魔界に行く時にはいつも、レトが迎えに来てくれたりしていたものなのだが、今日は違った。
先程ペンダントを握りしめて、レトにコンタクトを取ったとき――……。
『今手が離せないから、リリーとセレスの部屋に魔法陣を出しておくよ。そこから来て』
という、淡々とした会話で終わってしまった。
わたくしもセレスくんも無事に魔界へ行くことが出来たから、別にそこはさしたる問題じゃないんだけど……。
作業室にレトがいるだろうと思っていたのだが、ここ数日は自室に引きこもりがちであるらしい。
ノヴァさんは困ったものです、と、頭上の耳をへにゃりと伏せている。かわいい……じゃなかった、言葉通り相当お困りのご様子。
そうね。いくらなんでも親子揃って引きこもられては困る。
わたくしが行けば、事情を説明してくれるかもしれない。
部屋を訪ねる前にティーセットとお菓子を用意し、トレイに乗せる。
これはあれだ、アニメとか漫画でよく見る『○○ちゃん、頑張ってるわね』って言いながら部屋に入ってくるおかーさんとかのシチュだわ。
そんなことを思いながら、わたくしはレトの部屋へと向かう。
部屋の前で深呼吸を二回繰り返し、ドアを軽くノックする。
「レト、わたくしです。入ってもよろしいかしら?」
「――……どうぞ」
少しの間があったけど、許可は貰えた。
失礼しますわね、と断ってから扉を開けると――……部屋の中は真っ暗だった。
卓上ライトの明かりだけが部屋唯一の光源で、その光も決して強いものではない。
「――……部屋の灯りを付けなかったのですわね」
「暗くても見えるし、手元だけ見えれば良いから……」
そう言いながら、レトは卓上の何かに黒い布地をかけて覆い隠している。
「そういえば、ずっと……何の作業をされていますの?」
「うん……ちょっとね……作りたいものがあって。理論は分かるんだけど実践が難しいというか」
そう言いながらも彼の視線は卓上に注がれている。そして内容も、うまくはぐらかされているような気もするんだけど……。
「何かお手伝いできることはございませんか?」
「なにもないし、手伝って貰いたくないんだ」
「…………っ」
はっきりとそう告げられ、わたくしの心に、凍ったものが差し込まれたかのような冷たい痛みが走る。
「――……それ、は……どういう……」
「リリーには手伝って貰いたくない」
レトは冷たくそう言って……わたくしの表情が硬いものになっているのに気づいたのだろう。すぐにハッとした顔を見せ、首を横に振る。
「違う。その、これは俺一人で――……」
「わたくしには関係ないのでしょう。理由は述べずとも結構です」
お邪魔致しました、と立ち去ろうとしたとき……待って、とレトがわたくしの肩を掴んだ。
「ごめん。そういう酷い言い方をするつもりじゃなくて……誰にも、手伝って欲しくないことなんだ。リリーでも……だめなんだ」
「…………」
「だから、まだ誰にも言えない。でも、完成したら必ず……一番に見せるよ」
「…………」
「そのときは……見て、くれる、かな……?」
レトの声もだんだん自信なさげに弱まっていく。
製作途中は誰にも見られたくないものを、完成すれば真っ先に見せていただける程度には信頼があるのだろう。
「そんな大事な研究を、わたくしに見せるのが一番で良いのでしょうか。魔王様ではなくて?」
「いいんだ」
それ以上レトは言葉を重ねなかったが、わたくしの言葉を待っているらしい……という空気が伝わってくる。
「……わかりました。それまで何も聞かずにお待ちしております」
「――……! うん!」
嬉しそうに弾むレトの声を背中で聞きながら、わたくしの頬も僅かに緩んだ。
良かった、邪険にされたわけじゃなかったみたい。
一瞬、わたくしとうとう嫌われてしまったのかと思って、驚いて声も出せなかったわ。
安堵の息を吐くと、じわっ、と目元に熱いものがこみ上げてくる。
あ、ちょっと待って。こんなときに……急に涙腺が潤むことはないのよ。
慌てて目元をササッと擦り、涙が溢れていないのを確かめ、そのまま部屋を出ることにした。
「えっ、ちょっと……もう行くの?」
レトがわたくしを引き留めようとするのだが、それはできない。
だって、レトは暗い中でも目が見える。わたくしが半べそをかいていたような顔を見たら心配するだろうし、何より――……そんなの見られたら恥ずかしいじゃない!
