部屋の空気が重い。
彼らの表情から見て、アリアンヌとわたくしたちの話を聞いていたことは間違いないので、わざわざ『聞いていたのか』なんて確認する必要は無いだろう。
「なんだか……いろいろ聞きたいこと出てきちゃった……困ったな。あ、先に食事でも摂る? ノヴァが持たせてくれたものがあるんだ」
レトは重苦しい場の空気を少しでも和ませようとしているようなのだが、家事なんて王子様にやらせて良いのだろうか……という罪悪感も相まって、わたくしの胸にはレトのかいがいしさも、いじらしいものに感じてくる。
「そういえば、わたくしたちお夕飯食べ損ねてしまったのですわ。お腹が空いているわけですわね……レト、わたくしも手伝います」
「ううん、温めるだけだから座っていて良いよ?」
と、キッチンに立ってお鍋を簡易コンロに乗せたり、お皿を出したりとテキパキ動いて……なんか、しばらく見ていない間に家事スキルが上がっている……。
しかも、キッチンに立つレトはなんだかとても……いい。これ、なんか新婚さんみたいな妄想しちゃいそう……おっと、妄想はいくらでも後でできるんだから、そんなおめでたく浮かれている場合じゃない。
わたくしの近くに座ったヘリオス王子が、さっきの話だけれどね、と前置きして笑顔を作った……が、いつもと違った、こわばった笑顔だ。
「アリアンヌ、リリーティアが魔族だったら離れるほか無い、と言っていたよね。一緒には暮らせないのだと」
「……ええ」
いずれ確定的に『違っている』って認識してしまう日が来るからだとか。
そうすると、もう寄り添うこと・手を取り合うことは出来ないということなのかしら。
「人間同士は、少しくらいならば『違う』と判断しても、一緒にいることが出来るのかい?」
「精神や生活に負荷を強いられることになるでしょうけれど、多少のことなら耐える方もいるでしょうね。感情だけでは解決できない理由もあるでしょうし……」
すると、ヘリオス王子は首を軽く振り、人間も生きづらいんだねえ、と言った。
「リリーティアは、ボクたちが人間でも魔族でも、変わらないと思う?」
「心根は、人間も魔族も変わらないと思います」
「確かにボクたちヴィレン家の者は何も反動がないのだけど、魔物の中には、抗えない衝動を抱えた者もいるのだよ。どうしようもなく悶々とした欲を持て余したり、満月になると血を欲して獰猛になったり、そもそも理性が無かったり」
そういった者達が、誰かと一緒に暮らすなんて出来ないよね……とヘリオス王子でさえ寂しげな顔をされるのだが、わたくしはどう答えたら良いのだろう。
レト達は反動がないからわたくしたちと一緒にいても大丈夫なだけで、魔族全般で見れば、なにかしら他者と共存できない……弊害があるのだろうか。
「……人間も魔族も、共存できることが理想なのか、関わらぬ方が最善なのか……魔王様のご意向を伺いたいですわ」
「じゃああんたは、魔王やレトが人間を際限なく殺せと言ったら殺すか?」
「それは……」
「あのガキの手前だからって適当に言ったわけじゃねぇぞ。あんたは……命を奪う覚悟が足りねぇんだよ」
アリアンヌは国のため、クリフ王子のために、自分の力を捧げる覚悟を持っていた。
だけどわたくしは魔界のため、レトのために、この力で他者の命を奪う覚悟は……できて、ない。
――おまえ自身は誰も救えないのだ。
クロウが別れ際そう告げたのを思い出す。
その言葉の重みは冷たいものに変わって、じわじわと体中に巡っていくような気すらした。
血の一滴余すことなく凍らせるように、わたくしの内部を侵食して塗り込めていく。
おまえは誰も救えない。
もしも近い将来、幼馴染のマクシミリアンや、傭兵であるノヴァさんのお兄さん……ステラさんと敵対し、互いの命を奪わないと帰れないということになったら、わたくしは弓を引き、金の猪と対峙したときのように精霊の力を相手へ向けることが出来るだろうか。
救えないのだ。
わたくしは、本当に、誰かを救うことなんて……!
まるで耳元で告げられているかのようなクロウの言葉を反芻して押し黙っていると、頭の上に優しく手が置かれた。
「リリー。今すぐ結論は出せないと思う。今日はそこに気づいただけでいいよ。少しずつ、きちんと考えていって」
レトはわたくしを落ち着かせるように言い聞かせ、わたくしが小さく頷くのを見てから、優しい表情を浮かべる。
ジャンやノヴァさんはともかく、研究さえできれば良さそうなエリクにも、わたくしとお友達だと言ってじゃれついてくるヘリオス王子にも……わたくし以外の全員は、既にその心構えがあるのだろうか。
せっかくの美味しい食事すらきちんと味わえず、わたくしはいつもよりも口数少ないまま、クロウの言葉を思い出し、力不足であることを悔いていた。