感情の湧かない両親に慣れない手紙を四苦八苦しながら書いて出し、数日もしないうちに――……指輪自体はすぐに執事自ら持ってきてくれた。
『お嬢様からの手紙を、旦那様と奥様はとても喜んでお読みになってましたよ』
 とにこやかに微笑みながら執事は手紙が届いたときのことを教えてくれたのだが、それが本当であるか気遣いであるかはわたくしには分からない。
「……それは、嬉しいことです」
 わたくしもそれだけを言うに留め、執事から小さな箱を恭しく手渡された。
 長年使い込まれた、飴色で光沢のある革製のリングケース。
 蓋の中央には、王家の紋章が金で箔押し加工されており、これが大変な品物であることは中身を見ずとも明白だ。
「確かに、お預かり致しました。ありがとう存じます」
「ええ。お嬢様、そちらの品は替えの効かぬもの。お取り扱いには細心の注意を……」
 それでは、と執事はわたくしに礼をして、再び馬車に乗り込んでいく。
 遠ざかっていく馬車が小さくなるまで見送った後、両手の中に箱を包むようにしながら持って、部屋に戻る。
 居間に戻ると、一応中身を確認しようと思って蓋を開けてみると……ぱっと目に飛び込んできた、純度の高い大粒のエメラルド。
 その周囲に、小粒のダイヤモンドがあしらわれた指輪だ。
 エメラルドをメインにしているのは……王家の人々は、瞳の色が代々反映されているからだろう。
 なぜ知っているかといえばクリフ王子のお父様、つまり国王陛下も無印版ピュアラバのアリアンヌ会食イベントシーンで登場した。
 そのとき、髪と目の色がクリフ王子と同じだったから、父親に似たのね~と思っていたからである。
 指輪のデザインは少々古いもののように思えるが、これは代々婚約指輪として使われてきたというのを鑑みれば、伝統を自身の代で大胆に変化させるなどというのは国王でもそうそう許されぬ事だった――のだろう。
「リリー、綺麗な指輪を持っているね。それは何?」
 レトとヘリオス王子がやってきて、それぞれわたくしの隣に座る。
 王子様自らお茶の用意もしてくれたらしく、二日前に買ってきた菓子もお皿に並べられていた。数日で食べた分量的に、これで最後かな。
「婚約指輪です。クリフ王子がサイズ直しをして、常に付けているようにと仰せですの」
 正直にそう告げると、お茶を淹れているレトの動きが止まった。
 しかし茶だけは出続けているので、そっとヘリオス王子がレトの手首を持ってポットの口の角度を調節すると、次のカップをその下に置いた。
「そ、そうなんだ……婚約指輪、ねえ……アハハ……そういうこともあるよね……」
 乾いた笑い声を発しながらも、その手は目に見えて震えている。
 それが怒りによるものか、悲しみか動揺か……わたくしには推し量ることは出来ない。これは双方のために、早々に話題を変えたいところではある。
「その、クリフ王子の事はどうでもよろしいのですが……この指輪だけは……フォールズ王家の連綿と続く儀式の……たくさんの方々の思いが詰まった大事なものですから、わたくしがないがしろに出来る代物ではございませんの。わかってくださいな」
「人の、想いか……」
 多少持ち直したのか、レトはそう呟いてまぶしそうに……しかしどこか悲しそうに王家の指輪を見つめ……うちにも、と呟く。
「我が王家でも、そういうものがあったのなら……」
 尻すぼみに消えた言葉。
 その後には、何かもっと重要な言葉が続いているという気がしてならない。
 レトの発したものはなんとももの悲しく聞こえ、わたくしもはっとしてレトとヘリオス王子に視線を向けた。
 二人とも、吸い寄せられるようにわたくしの手元の指輪を見つめている。
 歴代の魔王様達は、同じくそのときの戦乙女達と戦い、敗れ去っていったのだ。
 その際に様々なものが略奪……いえ、持ち去られていき、もしかするとそういった……魔王達にとっての愛の証なども、人の手に渡っているかもしれない。
 その中に日記とかあったら、死に物狂いで取り返したいものだ。
 文豪の綴った恋文とか怒りの日記とかを没後に特集として公開しているというニュースなどがあったが、もしわたくしがそれを書いた人物だったら、絶対に関係者を許すことは出来ないだろう。恥ずかしくて死にたくなっても、もー死んでるし。
 おっと、そんなことはどーでもいいわね。
 歴代魔王様達が、一度も戦乙女に勝ったことがないのかどうかは資料もないし、当代の魔王様に聞いたわけじゃないから分からないが――……仮に戦乙女と戦って、何回か勝っていたのだとすれば、魔界はあのように寂れてはいることなんてなかっただろう。
 それに申し訳ないが、戦乙女が勝たないと乙女ゲー的には伝説でもないし、アリアンヌもクリアにならない設定だから……。
 あら。そういえば、魔界陣営のわたくし、いわゆる『ゲームクリアになる条件』って何かしら。
 アリアンヌは多分『もう二度と繋がらないように、魔界の裂け目を封印する(あるいは、魔王と戦って勝つ……も場合によっては含む)』だろう。
 魔王様が戦いを望まないのだから、ここは素直に『人間との争いを回避し、魔物を呼び寄せて地上との裂け目を閉じる』でいいのだろうか。
