あれから二週間ほどが過ぎた。
イヴァン会長はどうなったかというと――……現在、普通に登校してきている。
レトはわたくしたちを転移させた後、どのようなことをしたのかは教えてくれなかったけれど、ただひとつだけ……『執着を抜いただけだよ』と、なぜだかとても寂しそうに教えてくれた。
あんなことがあってから、久しぶりに図書館に向かうと……カウンターで司書業務を行っているイヴァン会長を見つけた。
「――……あ……」
どうやらイヴァン会長からもわたくしを発見したようだ。
動きを一端止めて、じっとこちらを見た後……横にいる司書さんに何事かを告げて、カウンターを出ると近付いてくる。
ジャンはこちらに接近してくるイヴァン会長を多少警戒をしているものの、以前と比べて随分柔軟な態度になっていた。前は明らかに敵視していたものね。
「……こんにちは、リリーティア様」
「ええ……あの、お身体などは、本当にもう……?」
「はい。自分でも何をして爆発をさせたか全く覚えていないのでお恥ずかしい限りです……二度も寮生達を驚かせてしまいました。直下の部屋にいる貴女は特に」
この二週間でまた少し痩せてしまったのか、頬のあたりがなんとなくうっすらと痩けてきたように見えるイヴァン会長は、弱々しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ……彼のことは、内密にします」
「えっ?」
彼とは、レト達のことだろう。
まさか、あの後レトは……自分から正体を明かしたのだろうか。
「その代わり、わたしのことも誰にも言わないと仰りました。二人で秘密を共有したわけですが、貴女が特別だという意味も分かりましたよ」
「……そうですか……」
イヴァン会長はちらりと周囲を見て、奥まった場所の……窓辺へと案内する。
この時間の図書館は人が少ないようだったけれど、通路の真ん中で立ち話をし続けるのも利用者の迷惑になると踏んだのだろう。
こうして話をするイヴァン会長は、やはり別人のようだった。執着という『憑き物が落ちた』と表現するのがぴったりだ。
「……今後も、何かあれば協力してくれと彼個人に頼まれましたよ。どうしてかと問えば、わたしは自分と似ているからと……よく分からないことを仰りました」
「……確かに、わたくしにもそう言っておりましたわね」
片方は伝説の【魔導の娘】に、もう片方は【幻想のリリーティア】に憧れ、それを求めて彼ら二人はわたくしに手を伸ばした。
その指先を握ることが出来たのはレトだったけれど、どれもこれもが積み重なった偶然という奇跡の上に成り立っているもので、もしかするとレトの手もイヴァン会長の手も届かなかったかもしれないのだ。
お互いにしか分からない何かを感じ取ったんだろう……ということで二人の和解についてはわたくしは勝手に納得したのだが、協力をするということは……。
「今後もわたくしたちに関わりがあると……?」
「はい。ああ、そう身構えずとも大丈夫ですよ。もう貴女を閉じ込めたいとは思っておりません」
その言葉を聞いてほっとしたのも束の間、でも、とイヴァン会長は自分の胸に手を添え、切なげな息を吐いた。その仕草もなんだかとても美しい。
「でも……貴女を愛しく想う気持ちは消えていません。どうか……貴女を想うことだけは、許していただけないでしょうか……」
「え、えっ? あの、それって……」
突然の告白に、わたくしは思わずわたわたと手を振り、ジャンを仰ぎ見てみたり、イヴァン会長を凝視してみたものの、二人は何も言わずにわたくしの出方を見ているようだ。
「つ、つまり、人間性を好ましく見てくださっているのですわよね!?」
「ええ、それも含め……異性として、一人の女性として愛しいとお伝えしているのですが……」
そう言って頬を染め、何度も言うのは恥ずかしいなと口にするイヴァン会長。キラキラが周囲を舞っているように見えるぞ。これはどうやらスチルシーンなのだな……。
きっとイヴァン会長推しの人が見たら、こんなところ涙を流して、何悩んでんだよ『はい』一択だろうがァ! と叫んで発狂しながら喜ぶのだろうが……。
――……わたくし、背筋になにかすっごい、すっごい寒気を感じるんですけど……。
後方を振り返ってみても、窓はぴっちり閉まっている。隙間風が入っている様子はない。風邪引きはじめかしら。
「……どうか、されましたか?」
「いえ。風を感じた気がしたのですが、気のせいだったようです」
わたくしが後方を気にしていたせいか、イヴァン会長は怪訝そうにわたくしに問う。何でも無いと首を振って、申し訳ないのですがと前置きした。
「わたくしには、イヴァン会長の想いに応えることは出来ませんけれど……想うだけなら、わたくしにはどうしようもありませ――ぅっ!?」
