鳥トカゲの死骸から流れる血が地を伝い、染みていく。
血痕のついた羽毛は風に運ばれて、わたくしたちの足下から滑るように去っていき……周囲に色濃く残る血臭と戦いの跡を久しぶりに垣間見て、わたくしは小さく息を漏らした。
「――……大丈夫ですか?」
セレスくんがそう声を掛けてくれて、わたくしは頷くことでそれに応える。
その間にジャンはツカツカと客車に近付き、無遠慮にドアノブを掴んで引いた。
瞬間、何本もの銀色の線がジャンめがけて突き出され……わたくしたちが声を上げる間もなく、ジャンの上体が大きく仰け反った。
銀色に見えたそれは、紛れもなく突剣や槍という――……武器だ。
中には腹部めがけて突き出された剣もあったのだが、上体を仰け反らせつつ身をよじり、武器を蹴って軌道を逸らす……という事をしてやり過ごしていたらしい。
「――……そんなこったろうと思ってたぜ」
無数に突き出される刃は一度たりとも……ジャンの身はおろか、衣服を切り裂くことさえ出来ていない。
「おれに剣を向けた奴――……全員ブッ殺すからな?」
あ、これはいけない。止めなくちゃ。
「ジャン、その辺でおやめくださいな。わたくしたちが指名手配されてしまいます」
「おれは殺されるとこだったんだよ。正当防衛するに決まってんだろ」
正当防衛『する』という言葉がよく分からないが、殺されそうになったから命を守るために相手を無力化させねばならない、という意味だとしてもだ。ジャンは既にブッ殺すという大変な宣言を下しているわけで、過剰防衛になってしまうのではないか。
現に、まだジャンは武器をしまっていないわけで……!
どうしよう、わたくしにジャンを止める算段がない!!
顔を青くしてセレスくんを見ると、セレスくんも異常事態を察したらしく、顔を引きつらせた。ここはイヴァン会長に気づかれると、この間みたいに豹変してしまうかもしれない。
ああ、誰か助けてと思っていると……おーい、という呼び声が後方からかかった。
「おーい、君たち大丈夫か!?」
なんと、馬車が一台……わたくしたちが駆けつけてきた方向、つまり停留所のほうからやってきたのだ。
そして、ジャンが指摘した、馬と車輪のついた印……正規の乗合馬車のようだ!
「た、助けてくださいまし! わたくしの仲間がっ、闇馬車の悪い人たちに……殺されてしまいます!」
速度を緩めた馬車に駆け寄るようにして助けを求めると、そりゃ大変だ、と御者さん(こっちは青年だった)は、足下から猟銃のような……遠距離射撃に向いていそうなものを取り出し、御者台から飛び降りる。
「戦いを止めろ! 一人残らず打ち抜かれたいか!!」
と、銃を構えて勇ましい声を上げたのだった。
それから一時間ほどして、わたくしたちはめでたく正規の馬車……さっきのお兄さんの駆る馬車に揺られ、王都まで送って貰えることとなった。
しかも無料。わたくしたち四人のみしか客はいない、という好待遇である。
「ああ、助かりましたわ……一時はどうなるかと思いましたもの」
わたくしがそう安堵の息を吐けば、セレスくんも『日頃良いことをされているので、神が助けてくださったのですよ』と満面の笑みを浮かべて頷いてくれる。
イヴァン会長は少々長旅でお疲れらしく、後部座席で身体を横たえて休んでいた。とはいえ、道の状況によってはガタガタ大きく揺れるので、その度に眉を寄せて目を瞑り、乗り物酔いが起こらないよう耐えている……ようにも見えた。
「チッ……」
会長はお体の調子が優れないだけであり、この中で、不満たらたらなのはジャンだけである。
闇馬車の人々も、逃走を試みたようだが……ジャンに喉元へ剣を突き付けられたため、抵抗らしいことを一切出来ずに捕縛されていた。
見回りでやってくる、警備隊に(順当に行けば今夜)引き渡されることになるという。
「……結局ただ働き。あのごろつき共をブッ殺すこともできなかったじゃねぇか。あともう少しだったってのに……」
