それから二日間、体調不良でアリアンヌは学院を休んだ。
クリフ王子はその間わたくしに『貴様が何かやったのではないか』と何かあるごとに突っかかってきていた。
いい加減面倒くさくなったわたくしが、ご自身で思われる分には構わないが、ただの思いつきで言うなら不快だから口に出すな、というようなことを嫌味っぽく告げると一応やめてくれた。言葉が通じて良かった。
そして早退してから三日後の朝、アリアンヌが登校してくると……クラスの何人かは彼女の体調を心配し、いたわりの言葉を投げかける。
「ありがとうございます、もう大丈夫ですから……あっ、お姉様、おはようございます!」
感謝を述べ、笑顔で受け答えをするアリアンヌ。そしてわたくしたちを見つめた彼女の表情は――いつものそれと同じに見えた。
「連絡事項と言ってもそんなにあるわけじゃないけど、アリアンヌさんに渡すプリントがこれですよ」
「わ、これはクラス対抗戦の話! セレスティオさんが預かってくれてたんですね~」
セレスくんはアリアンヌの隣に座って、彼女に体調のことや休んでいた間に伝えるべき事をそれとなく話しており、アリアンヌも耳を傾けていた。
すぐに近付いて話をしたいクリフ王子はアリアンヌの席周辺をうろうろ行き来したりするのだが、セレスくんとアリアンヌは割と親しげに話しており、ヤツが間に入る隙が作れない様子だ。
というか、わたくしの席の近くでそんなことをしているのでうざったくてしょうがない。邪魔なんで早くどっかいっていただきたい。
「もし、クリフ王子。落ち着きのない行動はおやめください」
「うるさい! 僕が歩こうと座ろうと貴様に関係ないだろう!」
「……わたくしだって、あなたが歩こうがバナナの皮を踏もうが知ったことではございませんけれど、人の席の近くでうろうろと……埃が立つでしょう」
「きみの殿下への風当たりも相変わらず強いな。埃より角が立ちそうだ」
わたくしとクリフ王子の会話に入ってきたのはマクシミリアンだ。
既にわたくしたちの間柄が険悪なのは身に染みて理解しているはずなのに、毎日懲りもせず取り持とうと頑張っている。そして、アイスブルーの瞳をジャンやアルベルトへと鋭く向ける。
「きみたちも護衛とはいえ、毎日いがみ合う主人達を見て、改善して欲しいと思って進言しないのか?」
「普段から主人の意向に逆らうような護衛が必要になるわけねぇだろ。あんただって、王子様の命令にゃ逆らわねぇだろ?」
「俺……いえ、わたしもそう思います。ましてやクリフォード殿下は王族です。有事の際にお守りできれば構わないかと……」
ジャンのやる気のなさと、アルベルトの割り切り感にマクシミリアンはダメだと悟ったのだろう。まぶたを閉じてため息を吐いた。
アルベルトの言葉には『むしろ王族に反論してくる彼女が、なぜ何事もなく許されているかのほうが不思議なくらいだ』ってくらいのニュアンスは含まれているのだが。
――……そーなのよね。クリフ王子がどう思っているかは分からないけれど、わたくしは確かにいろいろな要求を受け入れていただき、のうのうと過ごさせてもらっているわけよ。
かといって、クリフ王子がわたくしと仲良くするかと言ったらそんなことはないはずで……いや、試していないから分からないけどさ。
「…………」
「な、なんだ? まだ文句があるのか?」
じっとクリフ王子の顔を眺めていたのだが、まあ確かに顔 (だけ)は良い。
何も言われずにたじろいだクリフ王子に、わたくしは平素誰にでもするようににこりと笑いかけてみた。
「――……クリフ王子。放課後、わたくしとお茶でもいかがかしら? もちろん、ご予定がなければですけれど」
他の人からすれば、わたくしの微笑みなど、かすかに笑っただろうか? という程度かもしれないが……。
