【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/88話】


 魔物というものについてどう感じているのか。わたくしはそれをアリアンヌに聞いてみることにした。


 彼女は近い将来、戦乙女として覚醒する……のであれば、必然的に国全体から後押しをされて、魔族やわたくしと敵対する可能性が高くなる。


……たとえ友好的・否定的どちらのものであっても……今現在どう感じているのかは聞いておきたい部分だった。


 アリアンヌはわたくしの質問に頷くと、唇をきゅっと引き締めて視線を外す。

 後ろめたいことがあるのではなく、人に対して伝わるよう、自分の中で言葉を整理しているように見えた。

「はっきり言うと、私、魔物……魔族全般のことってよく知らないです。小さいときから大人が『魔物は怖いものだ、敵だ、会ったら殺される!』とか言っているのを聞きながら育ったので、あまり良い印象は持ってないし、それを疑問に思ったこともないですね。スライムじゃなくて大きな魔物とかなら、出会ったら怖いんだろうって思うし、そもそも魔物には出会いたくないし、戦いたくないです」


「まあそれが、一般的な考え方だろう。兵士や冒険者みてぇに武器を持たず、普通の暮らしをしてる奴なんか、極限状態にならねぇと……命ってやつの価値も鈍感に扱って暮らしてるもんだ」


 そういや腹減ったなとか言いながら、ジャンは立ち上がるとキッチン近くにある備え付けの戸棚を勝手に漁り始める。


 そこにはドライフルーツとかクラッカーが入っているのだが、それを迷わず手にするあたり……手慣れている。


「つまり……対話というか……人間と魔族で、意思の疎通を図るのは難しいと思っている?」

「……言葉を話すことができても、価値観が違うので……小さな村の中ならなんとかすり合わせることができたとしても、街や国全体となると、障害もその分多くなっていくし不可能じゃないかって思います」


 シンとする室内には、ジャンがクラッカーをバリバリ咀嚼する音だけが響く。


「……仮にわたくしが魔族だとしてです。アリアンヌさんは、わたくしと疎通は図れないと思いますか?」

「……もしも、お姉様が魔族として……人間と……意思の疎通を……」


 ちらとジャンの顔を見るアリアンヌは、戸惑った様子だったが……ジャンから『たとえ話だ』と言われて、はっとした顔をすると何度も頷く。


 もしかして、わたくしを魔族と勘違いするところだったのかしら。


「うーん……人間を好ましく思う魔物が、堂々と人里に住むとは思えませんけど……」


 いるんですよ、それが。隣の部屋に二人もね。

「お姉様が魔物だとして考えて……好きでも、一緒にはいられないと思います」

「――……どうして?」


 私がお姉様を好きだから大丈夫です! とか大らかなことを言うのかと思っていたので、そこはちょっと意外だった。


「だって……種族が違うんですよ。どんなに仲が良くても、きっと確定的に『違っている』って認識せざるを得ない日が来てしまいます。人から追われることになったら、私はお姉様を逃がしてあげる手助けをどこまで出来るかは分かりません……」

「そう……あなたの意見はとても参考になりましたわ」


 それがあなたの大好きなクリフ王子だったら、果たして同じ解答が出せるのだろうか……とも思ったけど、そんな意地悪なことを言いたいわけじゃない。


 魔族とほんの少し歩み寄ることは出来ても相容れない。共に寄り添うなんて出来ない。


 それが、アリアンヌや……普通の人間の考え方なのだろう。もしかすると、魔族もそうなのかもしれない。


「お姉様はどうお考えですか? 魔族は恐ろしいですか?」

「――……いいえ。わたくしにとって魔族は……恐ろしくありません。人間も魔族も、種族が違うというだけ。男性や女性のように、ほんのちょっと身体や見た目が違うだけなのではないかしら。心……感じ方は人間も魔族も同じなのだと思うのです」

