【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/74話】


 休憩後、帰りの馬車を待つ合間に、わたくしはササッと調合用の材料を採取していた。イヴァン会長やセレスくんに教えられながら採集したので、結局皆で取ったようなものだ。


 自分でも草花には詳しいと思っていたけれど、専門に使うもの以外は全然分からなかったわ。


 ほくほくしながら乗合馬車が来るのをバス停のような場所で待っていると、やがて砂埃を上げながら二頭立ての馬車がやってくる。

 停留所の前で……というより、わたくしたちを見て馬車は止まり、御者のおじさん……三十代半ばくらいだろうか。


 無精ひげがポツポツと伸びていて、顔に覇気のようなものはない。

 くたびれた白いシャツと革製のベストを着ていて、砂埃も被るのだろう、あちらこちら汚れていた。


「……お待たせ」


 無愛想ながらも、そう答えた御者さんは『乗るなら側面の扉から頼むよ、お代は後払いだ』と言って身を乗り出すようにしながら、ほとんど箱のような客車を指した。


 カーテンが掛かっていて、中の様子は見えないけれど……行きに乗ってきた馬車、こんな感じだったかしら?


 しかし、盗賊とかを防止するためにも、最近では頑丈な馬車が使われているとも聞くし……それにこの馬車を逃すと、次の予定時刻は二時間後だもの。


 わたくしは馬車の扉を開き、中の様子を窺うと……既に五人ほどのおじさん達が椅子に座っており、足下に荷物袋のようなものを置き、到着するまでの仮眠でもしているのか腕を組んで俯いている。


 起こさないようにと思いながらそっと足を踏み入れ――……ようとしたとき、ジャンがわたくしの二の腕を掴んで『乗るな』と鋭く注意した。


「え……」


 ジャンは未だ混乱気味のわたくしを引きずるようにして馬車から引き離すと扉を閉め『乗らねぇから行ってくれ』などと、御者のおじさんへぞんざいな言い方をした。


 御者のおじさんは、チッと大きめな舌打ちをして馬にムチを一つ入れると、また砂埃をもうもうとあげながら行ってしまった。


「……な、なぜ止めたのです? 帰りが遅くなってしまいますわ!」


 わたくしはジャンに軽く抗議をするのだが、わたくしたちのような学生よりもいろいろな『世間』というものを知っているジャンは、あれは正規の馬車じゃない、と言った。


「多分、馬車にも組合ってのがあるんじゃねーか? この停留所についてるマークが、あの馬車にはなかった」


 そう言って時刻表……の少し上を指し示した場所には、馬と車輪を簡素にデザインしたロゴと【ヴェルパーウ路線社】という組合? か社名……のようなものが描かれていた。


「言われてみれば……行きに乗ってきた馬車にもこのマークがありましたね」


 セレスくんが感心したように頷き、イヴァン会長もなるほど、と相づちを打っている。


「巷では様々な業種の闇営業があり、とんでもない値段をふっかけられてしまったりもする、と聞いたことがあります。まさか自分たちもそういう目に遭いそうになるとは……こういう馬車にすら、あるのですね……」


 どこか嬉しそうに良い経験をしましたと言っているイヴァン会長だが、ジャンが教えてくれなかったら、わたくしたちはおじさん達に恫喝されて、お財布を押収されて……それでも足りたかどうか……という妄想が加速する。


「中にいた方も無事ではないかもしれませんわ……通報した方が良いのかしら……」

「必要ない。ありゃ仲間だ」


「……は?」

 仲間? 交代で馬車を駆るために? そう聞くと、アホ、と短くも刺々しい言葉がわたくしに突き刺さった。

「脅したり見張ったり、場合に寄っちゃ荒事を行う奴だ」

「…………! ありがとう、ジャン! あなたは皆の恩人ですわ!!」


 わたくしはジャンの手を掴んで固い握手……というかぎゅっと一方的に握っただけなのだが、感謝の意を示すと、嫌そうにジャンは『そりゃどうも』と形ばかりの返答をくれた。


 ジャンにとっては、あの場に押し込まれたほうが楽しかったかもしれないが……黒い鎧とか学生の装備ではないし、剣だって誰からも見えるように帯剣している。


 誰がどう見てもコイツは剣士系だろうというのは予測できるのだから、馬車に乗ったわたくしたち全員を庇いながら荒事をするなんて……面倒くさいことこの上ないだろう。


「でも、馬車の時間は過ぎてますね……遅れているだけなら良いですけど」


 セレスくんがそう指摘するように、時刻表から十五分程度過ぎているのに馬車はまだ来ない。


 採取している最中も、停留所が見える範囲で行っているので、見逃しているわけがない。


「転移で戻るという手段も最終的には可能ですが、そういったことをすると評価点からペナルティとして引かれてしまいますからね……」

「え、そうなのですか?」


 セレスくんとイヴァン会長が言うには、公共の乗り物などを用いることが前提条件の依頼なので、転移という手段は現段階では容認されないという。


 だから、学院のワープゾーン的な機能も解放されていないらしい。


 そもそも、転移魔法自体が高等魔法なので、現在使える学生はいないと思われているようだが……イヴァン会長は『転移魔法は便利なので早めに習得しました』なんて言ってるし。


 わたくしも、転移はレトに毎回お願いしているから忘れていたけど、凄い魔法だったのよね……。


「……じゃあ、あと二時間待たなくちゃいけないのかしら……」

「き、きっと遅れているだけだと思います」


 セレスくんが明るい声を出して元気づけようとしてくださるのだが、わたくし達は馬車の路線状況など分からない。誰もが口を閉ざし、これからどうしようかと考え始めた頃……。

 道路の向こうから、馬のいななきと――……悲鳴のような声が聞こえた。



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こめんと

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