わたくしたちは王都に到着すると、御者のお兄さん――ピエールさんという――に何度もお礼をし、互いにまた縁があれば……と手を振り合って別れた。
既に日は暮れかかっており、落陽の赤き光が王都の街を僅かに照らす程度。
もう少し早く戻れると思っていたけれど、一日がかりの依頼になってしまった。
戦闘などのことよりも、長旅で移動のほうが疲労として蓄積しているのを感じる。
わたくしでさえ身体の重さを感じるのだから、病弱なイヴァン会長はもっと辛く感じているはずだ。これ以上ご無理をさせられない。
ピュアラバ無印版では、あなたとアリアンヌの湖デートって、割と命がけだったのですわね……この苦労を知っていたら、わたくしはイヴァン会長とアリアンヌ(のカップリング)を推したかも分からない。
戦乙女となっても彼女を支え、命を最後まで燃やして献身的に愛を貫こうとする。
こんなにおいしくて、そして必ず訪れるであろう……もの悲しい結末が見えるイヴァン会長ルート……だったはずなのだ。
そのイヴァン会長はわたくしに親愛の情を向け、アリアンヌはクリフ王子に恩義と深い好意を見せている。
まー、仮にクリフ王子を今までアリアンヌがさほど好いていなかったとしても、イヴァン会長に出会って数日後、いきなり脅されたりしていたのであれば――……好きになることなどなかろう、というものだ。
あ、でもだめだ。アリアンヌはセレスくんとのルートも捨てがたい。
「――……リリー様?」
何かいろいろな悩みがおありでしょうか、とセレスくんがわたくしに尋ねてくるので、なんでもないとかぶりを振って……イスキア先生が待っている、支援学科の教室に向かう。
いけないいけない。わたくしがアリアンヌの(クリフ王子以外との)恋愛を見たいという謎の興味を持っていることがばれたら、ここに居る全員からドン引きされること請け合いだろう。
深呼吸を数度行い、気持ちを切り替えて校舎内に入る。
既に校舎も閑散としていたが、教室からは人影があったり話し声がちらほら聞こえてくるので、まだ残っている生徒達も少なからずいるようだ。
支援学科の扉は開け放たれており、教室から薬品の匂いが廊下へと漂ってくる。多分……誰かが釜を使っているらしい。
「――……ただいま戻りましたわ。イスキア先生は……あ、よかった」
「あら! リリー……ティア様」
釜で調合をしている女子生徒の側に立って、イスキア先生は依頼か補習の指導をしていたようだった。
わたくしの声に振り向いた先生は、にっこり微笑んで気易く『リリーちゃん』と呼ぼうとしたようだったが、他にも生徒がいることを思い出して取り繕った……っぽい。
「依頼の薬草を納品致します」
「依頼……ああ、ちょっと待ってちょうだいね」
と、先生は急ぎ足で教卓のほうへと歩いていく。
あまり気にしないようにしていたが、イスキア先生の服装はなかなかに……男子の目に悪そうである。
ノースリーブの黒い縦セーターに、前スリットの入ったロングスカート。
歩くたびに大きな桃みたいなお胸がたゆんっと揺れるし、チラッチラッとスリットの間からタイツに包まれた足が見える。
美人だし、スタイルも良いし……実に妖艶である。魔女である。
女のわたくしでさえ挙動不審になるので、ここにいる男性諸氏にはさぞ刺激が強かろう……と、こわごわ後方を振り返ってみると――……。
ジャンはわたくしと視線が合って『なんだ?』と問い返し、普段通りの表情である。
イヴァン会長はにこやかな笑みを浮かべていても、顔は真っ青だし脂汗がすごいので……これは眼福どころの騒ぎではなさそうだ。むしろ生死の境までもう一息である。
セレスくんはイスキア先生を見ているが、特に感慨深い様子はない。
そして、一応調合を頑張っている女の子を見てみると……イスキア先生が離れただけで『先生、早く見て! これ変? 変かな?』と、見捨てないで欲しいオーラを醸し出している。
……おかしい。みんな女性に耐性が強すぎないか。
わたくしが首をひねっていると、イスキア先生はバインダーと納品箱を胸に抱えてやってくる。ちょっと、あなた。お胸が、箱に押されてムニュッって……強調されて大変なことになってますわよ!!
「わたっ、わたくしが運びますから!!」
「えっ? あら……そう?」
わたくしは先生から箱を奪い取るようにして持つと、バタバタと音を立てながら折りたたみ箱を組み立てる。
先生は机の上に置かれた薬草を、一束ずつ数をチェックしていた。
何もその行動におかしなところはなく、ごく自然に行われているはずなのだが……どうしても胸元ばかり目が行ってしまうのは、わたくしがスケベなのかしら……?
「――……おい」
どん、とジャンがわたくしの肩を肘で小突いたので、ビクッと思わず身をこわばらせて振り向く。
「ひっ!?」
「メシ、どうすんだ」
――てっきり胸を見ていたことを指摘されるのかと思ったが、意外にもジャンの心配は食事のようだ。
「ああ……まだ寮の食事までには余裕がありますから、そちらで」
「わかった。で、あんたは? そんな真っ青な顔して、歩けんのか?」
「転移で戻りますので……少し休めば回復します、ご心配は要りません」
言葉は丁寧なのに、イヴァン会長の目つきは鋭い。
『貴方に寮まで担がれるくらいなら、血を吐いて死にます』とでもいわんばかりの気迫がある。
「――……うん、確かに100本あるわね。ご苦労様、依頼達成です」
バサバサと納品箱に薬草を入れ、蓋を閉じると軽い拍手を送ってくれるイスキア先生。
「ねぇえ、先生、はやく、はやくはやく……! これでいい!?」
調合中の女子生徒はその場でせわしく足をばたつかせ、なんとかイスキア先生の注意を引こうとしていた。
「リリーティア様、数分後には依頼達成の印を付けておくから、また新しい依頼にチャレンジしてね? 評価ポイントはメンバーで割り振りされますからね。それじゃ、お疲れ様! っと、はいはい……うん、もうちょっと混ぜて貰おうかしら」
こちらへの説明もそこそこに、イスキア先生は女子生徒のほうへと向かっていき、再び指導を始めた。
「――……セレスくん、イヴァン会長。今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ハプニングはありましたが楽しかったです。良い経験になりました」
イヴァン会長はそうして挨拶もそこそこに、限界なので帰りますといって、一足先に転移で戻っていった。
今から寮に戻るのは同じなので、わたくしとセレスくん、ジャンは肩を並べて歩く。
「今日は……あちらには行くおつもりですか?」
「ええ。少々疲れましたが、向こうの様子も見ておきたいので……」
それに、魔界で何かをやっているレトともほとんど顔を合わせていない。
エリクやノヴァさんも心配しているようだから、そろそろ作業を中断して身体を休めて貰いたいものだ。
夕食後に行くことを伝えると、セレスくんも頷いて『私もお供しますよ』と言ってくれた。
いつもレトはどういうふうにセレスくんを呼んでいるのかは分からないが、あとでレトにセレスくんも一緒に転移して欲しいと相談してみれば良いかな。
魔界に戻ることは、実家に戻るみたいで嬉しい。
たとえそれが数時間の滞在であっても、わたくしにとっては大事な居場所だ。
魔界に戻れば魔王様も、レトも、エリクやノヴァさんも……待っていてくれる。
魔界を思うと、長旅の疲労も軽く感じる程度には……早く癒やされたいと、心が弾んでしまうのだった。