 家族を亡くされて悲しいと思うのは人間だけじゃない。


 寂しいと感じ、温かさを求めてしまったのが、たまたま人間だった。


 信頼し、好きになったのがたまたま……人間だった。

 それを逆にしたとして、どこが違うというのだろう。

「……そんなこと……お姉様は、魔族を友好的に見ているんですか? どうして、そう思えたんですか?」


 わたくしが思ったままを告げても、アリアンヌにはあまり伝わらなかったようだ。信じられないという言葉を口に出さなかっただけで、表情にそれが多分に含まれていた。


「昔、狼の魔物に出会いましたの。彼らは人に見つからぬよう、ひっそり暮らしていたみたいです。そうして、人間に気を遣って生きる魔物もいるのだと思いましたわ」


 その魔狼たちも、今は魔界でのんびり暮らしている。

 わたくしを見ると、近くには寄らないが、軽く尻尾を振って挨拶してくれる優しい子達なのだ。


「もちろん、人間も魔族も、互いをよく思わず憎む者もいるでしょう。でも、わたくしは――……魔族を決して否定的には」


 見ていない。そう言おうとしたとき、ジャンがテーブルをコツコツと指先で叩く。目を鋭く細めて睨んでくるので、喋りすぎだ、ということだろうか。


 左手で頬杖をついていて、アリアンヌのほうからジャンの顔は見えない。


「なにかしら、ジャン」

「簡潔に話してくれねぇかな。フォールズの魔族を排除しろと学院やら国から言われたら、あんたらはやるのか?」

 まあ、最終的にはそういう話になるだろう。

「……私は、します。私の力が国のためになるなら、できる限りは」


 きっぱりそう告げたアリアンヌとは対照的に、わたくしは答えることが出来なかった。


 ちょっとの間、二人はわたくしの答えを待っているようだったが……やがて、ジャンが諦めたように嘆息する。


「あんたは直接武器を取らねぇかもしれんが、あんたの判断は最終的におれにも必要なんだよ。クロウとかいう奴が、手勢を引き連れてあんたを殺しに来るかもしれねぇ」


 それは……ジャンにとって一番懸念するところだろう。

 引き連れてきたものが魔物でも、モンスターでも、もしくは……人間であっても、説得は不可能に近い。


「そのとき、殺意剥き出しの相手を前にして、魔物は殺すなとか人間を傷つけるなとか悩まれたんじゃ……おれはあんたを連れて逃げることも出来ねえよ」

「……ジャンさんちゃんと考えてるんですね」


 アリアンヌが感心した様子だが、あたりめーだろ、とジャンに睨まれている。


「とにかく、あんたは魔物でも命を奪うって事に疑問があるんだったら……もうちょっと自分の考えを確かなものにしとくんだな」

――などと、うまい具合に話を逸らし、ジャンはアリアンヌに『もういいだろ』とお帰りを促している。


「今日のこと、王子様に戦乙女だとか言っても、盲目的に信じるか鼻で笑われると思うぜ。せいぜいクラスにいた教会の奴あたりに相談してみるんだな。そのあたりは慎重だろうし」

「……セレスティオさん……うん、そうですね……彼なら真面目に聞いてくれるかもしれません。そうしてみます」


 抱えていたモヤモヤが晴れそうな気配に、満足げな笑みを見せるアリアンヌ。


 さりげなくセレスくんを窓口にして口止めを図ろうというのかな。偉すぎないか、ジャン。

 アリアンヌはゆっくり椅子を引いて席を立ち、お疲れなのにありがとうございました、とわたくしに頭を下げた。


「……人に聞いておいて、わたくしのほうが曖昧な態度というのが……自分でも分かりましたわ。不快にさせていたら申し訳ございません」

「そんなことないです! お姉様がお優しいのは、知ってますから」


 両手を胸の前で小さく振って、明るく否定してくれるアリアンヌだが、少々困ったように眉を寄せ、励まそうとしているのか優しくわたくしを見つめる。


「でも……うん、学院にいる以上、いつかお姉様も魔物と戦わざるを得なくなると思います。そのとき、私はお姉様の分まで頑張れても、マクシミリアン様やクリフォードさまは許さないと思うんです。なので……その、なんて言って良いか……」

「心配してくれてありがとう、アリアンヌさん。そのときまでには、もう少しきちんとしますわ」

 わたくしがそう言いながら頷くと、そう願ってます、とアリアンヌは返し、お休みを言いながら部屋を出て行った。

 ぱたん、と扉が閉まる音がやけに重く聞こえ……彼女との会話を思い返していると、今度は浮かない顔のレトとヘリオス王子が姿を見せた。




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こめんと

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