「あなたが血まみれで帰ってきたら、学院は大騒ぎになりますわ」
「正当防衛できるとこだったんだから良いじゃねぇか」
全く良くない。ジャンの楽しみを奪ってしまったのはかわいそうではあるのだが、モンスターを倒しただけで良いと思って貰いたい。
「あのモンスター……素材に、なったかもしれませんわね……」
わたくしがぽつりと漏らせば、ジャンはきょとんとした顔をしたあと……おれと言ってること大差ないぜ、と笑った。
御者のお兄さんは【ヴェルパーウ路線社】という合同会社の地域統括促進課、という……よくわからないが、いわゆるエリアマネージャー的な位置にいる人であり、この湖から王都までの道を担当しているらしい。
フォールズ王国には馬車組合がない。
乗合馬車を運営している複数の会社同士が集まって、立ち上げようとしている最中らしいのだが、中には不要だという者もいてなかなか纏まらないのだという。
というのも――……魔法の力が大きいからだそうだ。
人や物を『転移』させたりするのは魔術師であり、魔術師ギルドというものも存在しているし、なんなら冒険者ギルドというものもある。
どちらかに頼めば手早く行えるし、組合が出来れば料金や意識の統一も図らねばならない。作る前から問題が山のようにあり、中でも闇馬車の横行に頭を悩ませているそうだ。
今回のことは氷山の一角ということだろう。
御者台に続く小窓を開けて、彼の話を聞いていると……なんとかしてあげたいとも思うのだが……。
「イヴァン会長」
わたくしはぐったりしたままのイヴァン会長の側に屈むと(もちろんスカートには気をつけている)控えめに声を掛ける。
「……はい……」
うっすらと目を開けた会長は、わたくしが側にいることに驚いたらしく、カッと大きく目を見開いてわたくしの顔を注視し……やがて、柔らかく笑った。
「学院へ、外部から新規に依頼を持ち込むよう相談する……などは可能ですか? 不正行為になったり致しません?」
「……ああ、今のお話をわたしも聞いていましたが……依頼を持ってきていただくのは大歓迎だと思いますよ。学院に回した仕事の評価が高まれば、続々といろいろな依頼を受けることになるでしょう。生徒も評価を多く集めることが出来ますし、学院も収入がある……大事なことです」
なるほど、寄付以外から学院の財源を確保できるってわけか。
となると……評判が上がれば依頼も増える。あれ、でも、それって……。
「ですが、それって……【クラス対抗戦】以外でも常時依頼があるということになるのでは……?」
「ええ。順当に進級すれば、来年、再来年になる頃には、ほぼ依頼を受けて出かける生活になるようです。補修で座学を受けることになる人もあるかと」
あくまで予定であり、実際は依頼の入り方によってカリキュラムも変わると思われる……と、ゆっくり座席から身を起こしながらイヴァン会長は告げる。
「学院を支える一端として、依頼は常にお待ちしております」
イヴァン会長が微笑みながら三つ折りにしたチラシ……のようなものを御者窓に歩み寄って差し込むと、お兄さんは検討させていただきます、とチラシを引き抜いてそれを軽く振った。
「そのチラシ、教会でも拝見しましたよ……。イヴァンさんが配り歩いていたんですね」
「はは、まさか。いろいろな施設にお声掛けして、置かせていただいているだけですよ。わたしが配っていたら、途中で倒れて病院にばかり運ばれてしまいますから」
笑って良いのか分からない冗談を口にするイヴァン会長。ジョークはあまりお上手でないらしい。
「とりあえず、学院に到着し……イスキア先生に納品すれば依頼は完了、ということですわね」
「ええ。きちんと本数を確認する作業も入ると思いますけれどね」
なるほど、確かにそれもあるか。
二時間というそれなりに長い時間をおしゃべりに費やしたが……何事もなく、わたくしたちは無事に王都へ到着したのであった。