【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/60話】


「どう加減したものか……」


 レトは握った腕を離さないままそう呟き、軽く首を傾げた。

 イヴァン会長は自分の魔法が効かなかったことに疑念を抱きつつ、振り払おうと力を込めても、レトの力が緩むことはない。


 いくらイヴァン会長が病弱だろうとも男性である。わたくしくらいの力は持っている。たぶん。


 どの媒体であれ、ヤンデレキャラの潜在的能力『火事場のヤンデレパワー』は性の垣根を越え、異常な力を発揮するもののはずだ。ましてやここでイヴァン会長のヤンデレパワーが覚醒されていないなんてこと……あるはずがない。


 つまり、レトの手には……リミッター解放されている会長の筋力以上の力が込められている(はず)ということだ。ぜんぶ『はず』がついてるわたくしの勝手な予想になってるけど。


「……どうして、貴方は……? くっ、この手を離しなさい!」


「刃物振り回してる人を放置したら、自分が怪我しちゃうだろ。こんなものは――折ってしまおうか」


 と、空いている手で短剣の根元をつまみ、くいっと折り曲げるだけで……ぎらぎらしていて良く斬れそうな刃は、ばきん、と根元からへし折られた。


「なっ……!?」


 素手 (しかも指)でへし折られたナイフの柄とレトの指に挟まれた刃を交互に見て、狼狽するイヴァン会長。


 そりゃそうだ。普通はそんなしっかりした作りのナイフをつまんで折るなんてこと出来るわけ無い。初見でなくとも……今までこういうシーンを見たことがないわたくしだってびっくりしている。


 あ、そういえばこの間、水晶越しにテーブル叩き割ってたっけ。


「ヘリオス、それ捨てておいて」


 レトは折った刃をヘリオス王子の方へと投げてから、青い瞳――これは魔法かなんかで誤魔化しているのだが――でイヴァン会長を見つめると、目の付け所は良かったね、と申し訳なさそうに呟いた。


「俺たちが彼女の側にいなければ……貴様の願望はきっと叶っただろう。それが出来なかったのは、いろいろな意味でリリーが特別だったから、ただそれだけのことだ。もっとも……貴様には何一つとして分からなくて良いのだけど」


 ごめんねと謝って、レトは握っていた手首を離し、イヴァン会長が行動を起こす前に……額に手を添え、短く言葉……恐らく呪文を呟いた。


「あ……」


 会長の口から呻くような言葉が漏れ、閉じゆく赤い瞳が、わたくしを捉える。


「リ、ー……ティ……、さま……」


 かすれた声がわたくしのことを呼び――……彼はそのまま目を閉じ、膝をついて……ゆっくりと床に倒れた。

 動かない。

 ふぅ、と息を吐きながらレトはイヴァン会長の手からナイフの柄をもぎ取り、それもまたヘリオス王子へと投げる。


 投げられたほうは、文句をブツブツと呟きながらもそれを拾って、自分の鞄に放り込んでいる。それ、そのまま刃物を直に入れても大丈夫なのかしら。

「イヴァン会長は……死んで、しまいましたの?」

「そのほうが今後の憂いも含めた問題はなくなるけど、学院で失踪、寮で殺人が起こってしまったらリリーが疑われることもあるかもしれない。彼は気絶しているだけだよ。もちろん処置は施すけれどね」


 処置。眼をのぞき込まれて、激しい頭痛とか不快感とかが一気に来る、あの恐ろしい……ヴィレン一家の特技のコトかしら。


「違うよ。あれは……あれでもいいんだけど、男同士で見つめ合いたくないし、彼の心に興味はないから探るのも嫌だからね」


 苦笑すると、レトは……『ちょっとだけ記憶をいじる』のだという。

 その『ちょっと』がどんなふうに出来るのかは教えてくれなかったけど、もうわたくしに被害が及ばないようにする、とはっきり言ってくれた。


 そうして、イヴァン会長の側に跪いて、彼の顔を覗き見ているレトは……ごめんね、と意識のない相手にもう一度謝った。


「彼に会うまではリリーに何かしようとしたら許せない、そんな奴殺しても構わないと思うくらいだったけど……病弱な彼にとっては、本当にリリーの話は……何かの期待や希望を抱くくらい楽しかったんだろう。俺も伝説の存在に期待を抱いていたし……」


 レトの場合は【魔導の娘】という、一度も姿を見たこともないという存在に多大なる期待と希望を抱いて……地上に出た。


「……ヘリオス。リリーを連れて部屋に戻って。俺は少し、処置しておかなくちゃいけないから」

「わかったよ。なるべく早く終わらせてね」

「ああ」


 レトはまた後でねと言うとわたくしたちを転移で自室へと送って、自分はその場に残った。




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こめんと

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