刺すような視線を感じ、ばっと振り返ったが、やはり誰も居ない。
だが、じりじりとどこからか放たれる殺気? 視線? を感じ続けていた。
イヴァン会長はわたくしの返事の内容をどう捉えたのかは分からないが、赤い瞳を伏せ、自身の胸に手を置くと『ありがとう……』と囁くように言葉を発した。
「わたしの気持ちすら大事にしてくださる貴女のお心、嬉しく思います。貴女に出会えて本当に良かった」
うーん、とても綺麗だ。つい、無印版のイヴァン会長ルートの過酷さを思い、わたくしも朗らかな表情を浮かべていると……『リリー』と、不機嫌そうなレトの声……幻聴が聞こえる。後ろめたさからそんな風に聞こえちゃったのかしら。
『一瞬たりとも他の人を想わないで。今度は俺がリリーをどこかに閉じ込めちゃうよ』
あ、幻聴じゃない。胸元のペンダントからだった。
「……今、彼の声が聞こえたような」
「き、気のせいじゃございませんこと? おほほ……あ、わたくし用事を思い出しましたの。またそのうち……ごきげんよう、イヴァン会長!」
「えっ? はあ。またのご利用をお待ちしております……ずっと」
急いで図書館を出て行くわたくしの背に、柔らかな言葉がかけられた。
もうあの絡みつくような視線はないけれど、そのかわり……どこか寂しそうな声が耳を撫でていく。
思わず足を止めて振り返りたくなるくらい――申し訳ない気持ちではあったが、それをしなかったのは……胸元のペンダントから延々と垂れ流される怨嗟の声があったからだ。
『ひどい』
『見てないと思って、また違う男に……』
『俺の何がだめなの? 直すから教えて』
……今日のレトは一段と重たい。
他の人に聞かれたらすんごい大変なので、ぐっとペンダントを握りしめて、声があまり外部に漏れないようにしつつ急いで寮に向かって歩いている。
「本当にひどいもんだ。おれの気持ちもずっと放置して……」
「ちょっとジャン! 便乗して遊ばないでくださいな!」
呪いのペンダントと化したものも含め、ジャンが感情の籠もらない言葉を放ち始めたのだからたまらない。
思わずたしなめてみたものの――……ジャンの顔は笑っていなかった。
「え、あの……ジャン?」
なんか普段と雰囲気違わない?
「――文句言って良いか」
「はっ、はい?!」
「……今回の件はレトも大丈夫だと言っていたし、あんたもあんまり分かってない部分はあるだろうが……おれには一切の事情が分からないままだ」
「あ……、そうですわよね……ごめん、なさい……本当に心配を……」
そーだ。ジャンはクリフ王子達と一緒だった。何がどうなったかなんて、想像はついても事実はよく分からないのだ。
今までそれを話していないのだから(多分レトも端折っていた)わかるわけはない。
「ったく、もうちょっと報告や相談くらい共有してくんねーかな。おれじゃなくて、エリクだったら相当ブチ切れてるぞ」
烈火のごとく怒り狂う姿を想像し、ぶるりと背筋が震えた。
ジャンで良かったと言ってはいけないが、ジャンが物わかりの良いほうで本当に良かった。
「……その通りですわ。今後は必ず共有させていただきます」
「そうしてくれ」
こちらの会話は筒抜けなので、呪いのペンダントの向こう側……レトも押し黙った後、ごめんなさいと素直に謝罪をしており、ジャンは『ああ』とそちらに返事をしていた。
「もうわかったよ。いいから帰ろうぜ。往来でそんな顔されちゃ、どう見てもおれがあんたをいじめてるようにしか見えねーよ」
ジャンの言うように、たまにすれ違った人が不思議そうにわたくしとジャンを見比べたような気はしていたのだが……痴話げんかかと思われては大変なことになってしまう。急いで帰ろう。
寮が見えてきた頃、ほっと安堵の息を吐く。
ペンダントはもう通信が終わっているのか、何も言葉を発さなくなっていた。
「言いそびれたが……」
「こ、今度はなにかしら?」
また文句が飛んでくる……そう思ってジャンの言葉を待っていると、ぽん、と頭にジャンの手が置かれた。
「――無事で本当に良かった。心配させんな」
優しく微笑んだジャンは、すぐにわたくしの頭から手を離すと、さっさと歩き出す。
「……」
頭に置かれた手の感触を自身の手で確かめるように触れてみて、じわじわと頬が赤らんでくるのを感じる。
ジャンがわたくしを、心配してくれていたようなのだ。
なんか……ああやって、ちゃんと素直に言ってくれたのはもしや初めてなのでは?
しかも、ちょっとああいう優しい顔も出来るんだあの人……。
などと少しばかりどきどきしてしまっていたら、胸元から再び『リリー』と呼ぶ声が聞こえ、違いますわよと一生懸命説得したのだが功を奏さない。
部屋に戻ってもなおレトは頬を膨らませ……可愛らしくも厄介に拗ねていたのだった。