「邪魔をしては、申し訳ありませんから……」
「いいんだ。リリーがせっかくこうして来てくれたんだ。冷たくした分、一緒にいたい……んだけど……」
ぐぬぬ、そんなおねだりするみたいな言い方するのはよろしくないぞ。
わたくしが断れないのを知ってるから出来る、みたいなやりくちだな。
今日もかわいい。顔を見なくても魂で分かる。
最推しのおねだりを断れる奴など、この世にいるのだろうか。
わたくしは頬がじわじわ熱を帯びてくるのを感じながらも、こくりと頷いた。
ゆっくり振り返ると……当然のように目の前にレトがいて、彼も少し恥ずかしそうに笑っている。
「ちゃんと、お食事も皆と一緒に召し上がってくださいね」
「わかったよ」
「それと、お風呂もきちんと入って」
「身だしなみには気をつけてる……つもりなんだけどな」
と、レトは顎をさする。この子、ヒゲとか生えるのかしら。
というか、乙女ゲーの世界の人って、ムダ毛とかあるのかしら?
ジャンの無精ヒゲくらいは見たことあるから、ムダ毛が生えることは生えるのだろう。人間とかは。
「レトって、ヒゲとか生えます?」
「さあ。父上もないから、生やそうと思ったら生えるんじゃないかな、角とか」
……魔族ムチャクチャだなあ。角とヒゲは同じような扱いなのかよ。
サイの角とかは、髪の毛と同じ成分らしいとは聞いたことがあるけど……そういうものなのかしら。しかも自分でもよく分からないようなので、あろうがなかろうが……まず興味が無いのだろう。
「羨ましい限りですわね」
「リリーだって腕や足がつるつるじゃないか」
と、断りもなくわたくしの袖をススッとめくりあげ、腕に触れてくる。
「……それは、きちんとした努力のたまものでもありますから。女の子は大変なんですのよ」
「ふぅん……そうなんだ……」
ヒゲも腕もつるんつるんのレトには分からないだろうが、女の子はつらいものなのだ。しかし、乙女ゲーの恩恵なのか、ムダ毛は処理すればお手入れの頻度は格段に減るので、大人になるにつれ時間をかけることもなくなっている。
乙女ゲーキャラにムダ毛エディット機能でもあるのだとすれば、最初から発揮していただきたいところだが……本当にそれだとしたら、なんともムダな隠し機能である。
「それで、今日はどんなことをあっちでしてきたの?」
レトは持ってきたお菓子をつまみながら、わたくしの話を楽しみにしてくれているご様子だ。
今日あった出来事……依頼をこなしたことや、ジャンの『ブッ殺スイッチ』が入っちゃうようだったこと、あと、イスキア先生の女の魅力が凄いことなどまで話した。
「イスキア先生って、エリクの知り合いだったっていう……?」
「そうなんですのよ! 色気がありすぎて、わたくしが男子生徒だったら鼻の下を伸ばしながら……いけない妄想までしてしまうことでしょう」
ちょっと色気のあるのは保健室の先生だと相場が決まっていると思うのだが、これが白兵学科とかだともっと大変なことになっていただろう。
「わたくしも、少しは色気を持った方がいいのかしら……お胸ももう少しあると……ねえ?」
「それを俺に聞かれても……どう答えれば良いのさ」
温かいお茶を口にしながら、困ったようにレトはわたくしのほうへと……上から下までをとりあえず見て、眉間にしわを寄せながら目を閉じる。
「必要ないでしょ。色気を持ったら何に使う気なんだよ」
「……レトに喜んで貰えるかと……」
「んぐっ……」
カップを机の上に置き、ケホケホとむせつつも、レトはぶんぶんと頭を振った。
