「――そういえば昔、貴様に贈った婚約指輪はまだ持っているんだろうな?」
その日の放課後、わたくしたち――アリアンヌ・マクシミリアン・クリフ王子が一緒――四人でお茶をすることになり、クリフ王子が思い出したように突然そう切り出す。
その発言に驚いているのはアリアンヌで、マクシミリアンは動じた様子もない。
こうして落ち着き払っていると、指輪云々は彼から入れ知恵されたんじゃないかなーと邪推してしまうわけだが、聞かれた質問には答えなくてはいけないわね。
「何度も申しますが、12歳までの記憶がございませんので……いただいたかどうか、保管場所すら存じ上げません」
「――お、お姉様、恐らく『王家の指輪』は、ローレンシュタインの屋敷できちんと保管されているはずです」
わたくしよりずっとアリアンヌのほうが詳しい。
王家の指輪っていう品物だとも初めて知ったし、ネーミングもひねりがなくてそのまんまだ。
「王家の指輪、たしかとても……歴史的に由緒正しいものであり、王家にとってはとっても大事なものだと、以前執事さんに聞いた気がします」
「あら、そんなもの無くなっては大変ですわね。すぐお返ししなくては!」
「何を言ってるんだ……返せと催促したんじゃない」
せっかくナイスなトスをアリアンヌが上げてくれたというのに、クリフ王子は渋い顔をした。なによ、そこは一応指輪受け取っておきなさいよ。
「僕も記憶があまりないけども、確か……婚約成立時に送ったものだと聞いたんでね。子供の指には大きすぎるから、わざわざ詰めずとも大人になってからサイズ直しをするという話になっていたとか。貴様はそのために指輪を持参し、計測と立ち会いをするんだ」
ふぅん。今日は珍しくまっとうな意見だ。
「指輪……持っているだけじゃ、いけませんの?」
「そうだ。マクシミリアンが、今日のようなことがあっては困るとうるさいんだ! 貴様がボケーッとしてるからそういう面倒なことになったんだ!」
言っているうちにだんだんイライラし、クソデカボイスになってくるのはクリフ王子の特徴だ。慣れてきたけど、やっぱり間近で聞くとうるさいわよね。
「だいたい、貴様がなんと周囲に言われているか知っているのか?!」
「そんなこと全く存じ上げませんわ! みなさん、わたくしをなんと仰ってるの?!」
期待にキラキラしたまなざしでクリフ王子を見つめると、何を喜んでいるんだと怒号が響く。
お茶をしていた場所が個室であったため、外に聞こえることもなくて良かったけれど……この人、王宮でもこんな腹から声を出しているのかしら。腹筋が鍛えられて、ストレスも解消できて心身共によろしいこと。
「貴様は『類い稀なる美しさを武器に僕の婚約者に納まり、イヴァン生徒会長を盲目的にさせ、今回のクラス対抗戦でも自ら働かずに男を籠絡させて個人評価点を上げようとしているような女』だと言われているんだ! 恥ずかしいと思わないのか!」
「まあ……!」
わたくしが発した驚きの言葉は、マクシミリアンとアリアンヌには衝撃を受けて悲しんでいるものと受け取ったらしい。
クリフ王子に『お姉様を悪く言わないでください!』とアリアンヌが怒り、マクシミリアンも『そこまで言われていなかった気がしますが』と擁護してくれる。
「あらいやだ。クリフ王子、あなた……話を少し盛ってましたのね」
「ち、違う、全部そういうわけでは……」
急にしどろもどろになるクリフ王子。
いや『ちょっと』であろうと『だいぶ』であろうと、嘘が混ざっているってバラしてますけど。
「つまり今仰ったのはあなたの本心であると……ふふ、わたくしをどう思ってみているか、大変よく分かりましたわ。ですが、わたくしだって、人の好みをどうこう出来るなんてことございませんのよ」
自分の頬に手を置き、にっこり微笑んで言い放ってやると……クリフ王子は頬を引きつらせながらも『どうだかな……』と疑惑のまなざしを向けてくる。
わたくしがヴィレン家の人々みたいに人の心をどうにか出来るのであれば、とっくにクリフ王子を傀儡にして、婚約破棄の書類なり何なりの手続きをさせている。
しかし、クリフ王子の言葉が彼の本心そのままであったとしたら、これはかなり……わたくしのことを嫌っている証左になるのでは?
しかし、唯一褒めるところがあるとすれば……わたくしがかなりの美少女であることを……このどうしようもない王子も認めてくださっているようね。
当然ですわね。わたくしも自分用にセクシーなものや、可愛いフリルのついた服でも着せてみたいと思ったりしますもの。
「……あなたの思惑はどうあれ、指輪が必要ということ……ですわよね。わたくしもお預かりしているものならば、すぐに屋敷へ手紙をやって、こちらに持ってきていただくように手配します」
「そう、か……わかった。こちらも職人を手配しておくとしよう」
クリフ王子はそう言い切ると、くいっと紅茶をあおるように飲み干し……ソーサーの上に戻すと、もう行くといって立ち上がる。
「わたくしたちもそろそろ寮に戻りましょう」
「――そうか。それではまた、明日会おう……アリアンヌ」
「はい、クリフォードさま……」
一緒にいるわたくしのことを相変わらず無視して、別れの挨拶をアリアンヌのみに伝えると……さっさと部屋を出て行く。
「すまなかったな、リリーティア。殿下は恐らく照れておられるに違いない」
「……お気になさらず、マクシミリアン。違うということくらい分かっておりますわ」
すると、再び沈痛な表情を浮かべてから……マクシミリアンも鞄を持ってクリフ王子の後を追っていく。
部屋の前にはジャンが立っている。護衛の仕事だから、多分ここにアルベルトも一緒にいたはずだが、もうその姿はない。
二人にもお茶と菓子は用意されていたのだが、ジャンのお菓子は手つかずで残されていた。もう一つのティーカップとお菓子は空。
「お待たせしました。部屋で食べるお茶請けとして、ここのクッキーでも買っていきましょう。そうだ、あなたも召し上がる?」
「いらねーよ」
ジャンにとっては主人のお茶で暇を持て余す……など毎度のことだから気にしていないだろうが、ジャンと数十分一緒に立っていたアルベルトにとっては辛い時間だったに相違ない。
ごめんなさいね、と――……もう豆粒みたいに、通路の向こうに見えるアルベルトに心の中で謝っておいた。
わたくしも部屋を出て、アリアンヌのほうに顔を向けたのだが……彼女は何やら浮かない顔をしている。
「アリアンヌさん? どうなさったの?」
「あっ……」
呼びかけに反応して顔を上げたアリアンヌは……小さな声を発してから、にっこりと微笑んで何でもありませんよと明るい声を出した。
「指輪のことなら心配なさらずとも……」
「あはは……。お姉様がなんとも思っていないというのは分かってます」
クリフ王子にもその気が無いのも分かっている――けど、婚約者という地位にのみ贈られるものを持っているのは、心がモヤモヤする……という感じだろうか。
ここで、いつかその指輪があなたのものになるとよろしいわね……などと言おうものなら、わたくしにその気がなくとも完璧なるいじめ……時代劇の大奥のよーに、権力やら寵愛マウント取ってくる嫌な女である。
なので、わたくしは当たり障りのない会話内容を選びながら、少々センチメンタルな気分になっているアリアンヌを元気づけつつ、寮に戻っていった。