【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/75話】


「い……今のは?!」


 セレスくんは切迫した声を上げながら、怪しげな馬車が通り過ぎていった方向を振り返る。


「気のせい……ならば良いのですけれど」


 わたくしたちは気持ち駆け足で(イヴァン会長は歩いて)停留所を離れ、ゆるやかなカーブを曲がると……その先は見通しの良い一本道になっており、馬車はモンスターに囲まれて立ち往生していた。

 鳥みたいに二本足で立っているけれど顔はトカゲ、というような謎のモンスターが五匹。


 それらが馬車の周囲を取り囲み、御者のおじさんは馬用のムチを振り上げて威嚇しながら、来るなとモンスター達に叫んでいる。

 馬車の中にいるはずのおじさん達の姿はそこにない。


 扉の前にモンスターがいるので加勢にいけないか……あるいは、行こうとせずやり過ごそうという魂胆なのかもしれない――……御者のおじさんを見殺しにしてしまう事になっても、だ。


「あのままでは、御者のおじさんが危険です。ジャン、彼を助けに行きましょう」

「……それはいいけどよ、あのトカゲのイキモノは魔物か?」


 ジャンの指摘に、わたくしは『いいえ』と断言した。


「あれは魔物の混血でもありません。地上のモンスターのようですわ」


 制服の上から……ネックレスをぎゅっと握りしめ、わたくしは自分の感覚を信じた。


 ヘリオス王子が小鳥の姿になっていた時も、他の魔物達も。

 魔族ならば身体の周囲が光って見える。わたくしの魔具はそういうものなのだ。


「それじゃ――……これは学院の依頼とは関係ない。久々にブッ殺せるな」


 言いながら、顔がニイッと笑ったジャンの顔が恐ろしい。

 武器も抜かず、御者のおじさんに『おい!』と声を張り上げた。


「あんたお困りのようだが、助かりたいか?」

「あ……当たり前だ! 腕に覚えがあるなら早くなんとかしてくれ!」


 おじさんは何度も頷きながら催促するが、ジャンはここでなぜか首を横に振る。


「イヤだね。タダでは助けられねえし、その態度もムカつくからな」

「なん……ヒィッ!!」


 顔を真っ赤にしてブチ切れようとしたおじさんへ向かって、鳥トカゲは大きく口を開いて飛びかかる。狭い御者台に倒れ込むおじさんは、絶叫というに相応しい悲鳴を上げる。


 鋭い歯を剥き、おじさんの頭に噛みつこうとする鳥トカゲ。

 おじさんは必死にトカゲの口から逃れているが、これでは数秒後に死んでしまうわ。


 わたくしが弓を取り出そうとするのをジャンは制し、どーするー? と、間の抜けた声を投げかけている。おいっ、こんな時に何言ってんだよ! 死んだら取り引きどころじゃないわよ!

「わかった! わかったよ! 有り金全部払うから助けてくれ! 助けてくださああああッ!」

 おじさんの話が最後再び絶叫によって消えたのは、鳥トカゲがもう一匹、反対側からにじり寄ってきたからである。

「――確かに聞いたぜ」

 そう呟いた次の瞬間、わたくしの横からジャンの姿がかき消えるように移動し、青い剣を抜き放って駆けていた。


「うわ、足速っ……」


 思わずそんな呟きがわたくしの口から漏れてしまう程度に、ジャンの素早さは異常だった。


 馬車まで50メートルくらいあったはずなのに、彼は一瞬にして馬車まで到達し……御者に飛び乗っていた一匹を跳び蹴りでおじさんの上から落とし、反対側の鳥トカゲに剣を閃かせる。


