「――……うひゃあっ!?」
……わたくしは転移した後……情けない悲鳴を上げながら、ふかふかした『何か』に投げ出された。
この上に転移するよう設定されていたのだろう。モフッと身体を包み込む柔らかな何か……どうやら寝具っぽいもの……だと認識した途端、わたくしの左右から何かの魔法が発動する気配を感知した。
「あ……っ、と……そうだったわ!」
手を左右に広げて止めようとしたが、魔法が発動する気配はない。
それもそうだ、精霊さんは今気配を消してもらっているから――……こういう魔法も消せないのだった。
自動発動だったらしい捕縛魔法に絡め取られ、わたくしの身体はベッド(だと思う)に縫い止められて身動きすら取れない。
青白く光る魔法の文字が、まるで鎖のように輝いていた。
左右の腕は頭上で縛められている。足は自由にさせても、腕を取り外せるわけはないのだから、これだけで充分……という想定なのだろう。
この状況は、わたくしにそこはかとない既視感を与えさせ……まさかこの後『睡眠』も発動するのではないか、と身構えたが――少し待ってもそれは訪れなかった。
「……詰めが甘いのか優しいのか……それとも、迫り来る危険や恐怖を味わわせるため、あえて残したのかしら。それなら充分な効果ですわ」
とにかく、このままでは――……なすがままである。言葉は話せるけれど、相手に言葉が通じない可能性だって……無いとは言い切れまい。
「あら……消音結界が張ってありますわね……普通にちゃんと設定されてるのが怖いのですけれど……」
人の気配はなく、照明も付いていない室内。
この部屋は空気の膜のようなもので、ほんわりと覆われている。これはどこでも使われている馴染みある感覚だから、十中八九消音結界で間違いない……はずだ。
内緒話するときなどにはわたくしたちも使っている便利な魔法。だが、詳しく言えば『結界内で何を叫ぼうが暴れようが外に漏れない』のである。
この意味が、この恐怖がお分かりだろうか……。
わたくしは現在、腕を縛められているだけ。声を出すことは可能なのだ。
大声で助けを呼んだとして、それを運良く外から聞いた誰かが不審に思い、寮の管理者さんなどに内部の確認をお願いしたら……大事になるからこうして処置をした、というのは分かる。
でもね? わたくし、今サブカル向けの抱き枕カバー(表)みたいな状態なのよ?
制服を着た美少女が魔法で腕のみを縛められ、身動きも取れずにベッドに転がされているこの光景ですのよ? 思春期以上の方には扇情的すぎません?
殺すことだけが目的だとは到底思えない。怖すぎるわ。
絶対に(裏)の絵にされるようなことがあってはいけませんのよ……!
抜け出そうとしても……そもそも手が縛められて使えないのだから、自力で脱出するのは難しい。抜け出そうと暴れるだけ無駄だし、下着も丸見えになってしまうと大惨事だ。
時間をかけたり、精霊さんの加護を借りれば容易いことだけど……ここが王都だったら、解放した精霊の力を賢者様とか教会とかに感知されること必至なのでそれはマズい。
でも、この部屋の主がいつ戻ってくるかが分からない。
……わたくしは、一生心に残る傷を負わされたり、最悪誰にも発見されないかもしれないのだ……。
だから、非合法だけど……全ての危険性を考慮し、最優先で助かる方法をとらせていただく。
「――あー、あー……レト、聞こえますかしら……」
つまり魔具に念じて、レトに呼びかけることにしたわけだ。
『リリー……』
聞こえてきたのは、呆れたようなレトの声。
いつもだったらもう少し明るいトーンなのに、今回に限ってなぜそんな声を出されなければならないのだろうか……。
「端的に申し上げますと……転移魔法にかけられて捕まってしまいましたの。今誰もおりませんので、助けてくださるとありがた――」『もう、バカなんだから! どうしてジャンと一緒に行動しないんだ!』
耳がキーンと痛くなるくらいの怒号が、結界内に響いた。思わず目を瞑って身をすくめる。
「ご覧になっていましたの?」
『転移が発動した瞬間かな、魔具ごしにリリーが危険を感じたんだって気づいたんだよ……とにかく今……えっ? えぇ?』
どうやら文句を言いながらも助けに来てくれるつもり……だったらしいのに、突如レトは困惑の声を上げた。
「ど、どうしましたの? 何か不都合が……」
『いや、不都合っていうか――……』
そこでレトの言葉は途切れ、次の瞬間、わたくしが縛り付けられているベッドの側に、何者かが立っている気配があった。
「ここ……リリーの部屋の、上の階……なんだけど」
暗くて見えないけど、すぐ傍らからレトの声がする。
どうやら、すぐ側に転移してきたことといい……犯人ではなかったら、間違いなくわたくしの王子様、レトゥハルトである。
「えっ……? 上? それって……寮の五階……ってことですの?」
感動よりも疑問が先に来てしまい、思わず口をついて出てしまった。
レトも気にせず、うん、と答えてくれる。
「……ちなみに、この部屋はどのあたりに?」
「リリーの……寝室の上」
五階といえば、この間……爆発があった階ではなかっただろうか。
そこに、住んでいる人物といえば……寮の管理者さんと――……。
「……知りたくはないのですが、この部屋、もしかして会長のお部屋だったりするのかしら……」
レトは自分の魔具に手を添えて魔法を使う。
すると、目に痛くない程度の光が周囲を薄く照らし、寒色で統一された小物が並ぶ、落ち着いた雰囲気の部屋が暗闇に浮かび上がった。
わたくしから視線を外して床や壁を注意深く調べ始めたレトも、女の子の部屋という雰囲気がないので男の部屋だと思うよと言う。