それでも、婚約者に絶対しないこと……お茶に誘う・微笑んでみる、をしたことで、クリフ王子の表情はなぜか凍り付いた。
マクシミリアンも目の前で起きていることが信じられないというように驚愕し、ジャンも視線をこちらに向けたが、わたくしの気まぐれだと知って目を閉じる。
「――…………」
「あら? お嫌でしたら断ってよろしいのですわよ」
どーせアリアンヌと一緒じゃないと嫌だとか、断るに決まっている。
「わ……わかった……」
だが、わたくしの意思に反し……クリフ王子は力弱く承諾したのだった。
「え?」
「分かったと言ったんだ。き、貴様がどうしてもと媚びてくるから」
媚びたように……ああ、まあ、見えなくもないのかな。
心外ではあるし、想定外の返事だったので困ったな。でも自分からやっぱり嫌だと断るわけにもいかないし、今日は我慢するか……。
「はあ……では、放課後にカフェでも参りましょう。わたくしたち学生ですから、気楽に入れる場所がよろしいですわよね」
「ま、任せる。そんなもの、どこでもいいから勝手に決めておけ!」
なんで急に顔を赤くしてるんだ。実はあんまり人から誘われたことないのかしら。
再びはあ、と気のない返事をするのだが、それ以上クリフ王子は絡んでこず、マクシミリアンの近くに座って、彼と今日の予定を確認している。
だが、そのマクシミリアンさんはどこか嬉しそうであり、時折かち合う視線にも『よくやったぞリリーティア』という、力強くも優しいまなざしが向けられるのが居心地悪い。
「…………」
わたくしの隣でダラッとしているジャンすら何も言わないが、黒瞳がじろりとこちらに向いている。
「……バカだな、何も言わなけりゃ余計なことが起こらないのによ……とでも言いたそうですわね」
「分かってんじゃねえか。その通りだ」
そして彼の口から改めて『バカ』と発され、わたくしが静かに苛立ちをかみしめていると、アリアンヌが不安そうにこちらをじっと見つめていた。セレスくんとのお話はいつの間にか終わっていたらしい。
「……お、お姉様、クリフォードさまとお茶を……?」
「え? ええ……成り行きですが、まあ二人で話したことも特にございませんしね……一度くらいは良いかと」
そう答えると、アリアンヌは悲しげに顔を伏せ、そうですか、とかすれた声で呟いた。
「……初めて、そういう機会を」
「そ、そんな大層なものではございませんのよ? 軽くカフェで話して、すぐ帰る事になりかねないのですから」
アリアンヌががっかりしているのだと思ったわたくしは、一生懸命言葉を重ねてみる。アリアンヌも一緒に来たがっているなら三人で良いじゃない。
「――……」
横にいたセレスくんの表情が曇ったのと同時に、ぱっとアリアンヌが顔を上げた。
「――私のことは心配しなくて大丈夫ですよ、お姉様!」
にっこり微笑んだアリアンヌ。あ、良かった、泣いたり怒ったりしていないようだ。そう考えて、ほっと胸をなで下ろす。
「ちょっとお姉様を困らせてみたくなっちゃって。うふふ、ごめんなさい」
「もう……でも本当に、ご一緒じゃなくてよろしいの?」
「はい。私にはまた機会がいつでもあると思います。だから問題ないですし……あ、お姉様、今日はお昼一緒に食べましょう! もう風邪も治ったと思うので」
「それは構いませんけれど、アリアンヌさんは病み上がりなのだから、無理はなさらないでね」
「はい、お姉様! 本当に私は大丈夫です」
いつもの人懐っこい笑みを浮かべるアリアンヌに、わたくしは仕方ないわねとつられて笑った。
「だって……大丈夫じゃないのは……」
小さく呟いたアリアンヌの言葉は最後まで聞こえず、フェーブル先生が教室の扉を開けた音にかき消された。