 胸部を切り裂かれた鳥トカゲは羽毛と、甲高い悲鳴を周囲に散らす。


「鳥かトカゲかわかんねぇが、声は鳥なんだな」


 淡々と感想を漏らしながら、痛みに叫ぶ鳥トカゲの首を刎ねた。


――返事をしてからここまで、僅か数秒の出来事である。


「あんた、命が惜しけりゃ……そこで静かに丸まってな。騒ぐとこいつらに食われて死ぬぞ」


 ジャンにそう言われた御者のおじさんは、何度も頷いて……御者台にうずくまるようにして身を守る姿勢を取る。


 それを見届けたジャンが、先程蹴落とした鳥トカゲに向き直り、再び剣を振って……ぱっ、と赤い血が宙に舞う。


 血の匂いと、仲間を倒された怒りが鳥トカゲを興奮させているのだろう。

 奴らはギャアギャアとけたたましく騒ぎ始め、完全にジャンを第一に倒すべき存在だと見定めたようだ。


「そんなに騒ぐなよ。順番にやろうぜ」


 そして、血の匂いに気分が良くなっているのはジャンも同じだ。

 久々に命のやりとりをする感覚を味わっているので、その黒い両目は楽しげに輝いており、普段のけだるそうな態度とはまるで違う。


 放っておいても、ジャンが全部片付けてしまうだろう。


「――リリーティア様、わたしたちも支援しましょう!」


 しかし、ようやく追いついたらしいイヴァン会長はジャンの身を案じてくれたらしく、嬉々として剣を振るうわたくしの護衛を指し示す。


「あちらは全てお任せして大丈夫だと思いますの。というより、下手に手出しをすると、わたくしたちが切り刻まれることになりかねませんわ」

「……そんなにあの猿は野蛮なのですか? やはり剣を振るうことしか考えていないのか……」


 今まで温厚に振る舞っていたはずのイヴァン会長は、その美しいお顔を嫌悪に歪ませ、チッと舌打ちまでしたではないか。


――……今、イヴァン会長……さらっと『猿』って言ったわよね。


 もう大丈夫だってレトも言ってたはずなのに、ジャンに対してはやはり嫌いだという気持ちが抑えきれないのかしら……『イヴァン会長はこんなことしない!!』って、初代から彼推しのピュアラバガール達が憤死なさるぞ。


 わたくしも多少衝撃を受けている(というよりも一番の被害者だと言っても良い)ので、リメイク担当のライターと、OK出したディレクターは絶対許さないからな。

「そんなことよりも、私たちは馬車のほうを確認しましょう。誰かが怪我をしているのなら、治療を優先しなくては」


 イヴァン会長にどう返事をしたものかと悩むわたくしだったが、セレスくんは猿という発言を聞かなかったことにして、馬車のほうを指した。


 そんなことより、と言えるのもたいしたものだと感心しつつも、セレスくんの提案に頷いて……ジャンが立っている位置から、馬車を挟んだ反対側にわたくしたちは回り込み、客車に爪を立てて引っ掻いている鳥トカゲを発見する。


「ジャンに任せるつもりでしたけど、この一匹はこちらで倒した方が早く行動できますわね……」


 わたくしは鞄をごそごそと漁り、魔法銀(ミスリル)の弓と鋼の矢筒を取り出す。


 魔界でゴーレムくんたちを的にして遊んでいる(きちんとした矢を使うと怪我をさせてしまうので、木の枝とかを使う)が、外で弓を扱うのも久しぶりだ。


 矢筒から一本取り出すと、素早く狙いを鳥トカゲの喉に定め――……弦を引き絞る。


 精霊さんの力を使わずとも、あれくらいの大きさの敵であればわたくしの弓だけで倒せるはずだ。


 射る瞬間呼吸を止め、矢をつがえていた指を離す。


 ひゅっと風をきる音が耳元をかすめ、矢はまっすぐに鳥トカゲへと飛び……ぱすっ、という思ったよりも軽い音が響いた。刺さった衝撃で鳥トカゲの体が数メートル吹っ飛んで倒れる。


 ぴくん、と尻尾が大きく揺れているのでまだ息がある。


 急所を狙って仕留めたと思ったのに……弓の腕も鈍っているようね。

 とはいえ、わたくしが仕留めたモンスターなどスライムだとかそんなものだ。

 きちんとした動物や、あるいはいつか――……人型のものとも戦わなければならないのだから、きちんとこちらの精度を上げなければいけないだろう。


 もう一本取り出そうとする前に、イヴァン会長が右手を前に突き出して――……雷撃魔法を唱えた。


 彼の手のひらから稲妻が出現し、轟音をとどろかせながら鳥トカゲの身を焦がす。


 今度こそ絶命した鳥トカゲ。ちょうど、というべきか……絶妙なタイミングで、ジャンのほうも片付いたらしい。


 わざわざわたくしたちのほうに回り込んできてくれて、終わったぞと言いながら剣の血脂をピッと振り払った。




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こめんと

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