【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/62話】


 イヴァン会長の事件の翌日、わたくしは何食わぬ顔で登校し、クラスへ足を踏み入れる前に……。

「リリーティア!」

……と怒鳴りながら(本人的にはただ呼んだだけのようだが)大丈夫なのかと……本当に本当に珍しく……クリフ王子が声をかけてきた。


 これにはわたくしもクラスの皆もびっくりして、水を打ったかのようにしんと静まりかえってしまった。


「……え、ええ。ご心配をおかけ致しました……ちょっと、こちらに……」


 クラス中の好奇心による視線が刺さりまくって痛いのと恥ずかしいのが混ざり合い、耐えきれなくなったわたくしはクリフ王子の腕を引いて、廊下の端、ちょっと柱で影になる部分まで連れて行く。

 とはいえ、わたくしたち二人きりではなく、当然双方の護衛二人……ジャンとアルベルトが一緒についてくるわけなのだが。


「……本当に何事もございませんでしたわ」

「いや、しかし……急に居なくなって……あれは転移陣だったんだろう? どこに連れて行かれた?」

「学院の外に放り出されたようでした。ここからちょっと行った場所に、植物がずいぶんたくさん生えている公園がありますでしょう? そこですわ」

「……ほ、本当に何もなかったのか?」

「はい。一時はどうなるかと思いましたけれど、あの陣は、どなたかがいたずらに置いたのでしょう。迷惑な話です」

 水の中に転移させられたりせずに済んで幸いでしたと笑っておいた。

 クリフ王子なりに自分のせいでやらかしたことを心配していたんだろう。とりあえずお礼でも言っておこう。


「クリフ王子、わたくしの……」「ふざけるな!」


 初めて朗らかにクリフ王子にお礼を言おうとした瞬間、近距離で突然クソデカボイスの罵声を浴びせられた。


「え……」

「何事もなかった? 迷惑な話? 貴様はそれで済むのか。それはよかったな」

「ですから……」「じゃあ僕はどうなるんだ? 貴様の護衛に殺されかけているんだぞ! 何事もないで済むか!」

 そーきたか……。

 クリフ王子は明らかに『迷惑を被りました』という顔をしてわたくしに指を突き付けてきたので、わたくしは胸の中に生まれそうだった……感謝の小さな灯火がかき消されたのを感じた。


 アルベルトですら『殿下』と諫めてみたものの、うるさいと一蹴されている。

 その殺しかけた相手である(らしき)ジャンはと言えば、何が面白いのか『最高だな』と呟いている……けれど、その目は笑っていなかった。これは危険である。マジに殺されかねない。


「…………不出来な護衛が、申し訳ございません」

「申し訳ございませんだけで済むか! 王族への侮辱として、そいつを処罰して――」「――ねえ、クリフ王子。ではわたくしが死ねば良かったとでも仰りたいのかしら?」


 思わずドスのきいた喧嘩腰の声が出てしまい、クリフ王子はぴたりと言葉を止めた。


「だいたい、あなたが勝手に資料室の鍵を閉めた瞬間、何かの陣が発動してましたのよ。あれが攻撃魔法や何かの罠であれば、わたくし死んでしまっていたのでしてよ? お分かり?」

「……し、しかし結局無事なのだから……」


「あらあら。クリフ王子はこちらが謝罪しても『申し訳ないで済むか』とお怒りなのに、わたくしがあなたに殺されかけたようなことについては『無事だったんだから』ですって? あら、じゃあ同じ理屈で、生きていればジャンにこの後重傷を負わされても大丈夫ですわよねぇ? 命があるのですもの。そうよねぇ、アルベルトさん?」


 わたくしの口撃にたじろいでいるクリフ王子を尻目に、にっこりと微笑んでアルベルトに話を振ってみると、板挟みの立場になっているかわいそうな護衛は、ビクンと身体を震わせ、返事をどう言うべきか悩んでいる。


「えー……、あの……」

「主人の間違いを正すのも忠臣の勤めですわよ。それとも、なんでもイエスで通してしまうのかしら」


 わざと意地悪そうな顔をしてみせる。良いとも悪いともどちらの返事も出来ないクリフ王子は屈辱を感じたらしく、顔を紅潮させながら『悪魔のような女だ……!』と声を震わせた。


「人が素直に感謝と謝罪を送ろうとしたところに、増長するからそうなるのですわ。実際、無事だったからこうして立っているわけですけれど……本当にわたくしが無事かどうかなんて、わからないでしょう?」


 見えない部分に、やけどや切り傷があるかもしれない。もしかしたら正気じゃないかもしれない。そういう可能性だってあるのだ。


「……リリーティア……」


 はっとした顔をして、クリフ王子はうなだれると……そうだな、と珍しく素直に頷いた。


「その可能性もあった。もう一度教会から、一角獣の角を買ってもらう。白か黒か証明しなくてはいけないな」

「…………ご心配には及びませんわ。そちら方面は真面目に何事もありませんもの……」


 クリフ王子って、こんなに馬鹿だったっけ……。メイン攻略者だよね?


 それとも、アリアンヌに見せる方へ全ての能力をつぎ込んでいるから、わたくしには出がらしのようなバカなところしか映らないのかしら。


 もうこれ以上何も言いたくなくなり、はぁ……とため息を吐くと、アルベルトが本当に申し訳なさそうに頭を下げるのが見えた。


「剣を向けたのは謝罪致します。が、ジャンも護衛としての責務がありますし、外から見れば、あなたと資料室で二人きりになった後――わたくしだけがいなくなっている。あなたが何かしたと疑われてしかるべきでしょう。あなたが剣を向けられたり疑いをかけられることに不愉快だと怒る気持ちも理解できますが、互いのためにここは水に流す……というのはどうかしら」


 そう提案してみたが、もはや嫌だとは言わせないぞ。


「…………チッ! ああ。わかった、わかったよ! それでいい!」

「まあ、お優しい……感謝致します…………あら、こんな時間。あなたとの話は以上です。それでは」


 時計を見ると、もうすぐ予鈴が鳴ってしまう時間になっていた。

 マクシミリアンの追求もあるかもしれないので、ここは早く教室に戻っておこう。


 クリフ王子に一礼してさっさとその場を離れ――……あ、と用事を思い出して、もう一度だけクリフ王子に声をかけた。


「あの」

「今度は何だ!」


「お茶のお約束をダメにしてしまいましたわね。どうします? 今日行いましょうか」

「そんなもの……え? あ、ああ……茶会か……そうだな……」

「じゃあ今日の放課後に。ごきげんよう」


 ぺこりと頭を下げ、わたくしはクリフ王子を置き去りにし、今度こそ教室に戻る。


 いいのか、と言いたげなジャンの表情。


「……二人きりとは申しておりません。アリアンヌさんとマクシミリアンもお誘いするに決まっていますわ」

「なるほどね。また荒れるな」


 ジャンはそうぽつりと呟いた。


 その『荒れる』は二人きりだと浮かれているクリフ王子のことだと思ったが――……まあ、帰宅後に魔界へ強制送還され、魔王様にガン見され、膝を抱えて座るレトに睨まれながら、長時間の説教を受ける羽目になるのだという事とは……まだ、知らないのだった。



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こめんと

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