【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/58話】


 やれ『リリーティアはあげない』とか『勘違いするな』などと好き放題言われたイヴァン会長はといえば……さんざん煽られて激昂するかと思いきや――……。

「貴方は自分で何を言っているかお分かりですか? 家族で彼女を執着の対象にしているわけですよね……? どういうご家庭の教育なのでしょう……」

――……怒るどころか明らかに引いていた。

 まあ仕方がない。一般的に考えれば、ただのロリコン親父とそれに感化された息子達である。そう身も蓋もない言い方をすると、本当に救いようがない家みたいに聞こえてくるわね……。

「いえ、その……ただ大事にされているだけですのよ」

「リリーティア、たまに頭を掴まれたりしているけれどね」


 あっ、また誤解を招きそうな発言を……。

 イヴァン会長は信じられないものを見るような顔でぼそりと『体罰まで……』と呟いた。どうやら曲解されたようだ。

「……悪いことは言いません。そのご家庭から縁を切るべきでは?」

「いえ、普段はとてもお優しく……」


「貴女は既に、判断を誤らせている……! 普段は優しい人を怒らせたなんて、自分のせいだと考えるようになっていませんか? 暴力を振るう時点で優しさがありません。あのジャンニという男もそうだ! 先程、貴女の義妹に暴力を振るったのですよ!?」


 暴力を許すわけにはいかないと怒っているが……イヴァン会長的に誘拐未遂はセーフなのだろうか。


「そのお話……ジャンがアリアンヌに何をしたのです?」

「彼女の頭を壁に押しつけたのですよ。なんという野蛮な行為……!」


「あら。後でアリアンヌさんに謝罪しなければなりませんわね。それに、壁に押しつけられる程度なら大丈夫ですわよ。あの子は以前、ジャンに瓶で殴られていますから」


 空き瓶の底で頭を軽く叩かれただけだから痛くもなんともない。そう言うと、またイヴァン会長は哀れなものだとわたくしたちを見ていた。


「何を仰っているのです。もので頭を殴るなど、あってはならないことですよ。貴女は度重なる暴力と偽りの優しさの積み重ねを経験しているせいで、正常な判断がつきづらくなっているのですね……」


 首を軽く左右に振った後、嘆息し……イヴァン会長はレトとヘリオス王子の兄弟二人に、許しませんと告げた。


「貴方がたが……リリーティア様を壊そうというのなら――……わたしが絶対に取り返す」

「勘違いしないで欲しいんだけど、俺たちは暴力も振るっていない。それにリリーは貴様のではないんだよ」


 べったりくっついたままのヘリオス王子とわたくしを引き剥がしながら、何もしていないのに既に疲れたような顔をして、レトはイヴァン会長を睨んだ。

「家族で大事にしているのは事実なんだけどね、俺個人にとってリリーは……ただ愛しいと思うだけじゃない。命よりも大事な人だ。彼女がいなければ、いや、彼女でなければ俺は……ダメなんだ」


 静かに、湖面を凪いでいく風のようにレトがそう告げると、イヴァン会長は何も言わず……レトのことを見つめていた。


「それに、リリーの空白の数年間は最初から最後まで、ずっと一緒だった俺が知っているし、彼女が俺をどう思っているかも、妄想ではなく理解できている。その弱い心臓が張り裂けてしまうくらいのショックを受けたいのか? 大人しく身を引いてくれると全て収まるんだけど」

 そう、ヴィレン一家……魔王様達はわたくしの全てを知っている。


 わたくしが異世界の住人であり、本来のリリーティアと成り代わった存在であることも、この世界が(乙女の)願望を叶える世界の一つということも。


 もちろん、わたくしがレトを好いたのと同様に、レト達個人にも誰かを選ぶ権利がある。そこだけはヒロインだからといって強制があったわけでは無いと思う。


 わたくしは魔王様に全てを吐かされ、その上でレトを好きなのだというのも本人に知られて……レトは強い葛藤を抱えたようだが、ヘリオス王子の説得により、わたくしを受け入れてくれた。


 もしあのまま、レトがわたくしを拒絶したらと思うと……きっと、わたくしはこの世界に居続けることなど耐えられなかっただろう。よしんば元の世界に戻れたとしても、もう二度とピュアラバをやろうとも思わなかったと思う。


 数々の幸運と魔王一族 (といってもこの親子三人だけ)のおかげで、わたくしは無事に存在して幸せな生活を送っていられる……と言い換えても良いのだ。


 と、わたくしが過去の思い出を振り返っていると……イヴァン会長は、それでもいい、と苦しそうに告げた。


「わたしを愛さずとも、愛するものから引き離された悲しみをぶつけ、憎んでくれさえすればいい。リリーティア様の心にある強い感情。それが温かいものであれ冷たいものであれ、なんでも自分に向けてくれさえすればいい。レトといいましたね。貴方は確かにリリーティア様に愛されているのでしょう。それは、貴方を見るリリーティア様の顔を見れば分かります」


 そう言われて、わたくしは思わず自分の顔に手を置いた。そんなにわかりやすい顔をしていたのかしら。


「彼女は一生わたしに興味を抱かないだろうことも、わたし自身に誇れる何かがあるわけでもないことは理解しています。この命だっていつまで持つかはわからない。そんな男が人を好きになって良いのだろうかと、何度も自問自答してきた……でも、忘れようとしたその思いも、消えずにくすぶり続けて焦げ付いてしまったのならば――わたしはどうしたら良かったと思います?」


「…………」


 レトもわたくしも、その質問には答えられない。

 ヘリオス王子は真面目な顔で彼を見ていたが、ヤンデレ同士何か通じるものがあるのだろうか。


「消えない思いに苦しみ、抑えつけることもかなわないのなら、いっそ……堕ちるしかありません。誰にも理解されなくていい。わたしは……彼女の目が、わたし以外の男をもう映すことがなければ――それで構わないんだ!!」


 イヴァン会長はついに、わたくしにその重くて暗い感情が籠もった瞳を向け、そう言い切ると手を差し出す。

「さあ、リリーティア様……もう逃がしません。貴女に残された道は、その男達の命を奪わせないために頷くしかないのです。どうぞ、こちらに。今なら……彼らの命だけは助けます」


「そ、そんな事を……あなた、自らの手を血に染めようというのですか!! そんな馬鹿なことはおやめなさい!」


「バカなこと? リリーティア様、これは貴女のせいなのですよ!! 一人の男の人生を、貴女しか考えられなくした罪なのです! そのために、悪魔に魂を捧げることくらいなんだというのだ!」

 ためらうことなく告げられる、イヴァン会長の歪んだ意志。

 その眼は既に、狂気に彩られていた。




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こめんと

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