「やめて。そんな……つらいこと強要させないでよ」
「まあ! 酷い言い方」
「違うよ……リリーは今のままでも充分、魅力的だと思う。それなのに、わざわざ色気を上げて俺を喜ばせようとか、そういうことをされたら……精神的に、いろいろ差し障りが出るから……」
レトは言葉を濁し、とにかくダメです、と強い口調で言い切った。
「大人になれば、どことは言わないけど成長すると思うよ……」
「そうかしら……」
「異性に触られると大きくなるって、雑誌に載っていたよ。協力させてくれるなら頑張るけど?」
と、椅子から立ち上がりかけたレトを見て、わたくしはぎくりと身をこわばらせた。
「そ、それはご遠慮しておきますわね!」
「ここまでそんな話を振って、俺のことをそわそわさせておいて……リリーも少し自覚してくれないと、俺が困らされっぱなしじゃない。ずるいよ」
と、レトの指先がわたくしの肩に触れ……すす、と指先が二の腕を滑り、肘に到達するとそのまま腹部に届き……ほんのすこしだけ、指先に力がこもる。
「――……そういえば、ヘリオスがリリーの身体にベタベタ触っていたね。あれ、嫌だから止めて言ってるんだけど……俺をからかうのが面白いみたいだから止めないんだよね」
「わたくしからもっ、い、言っておきます、からっ……」
「そうしてくれると助かるかな……ふふ、リリー……顔が赤いよ」
可愛い、と耳元で甘く囁かれると、ぞくりと背筋が震える。
けっして怖さを感じるとかではなく、甘い何かが襲う、しびれみたいなものだ。
レトの手は腹部から腰に移動し、上に向かってなぞられ――……胸に届く前に、ぴたりと止まった。
「……あ、ら?」
「これ以上は俺の精神衛生上も良くないから、ここまで」
と手を離し、椅子に座り直した王子様は……これに懲りて少しは反省してねと仰るのだが、彼は自身の顔も真っ赤ってことを認識しているのだろうか。
「とにかく、リリーは誰かみたいになろうって思わないでいいんだ。俺はどんな姿だって、リリーが好きだよ」
そうして綺麗に微笑まれると、わたくしは……泣きたいくらいに嬉しいし、激しく照れてしまうので、俯いてお茶を飲む。
そんなわたくしを見つめながら、レトは優しい声でもう一度、本当に好きだよと告げた。
「――……ほんとだよ」
「わたくし、も……レトが、大好きです……」
何度言っても恥ずかしいけど、きちんと自分の気持ちを伝えると……レトは嬉しそうに口を開いて――……。
『うくくぅっ……』
――……と、わたくしの胸元から変な声が漏れる。
レトは妙な顔をしながらも何かを察して押し黙り、わたくしもズルズルとペンダントを引っ張り出した。
「…………父上……また盗み聞きを……」
『違うでしょ! レトゥハルトがイチャイチャしたがるから、リリーちゃんがドキドキしちゃったの! ぼくは勝手に息子の恥ずかしい台詞を聞かされるんだから大迷惑だよ! むずがゆくて変な声くらい出るに決まってんでしょ!』
呆れたようなレトの言葉に、ひどいと言いながら反論する魔王様。
その言葉の正論ぶりに、わたくしもレトも言い返すことが出来ない。
『好き合っている二人が同じ部屋にいて、何もないのもそれはそれでどうかと思うけどね! 良くないな』
「す、すみません……?」
『すまないと思うなら、ペンダントはちゃんと外してからイチャイチャして!』
「……??」
なんだか微妙な叱られ方だが、そこからしばらく魔王様の説教は続いた。
わたくしとレトは精神をガリガリ削られながらひたすらそれを聞き、解放されたのは……二時間後のことだった……。