こつこつと壁を叩いてみたり、床を足で擦ってみたりと、作業に没頭するのはよろしいのだが……。
「……先にこの魔法を、外していただけると嬉しいのですが」
わたくしの両手を封じているこれですよ。ぱたぱたと手を振ってアピールしても、レトはこちらを向いてくれない。
「あのぅ……」
「……ちょっと待って。俺にだって準備が」
「何の準備です? 早く、していただきたいのですわ……」
「……そんな甘えるように言わないで。どきどきしちゃうから、待って」
そう言いながらレトは目元を片手で覆う。
「いや、あの。ドキドキすること、この状況で何かおありかしら」
「違うのは分かってるけど、自分の好きな子がベッドに横になって、早くって催促してくるのはおかしいでしょ!?」
「あっ……」
思わずこっちまで恥ずかしくなってしまった。
互いにしばし押し黙ってしまったが、意を決したレトは、わたくしに近付くと……じろじろと無遠慮に上から下まで眺めたあと、また自身の顔を両手で覆った。
「……よくもこんな、いけないポーズを考えるなあ……刺激が強すぎる」
どーやら、魔界の王子様は純粋すぎる心根のまま成長した結果……エロ本とかグラビアアイドルの水着姿とかが載った雑誌は読めないような気がしてきた。
「本当に、危なくなったら分かるようになってて良かったよ。そうじゃなかったら……こんな姿のリリーを誰かに見られちゃうことに……ああ、なんかだんだんムカムカしてきた」
ドキドキしたりムカムカしたりとお忙しい心境のレトは、前置きもなく――わたくしの両手を縛める魔法の鎖を引きちぎり、わたくしの頬をぎゅっとつねる。
「ふわ!?」
「心配させたお仕置き」
そうしてもう片方もつねって引っ張ると、すぐに手を離して……わたくしを抱きしめてくれた。
「……無事で良かった」
つねられた頬はさほど痛くはなかったけど、レトがわたくしを心配してすぐ駆けつけてくれたりしたのは嬉しい。こうして、抱きしめてくれるのも……本当に嬉しい。
「ええ。びっくりしただけで済んで良かったです。あなたに助けに来ていただけて、わたくし幸せ者ですわね」
「そんなこと言って、ご機嫌を取ろうとしてもダメだよ」
そう言いながらもレトの表情は優しいものに変わって……パッ、と景色が切り替わる。
「あれっ、お帰り。早かったね」
――……ヘリオス王子がくつろいでいる居間、つまり一階下の自室に転移してきたらしい。
わたくし、無事生還……ということに……なるわけかしらね。なんともあっけない。
――とはいえ、わたくしを誘拐した犯人を許すわけにはいかない。ここで許しても、二度目がないとは限らない。こちらからちょっと反撃というか……お礼をしなければならないだろう。
「とりあえず着替えてきたらいいよ。制服、明日も使うんだろう? シワになったらアイロンがけも大変だからね」
レトがわたくしの服を示しながら、そんな至って普通の……誘拐された経緯など無かったかのような日常会話を始めている。
確かに無事だったし、感動の再会……とは呼べるかどうか分からない抱擁も出来たけどさあ! なんかもうちょっと余韻とかないの?
わたくしのもの言いたげな視線に気づいたレトは、ああ、そうか、と何かに思い当たったようだ。
「着替えるとき、一人じゃ怖かったら一緒にいてあげてもいいけど……」
「……はぁ、大丈夫ですわ。着替えてきます!」
確かに、自分の寝室の真上が転送現場……っていうのもなかなかに怖いものを感じるが、レトの申し出を即座に断って、寝室に向かう。
「そんな大きなこと言っちゃって……リリーティアの着替えなんて見たら、レトゥハルトは興奮して夜眠れなくなっちゃいそうだから止めたまえよ」
「見ると言ってないだろ!」
「そうだったね。レトゥハルトは情緒がお子ちゃまだものね」
「くっ……!」
寝室に入る前に、そんな会話が聞こえた。
レトは弟にまでからかわれている始末である。
というか、ヘリオス王子はお兄さんよりそういった思春期のあれこれに耐性があるのだろうか……?
寝室のクローゼットを開き、中に誰も入っていないのを確認し……今日着るチュニックとズボンを取り出し、制服を脱ぎながら……ちょっと怖いので周囲に視線を走らせる。
急に誰かが襲ってきたら、またレトはわたくしのお出迎えにこないといけなくなるし、普通に着替えているのを覗かれるのは嫌だもの。
制服をハンガーに掛けてシワを手で軽く伸ばした後、居間に戻ると……レトは耳元を手で押さえて誰かと会話しているようだった。
「――……そう。学院が血の海になっちゃうよ。俺としてはそれでも構わないんだけど、リリーが困っちゃうからね。やめてあげて」
その会話を聞いて、ああ、ジャンと話してるのかな……という結論にストンと落ち着いた。今頃わたくしを心配してるかもしれないわね。
だって、ヘリオス王子はソファに座って足をパタパタさせながら『変態ストーカーはすぐに戻ってくるよ』と笑っている。何がそんなに面白いのだろう。
「うん……ジャンはそのまま帰還して構わない。リリーと一緒に待っててやるって伝えておいて。まあ伝えなくても、そいつは戻ってくるんだから変わんないよね」
それじゃあ、と通信? を終えたレトは、わたくしに気づいてにっこりと笑う。
「――あ、着替え終わった? 俺たちもお礼をしなくちゃいけないから、とりあえず……話し合いの場でも作っておこうか」
話し合いって名目の、武力行使に発展しそうで怖いんですけど。
喉元まで出かかった言葉だったが……ぐっと飲み込んで、ぎこちなく愛想笑いを返しておいた。