【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/57話】


 辺境に送られたわたくしが魔物に連れ去られた、あるいは共に屋敷を去ったと指摘するイヴァン会長。


「――……この話は伯爵家だけではなく、王族や公爵の耳に入ることにもなったことでしょう。魔物に対して何の備えもない街としては、一切の被害が出なかったことに安堵するばかりでした。貴女のことは誰もが……狂ったあげく、運悪く飛び込んできた魔物に連れ去られ獲物として殺されたのだろう。なんて、かわいそうな娘だ、と思っただけ。だから顔も知らない令嬢なんて誰も探そうとはしなかったし、王家と伯爵家の婚約破棄の申請も――……通るはずだったのでしょうね」


「……イヴァン会長……あなた、何を……」

 言っていることが随分と――……詳しい。

 でも、おかしい。クリフ王子は『魔物を操っていたと聞いた』ようなことを当時言っていたから(メイドの言ったことが)正確に伝わっていたようだし、この間マクシミリアンとお茶したときも『失踪していたとき』と当時のことを言っていた。


 マクシミリアンは困っているとき力になれなかったと悔やんではいるようだが、隠し事があったりする様子はなかった。


 それどころか『失踪していたと聞いた』や『またか』という程度しか思っていなかった……というので、リリーティア(本物)に散々迷惑をかけられ続けていたマクシミリアンにとっては、子細を覚えていられない程度のことだったのだろうか。


 うーん、いくらなんでもマクシミリアン、そんなバカじゃないだろう。


 王家に伝わった情報がそのままクリフ王子の言葉通りであるのなら、アラストル公爵は……マクシミリアンには誤魔化したというのだろうか? だとしても、少なからずクリフ王子とマクシミリアンの話題にわたくしのことは上がったはずだ。


 疑問はいくつも浮かんでくるが、イヴァン会長の話はまだ途中なのだ。


「しかし、あのまま死んだと思われた貴女は数ヶ月後、ラズールで目撃されている」

「……」

「リリーティア様、貴女はあの状況から――どうやって脱出し、生活できていたのですか?」


 おお……本来クリフ王子や伯爵家などが考えるはずの疑問を、今こうしてぶつけられていることに……わたくしは少なからず感動すら覚えている。


 すごいわ、イヴァン会長。探偵みたいよ。


「ああ、そんなことですか。あてのない旅を続けていた親子に出会い、ボロボロのところを助けていただきましたの」


 ボロボロだったのは魔界と食生活であって、わたくしは危害を加えられることは全くなかったのだけど、ある程度情報量を減らしても……構わないだろう。


「――……その親子とは?」

「そちらにいらっしゃるのが、恩人の息子さんです」


 と、レトとヘリオス王子に視線を向け――……イヴァン会長も二人を見てからじろりとまなざしをきつくした。


「旅を続けていた者と出会ったのなら、ディルスターやアーチガーデンなどあちらこちら転々と移動されるのも分かります。が、なぜラズールに定期的に通い、ご自身の屋敷に戻らなかったのですか?」


「戻らなかったのはわたくしがあの家に不必要であり、わたくしもリリーティアとして生きることを必要としていなかったからです。貴族は家柄を重んじる。そして、女は清くあらねばならない。家の発展のために使える娘であればなおさらそれは求められるでしょう? それに、急に変わってしまった娘を……もう、以前と同じ人間であるとは思えなかったのでしょう」

 その判断はある意味正しかった。

 ローレンシュタイン伯爵夫妻は、無意識に娘は今までと『違う存在だ』と感じ取ってしまったのかもしれない。きっと問うても明確な答えは出ないし、わたくしも問う気もない。


「イヴァン会長は、そんな娘のどこを気に入りましたの?」

「……気が触れて魔物を呼び出し、忽然と消えた令嬢。だが、ラズールで貴女を見たという報告は、こちらでも割と早く聞けたのですよ」


 使用人づてに聞いたらしいですよと教えてくれた。なんという口の軽い使用人どもなのか。


「わたしはますます興味を持って、どんなご令嬢か見てきて欲しいと……使用人を二人ほど、ラズールに送りました。そこでいろいろなことが分かっていったのです」


「……わたくしを探すためだけに、そんな大仰なことを?」


「ええ。わたしはずっと寝たきりの生活です。毎日空を眺めるか本を読むことくらいしかすることがありませんし、家は貴族ではないですが裕福と呼べる方に入ります。父に貴女のことを伏せ、ラズールという都市で売っている書籍が欲しいなど……それとなく理由を付けて使用人を送り出したんですよ」


 実際、ラズールの本屋さんは大きいし、王都よりも扱いが多いのだという。

 病弱で外を歩くこともままならない、大事な一人息子さんにせがまれたら、きっとそれくらい許してしまうことだろう……。

「そこで、貴女がそこの赤毛の男と一緒に行動していること、食料やマジックショップによく顔を出していること、エリクという錬金術師と知り合ったこと、あのジャンニという男や、今はアリアンヌと名乗っている少女と知り合ったこと――などを聞くことが出来ました」


「…………なるほど。どうりでマクシミリアン達よりも詳しく知っている部分がおありなのですね……というかあなたの使用人、素晴らしい諜報能力ですこと」


「ありがとうございます。ですが、うまくいかない部分もありましてね。しばしば、ジャンニという男に邪魔をされると言って悔しがっていましたよ」


 そう言って不機嫌そうな顔をするイヴァン会長。なるほど、たまーにジャンがフラフラどっか行ってたりするのは、イヴァン会長の間者を蹴散らしていたのか。


 それでもって、だいたい近くに居るというのだから恐ろしい機動力である。

 剣士じゃなくて暗殺者とかのほうが向いてたんじゃないのか。


 ふむ……イヴァン会長にとって、わたくしのことを知ろうと送り出した使用人が……ジャンという剣士が来てから、肝心なところを散々邪魔するようになり、セレスくんとかノヴァさんのこととかあんまり知ることが出来なかったんだろう。


