緊張した面持ちのアリアンヌに、とりあえず座るよう席を勧めてから、ジャンにお湯を沸かして欲しいと頼むと、なんでおれがと嫌そうな顔をされる。
「サイドテーブルに置いた魔法陣に、ポットを乗せるだけじゃありませんか」
「それだけだったら、あんただって出来るだろ」
ここには簡易的なキッチンも備え付けられている(が、火災を懸念して直火は扱えない。IHコンロみたいなもの)ので、キッチンに行けば魔法装置のコンロはある。
自分でもこのコンロを簡易的に再現出来ないかなと思って、紙に魔法陣を書き、ガラスの板で押さえつけて吹き飛ばないようにする。
手をかざすだけで電源的なものが入るものを作った。魔法卓上コンロの完成だ。
そんなわけで、そこにポットを乗せて一分ほど待てばお湯が沸く。
だというのに、わたくしとジャンは『いいじゃないのやりなさいよ』『あんたがやれよ、カップの用意もあるだろ』と、どちらがやるかで一分以上無駄に使ってしまった。
これには客のアリアンヌのほうが困って、私がやります……と小声を発したところで、キッチンに向かう方向からゴトリという音がした。
当然全員の視線がそちらの方向に移る。
すると、なぜか通路の途中にティーポットが落ち……いや、トレーの上に置かれていた。
「…………」
わたくしは何事もなかったかのようにそちらに向かい、トレーを拾い上げる。
誰がこれをやったか――……くらい、わたくしにもわかっている。
やれやれと部屋に戻っていった魔界の王子様だ。
もっと言うならば、部屋の扉がほんの僅かに開いていて、ふふっと笑った声がかすかに聞こえたくらいだ。
「――……失礼。置きっぱなしだったのを忘れていましたわ」
わたくしは努めて何事もなかったかのようにそれを拾い上げ、キッチンの棚からカップを三つ取ると、すたすたと戻ってくる。
「置きっぱなし、って……床にですか……?」
「そのようですわね。疲れていたのでしょう」
どうということはない……という顔をしたが、アリアンヌの視線はもう一度床とトレーを行き来し、あまり納得していなさそうな『はあ……』という曖昧な返答をした。
そうよね、わたくしも客だったら『いや、いくらなんでも床はないだろ!』って疑問に思ったり、疲れているようなら日を改めようかな、とも感じると思うわ。
結局ソファでゴロゴロしているジャンに、お風呂に入るか部屋でくつろいでくださいというと、茶くらい飲みたいとのことだ。
「――……まあ仕方ありませんわね。今日はジャンも働きましたもの」
「ここんところ動けるから、楽しいっちゃ楽しいぜ」
戦っている方がお好きなジャンさんにとっては、毎日が退屈だったのだろう。
なんとなく機嫌が良さそうにも感じる。
「……あの……それで、お姉様……ジャンさんがいるときにいろいろ聞いて良いか分からないのですけど……」
と、そろそろ話したいオーラを出してくるアリアンヌ。
「あの男の人のことでしょうか?」
「はい……その他、彼の言ったこととか……」
そうアリアンヌが迷いながら口にしたとき、わたくしとジャンは互いに目配せした。
別にいても構わないけどどうする? 的な視線をわたくしがジャンに送ると、彼は軽く頷いた。ここにいる、ということだろう。
「――構いません。ジャンのほうが詳しいこともあるでしょうから、アリアンヌさんの疑問に答えることが出来るかも分かりませんわ」
すると、アリアンヌはジャンに懐疑的なまなざしを送り、わかりました、と、あまり納得していない声音で答えた。
「じゃあ……さっそくなんですけど、お姉様はあの男の人とお知り合いですか?」
「いいえ。その……わたくしもジャンから『魔物を連れ歩く男がいるらしい』という噂話のようなものを聞いたことがあるだけです。実際に目にしたのは初めてですわ」
確か……魔界の皆さんと水晶玉ごしに再会するとき、そんな話をしていた気がする。あのとき、たしかお話が中断してしまったのだ。
「ジャンさん、あの人の目的って何なんですか?」
「知らねえよ。実物見たのは初めてだ。だいいち『魔物が活性化している』と言い回って各地を歩いている、犬っぽいものを連れた男がいるらしい……って噂だけだ。あれがその本物かどうかだって、確かかどうか」
そう言いながらジャンはソファから身を起こし、浅めに座ると自身の指を組んだ。
「……そんで? あんた、そんなことが聞きたいわけじゃねぇだろ」
「あの人の言ってた【戦乙女】って、フォールズを救ったとされる、あの伝説の乙女のことなんでしょうか……それとも、何かの比喩なのか……だとしても、覚醒がどうとか、わけのわからないことを……」
と、アリアンヌは不安そうにカップを両手で包むように握って俯いた。
まあそこは当然疑問に思うわよね……。
「――お姉様にも『おまえこそが』って言っていたし……私やお姉様に話してるってことで間違いない……と思うんですけど……」
「少なくとも、わたくしはあの男……クロウと仰っていましたかしら。彼に会うのも初めてですし、こちらからは何の用事もありませんわ」
でも、彼には目を付けられてしまったようなのだ……どちらかといえば、アリアンヌのほうが、だろう。
「アリアンヌさん。今後あなたがクロウに再び出会う可能性も高い。ローレンシュタイン伯にお願いして、護衛を付けて貰うほうが良いのではないかしら?」
「――……いいえ。それは大丈夫です」
やけにきっぱり断ったアリアンヌに、でも、とわたくしが言葉を重ねようとしたとき……悲しいんです、と戸惑ったような声を発した。
「あの人に会った瞬間、嫌だなと思うより……どこか懐かしい気もして……弓が当たったときも、私なんで当てちゃったんだろうって後悔してて……」
「……懐かしい……?」
「はい。あの人の顔も思い出せないですけど、なんか、思い出さないといけない……って気がするんです」
変だって分かってます、と、彼女自身困惑しているようだ。
あの男、リメイクの新しい要素なのかしら。
無印版にはそんな感じの人もいなかったが……、もしや孤児だったメルヴィちゃん(アリアンヌの元の名前)の本当のおとーさんなのでは……?
いや、それはそれで困るな。お父さんが妻子を捨てて『魔物が活性化してますよ!』なんてフォールズ各地で言いふらす旅しているなんて嫌だわ。
「わたくし、今回あまり……いえ。戦乙女の伝説……に関係する動物を連れた人物って、いました?」
「戦乙女の伝説、数代ありますから……どれかにはあるのかもしれませんね」
「どれか」
アリアンヌがうろ覚えですけど何回か姿を見せていますよ、と教えてくれたが……戦乙女降臨しすぎじゃない?
そうか。その当時の戦乙女と魔王様が戦う度に魔界に甚大な被害が発生して金目のものが略奪されているわけだから、数代の歴史があるのか……『魔界の家宝、戦乙女○代目、ナンタラ・カンターラに略奪される』とか、本来だったら魔界の歴史書に書かれている可能性があるのよね。
「……その辺は、図書館で調べてみますわね」
きっとイヴァン会長にお願いすれば、わたくしの部屋は専門コーナーが出来るほど本の山が積まれることになるだろう。
「それで……あの、男の人のことなんですけど」
アリアンヌは申し訳なさそうな表情で、わたくしを見つめた。
「……お姉様を【魔導の娘】って呼んでいました。それって、なんですか……?」