして、口から飛び出してもおかしくないというのに、レトの心臓は早鐘を打つわけでもなく、一定の速度を保っている。
「……そうだね。俺たちにはまだやらないといけないことがいっぱいある。全て終わったら、指輪頑張って作るよ」
「え、ええ……そうですわね、頑張りましょう……?」
――……レトにはわたくしの(決死の)覚悟が伝わっていないのだろうか。
い、いいんだけどさ、勢いや雰囲気に任せちゃいけないことだものね。
そうよ、わたくししっかりしなくちゃ。結婚しようって言うのは全て終わってからよ。
照れ笑いを浮かべた後、そっとレトから身を離すと……コンパクトを両手で包むように抱え、大事にします、と告げた後、また蓋を開いて赤い宝石をうっとりと眺めた。
わたくしが仮に貴族じゃなかったとしても、綺麗なものや宝石は好きよ。
特にレトがくれたものなら、格別に美しく見えて愛おしいわ。
「しかし、この宝石何かしら? 属性石……ではないし、ルビーなのかしら……綺麗……」
「それ、俺の血を魔法で結晶化させたものだよ。気に入ってくれて嬉しいな」
あっさりとそう言い放ち、ビシリと固まったわたくしのことなどお構いなしに『透明感を出すために何度もやり直したんだ』と至極嬉しそうに語り始めた。
「ちょっと指先を切って血を出すだけだよ。うまくいかなくて、だんだん切るの慣れちゃったときは、失敗するたびにやり直すの面倒だから、多めに血を出しておこうって考えるくらい危なかったけど」
「……自傷行為までされていたのですか……」
うわ、なんか聞いちゃいけないことだったかもしれない。美談で終わらせておくべきだった……。
この幻想の指輪は、いろんな意味でレトの愛と血と努力の結晶であると言い切って間違いないようだ。
「――……俺の血がリリーの指を飾るんだ。その宝石をうっとりとみてくれるリリーも綺麗だった……。たとえその指輪が幻影だとしても、関係ない。リリーの指にはまっているだけで、とてもぞくぞくするよ。もっと技術を上げて……最高のものを作るから、そのときを楽しみに待っていて」
綺麗な笑顔の底にある、よどんだ愛情が……見えたような、気がする。
いえ、愛情を受けるのはとても嬉しいわ。わたくしもレトを好いているのですもの。
よく怖い話で、女の子が編み物をしていて髪を一緒に編み込んで……とかあるじゃない?
あれはなんか抜け毛の事故もあると思うんだけど、レトのはそれだけじゃないわよ。
血の中に混ぜるのは本気で独占欲だよ。わたくしを好きすぎるあまり、何かが凝縮した感があるわ。
魔王様。あなたのお子さん、どちらも恐ろしいですわね。
嬉しさ半分、恐ろしさ半分でわたくしはぎこちなく微笑み、若干手汗のにじんだ手でコンパクトを握りしめた。
【幻影の指輪】
『魔界の王子が作成した指輪。宝玉は血液で出来ている。贈り主への愛と、底知れない狂気が内包されている。譲渡不可』