 そこからジャンニというやつ(顔はよく知らないけど名前だけは聞いている男)に鬱憤が溜まっていたのだとしたら、妙にジャンを嫌う理由もなんとなく……分かるような気がする。


「美しく可憐で、笑顔は花も恥じらうほどに愛らしく、時として魔物に立ち向かう勇敢な心を持っている乙女。はたして本当に、彼女は噂に聞いたようにおかしいものなのか? と疑念を抱くようになりました」


「そんなに褒められても……まあ、美しいからのくだりは、おおむね事実として受け取っておきますけれど……って、わたくし、魔物に立ち向かったことなんかありましたかしら」


「エンブリス周辺地域に出没していた、『一ツ眼の金猪(グレートアイズボア)』を銀髪の少女が弓の一撃で倒したらしい……という噂がありますよ。貴女のことだと思いますが?」

「ご冗談を。そんな力があれば、気に入らないものは何でも吹き飛ばしておりますわよ……」


――……アーチガーデンのやつ、誰か喋りやがったな。


 ノヴァさんのお兄さん……ステラさんじゃないと思うけど、傭兵さんが家族に話しているかもしれないし、それを旅の人か行商人に『こんなことがあったのよー』と伝えて……そのうちの一端が、イヴァン会長の使用人さんの耳に入った、というように広がったのかもしれない。


 わたくしが困ったような顔をしていたせいか、それとも確証が持てないのか、そうかもしれませんね、と言うに留めたイヴァン会長だったが……リリーティア様、とわたくしに呼びかけ、妙に熱っぽい目を向けてくる。


「そんな話をずっと聞いていくうちに、次第に……貴女は決して悪魔憑きや気が触れたのではなく、人が変わったようにいきいきと暮らしているだけなのではないか? と思うようになったのです」


 実際人が変わったのですけども、そこはあえて言う必要もないわね。


「自分のしたいように生きている。誰にでも与えられているはずのそれが実行できる貴女が……羨ましくも眩しくて、気づけばわたしは、リリーティアという少女が大好きになっていました。いつか出会ってみたい、話をしてみたい、どんな姿なのだろう、などなど……日々考えるようになりました」


「そうして情報を集めていった結果、どこかで実物のわたくしと出会ったということですわよね」

「ええ。ようやく王都へと戻って来られました。本当はまだロッドフィールドに居るつもりだったのですが、貴女が学院に入学するという願書を提出されたと聞いて……絶対に、この気を逃したくないと必死で頑張りました」


 入学式には間に合わなかったが、その後、学院でクリフ王子やアリアンヌと話すわたくしを見かけたのだという。


「……とても、嬉しかった。日々自分の心を占めていた女性が、目の前に居るのです。すぐにでも話しかけたかったけれど、怖がらせたくはありませんでした。日々、それとなく見守っていたのですよ」


「監視してた、の間違いじゃないの?」

 わたくしをまだ抱きしめたまヘリオス王子がそう言うと……腰をすすっと撫で、そのまま腹部に手を置いた。


 思わずびくりと身体を硬直させたが、我慢我慢、と誰にも聞こえないように囁かれる。


「貴方……いつまで、そうしているおつもりですか」

「いつまでだってしたいかな。リリーティアはね、抱き心地がいいんだ」


 そんな誤解を招きそうな言動は止めていただきたい。


 途端、イヴァン会長の顔からは余裕が抜け落ち、また鬼のような形相でヘリオス王子を睨み付けている。


……今は言うことを聞いてあげるが、セクハラを受けているので魔王様に言いつけよう。それに、イヴァン会長だけじゃなくて……レトもこっちを真顔で見ているのに気づいているのだろうか。


 後で喧嘩になったら、わたくしも叱られるじゃない……。

 何よりも。魔王様に頭部をガッと掴まれて『リリちゃん?』されちゃう。あれは痛いし怖いので嫌なんですけど。

「――だいたい、そんな程度の弱っちい感情と想いが、激烈に鈍感なリリーティアに届くわけないのは分からないようだね。そんなんじゃ、ボクにもレトにも到底勝てないよ」

「なん……っ! 人の感情の重たさなどを、貴方たちに推し量れるはずがない!」


 イヴァン会長もヘリオス王子に向かい合い、弱っちい感情と評されたことに異論を唱えている。そりゃそうだ。自分の何が分かると言いたくもなるだろう。


「……分かるに決まってるじゃないのさ。だって、ボク達親子は……半端じゃなく重たい感情で、リリーティアを見ているのだから。きみはさあ、又聞きした少女の話を自分の中で美化して妄想のリリーティアを作った。実物も綺麗だったし、これは自分のためにいる人だ。だから自分のものにしたい……って、すっかり舞い上がっちゃったんでしょう?」


 わたくしの懸念を知るよしもなく、ヘリオス王子は意地の悪いことを言い放った。

「そんなやつに大事な存在を譲ってあげるわけがないって分からないようだねえ――……勘違いしてんじゃねぇよ」

 妙にガラの悪い口調で、ヘリオス王子はそう吐き捨てた。




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こめんと

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