……今まで婚約破棄と魔界の発展しか考えていなかったせいか、最終日以外、ゲームクリアの条件なんてどうでも良かった感があるわ。
 まあ、クリアできなくても……レトと一緒にいられるなら別に構わないし……などという、適齢期を過ぎてもずるずる長く延びていく男女の交際みたいな妄想に浸る前に、わたくしは軽く首を横に振って現実に戻ってきた。
「そう落胆せずとも……地上で魔界のものだという話があるような道具や、装飾品があるか……あるいは魔界の書籍っぽい奇書など、イヴァン会長にお話を伺ってみますわ。国立図書館には大変な蔵書がありますもの。何か一冊くらい、よく分からない本や情報が記載されているものもあるかもしれません」
「うん……でも、無理にあの男と関わらなくても良いからね?」
 何かあったら協力を求めると言っていたのはレトなのに、わたくしからイヴァン会長に相談するのはあまり好ましく思っていないようだ。
 そういう独占欲を出されるのも、なんだか嬉しくもあり恥ずかしい気持ちにもなりますけど……わたくしだって、レトのためなら本の一冊くらい頑張って探しますわよ。
 それを口にするかどうか迷っているとき、ヘリオス王子が指輪を指す。
「それでだね、リリーティア。この指輪は手直しするのだろう?」
 指輪から視線を外し、興味深そうにわたくしの顔をのぞき込んでくるヘリオス王子に、わたくしは肯定をしつつ頷いた。
 ヘリオス王子はわたくしの手のひらにあった指輪の箱をテーブルの上に置くと、代わりにわたくしの右手と左手にそれぞれ自分の手を乗せ、君は指輪を、どちらのどの指にはめるつもりだい? と……にっこり笑っ……た顔が怖い。
 その質問に、怪訝そうな顔をしたのはレトである。
「え……婚約指輪……とは、どの指というのもおおよそ意味合いで決まっているのかい?」
「おそらくは、決まっているはずですけれど……」
 左手の薬指に視線を落とすと、ヘリオス王子はわたくしの顔を見つめたまま、左手の薬指を……ぎゅっと指で押すように力を込めた。ちょっと、いたいです。
「――……この指がなくなれば、指輪はめられないよねぇ?」
「ご、ご冗談を……」
「えぇ~? 本気だよ。だって指輪なんか結婚しないって決めてるなら要らないでしょう? この指には、人間の契約の証、婚約指輪も結婚指輪も要らないよ」
 ひっ……。イヴァン会長の正体が分かったときも怖かったけど、こちらのヤンデレは静かに本気モードだからそれはそれで怖い。さすが魔王様の息子だ。
 いいよ! なんて気軽に言ったら本気で指がなくなりかねん。
 わたくしの利き手は右だけど、各指の使用頻度が重要ではなく、どの指だってなくなって良いものではない。
 折った指はどうするのかも知りたくないし、いつかそこに指輪をはめられなくなって困るのはあなたのお兄さん、レトゥハルトという可能性だって残されている。
「ヘリオス、そんな怖いことを言ってリリーを脅かさないであげてよ。本当にクリフォードとの結婚が決まったときに折れば良いんだから……」
「そういうことではございませんのよ……」
 折ったところで違う指にはまるかもしれないし、なんて言ったら手足全部の指がなくなるかもしれない。猟奇的な愛情である。
「指輪、したくないなら嫌だと言えば良いんじゃないか?」
「……それも考えておりますの。調合するときに溶液が引っかかったりするのではと気になってしまうし……」
 すると、レトは指輪に視線を落とし、じっと見つめていた。
「リリーが安心できれば……どんなことであれ構わないよ」
 そう言うと、クッキーを一枚つまんで口に入れ、立ち上がる。
「ちょっと、俺魔界に戻るね。調合しようと思って材料集めたままなのを思い出した。今日は寮で食事を摂るのかな?」
「ええ……クリフ王子に用事もございますので」
「そっか」
 リリーも後で魔界に行くなら呼んで、とにこやかに微笑まれ、レトは転移で消える。そんなに急いで行かなくても良いのに。
 指輪の箱を閉じ、クリフ王子のところにいつ声を掛けに行こうかと考えていると、ヘリオス王子がレトの消えた場所をずっと眺めているのに気がついた。
「どうされましたか?」
「うん……なんでもない……」
「?」
 なんでもないにしては、少し引っかかるところがあるのだけど……と考えていると、のしっ、とジャンの手のひらがわたくしの頭をぐいぐいと押した。
「きゃっ!? な、何するんですの……!」
「あんたがバカだからだ」
「はぁ!?」
 バカだからと頭を押される意味が分からないんですけど……!
 手を振り払い、非難めいた眼をジャンに向けると……彼はその視線を受けながら、ふんと鼻を鳴らした。
「知らねぇからな」
「…………なにを、です」
 そう口にすると、ジャンは呆れたようにわたくしを見て、そうだったな、とも呟く。
「あんたのそういうところ……まあ、いいか。なるようにしかならねーし」
「だから……」
「そのうち分かる。じゃあおれも飯時までは寝るから」
 ジャンまでさっさと話を切り上げ、自分の部屋に戻っていく。
 ヘリオス王子も、さっさとカップを片付けている。
 ジャンが何を言っているかも分からず、わたくしは頭の上に疑問符を浮かべるばかりだった……。